<書評>「デミアン」 ヘルマン・ヘッセ 切実な暗黒思索小説

書評

今回、書評する「デミアン」は、20世紀のドイツ文学を代表する作家ヘルマン・ヘッセの作品です。

ヘッセは、穏やかな精神や、細やかな心情の機微を描いた作品が多く、特段日本においてファンが多いドイツの作家です。

私はへッセの作品は「車輪の下」という作品を読んでいるのみでしたが、個人的に「車輪の下」は普遍的な社会の圧力について書いており、とても感慨深く読めたので、どこかでヘッセの作品を色々読んで見ようと思っていました。

そんなわけでようやく最近、タイトルで一番心に惹かれた「デミアン」を購入し読んだわけですが、自分が予想していた内容と全く違っていたのに驚くことになりました。

私は、本の表紙のイメージから、いわゆる萩尾望都さんの「トーマの心臓」や「11月のギムナジウム」のような、ヨーロッパのギムナジウム、美少年モノみたいなイメージを想定していたのですが(萩尾望都作品は傑作ばかりなのでマジで読むべき)、完全に裏切られました。

本作は、とても真摯で切実な、哲学的思索小説でした。

そもそも導入部分から、自分を思索し自己に辿り着くというテーマが大いに語られるのですが、まさにその通りの小説でした。

本作は、主人公のシンクレールの人生を基に、学生時代に転校してきた友人のデミアンとの交流が描かれる話です。

こう書くと、麗しい友情物語のようですが、本作は友情小説ではなく、徹底的にシンクレールの人生の話です。

不良に絡まれ、脅され地獄のような日々を過ごしたり、居酒屋で酒に溺れ堕落したり、突如自分の中の神々しい信仰に目覚めたりなど、シンクレールの人生において起こることは、現代生きる我々にとってもどこか共通点もある青春の1ページのようです。

しかし本作は、青春小説でもありません。

それは上記の出来事のドラマを追うのではなく、それが起きた時のシンクレールの思索を追う小説だからです。

とにかく本作は、ひたすら色んな哲学や思想についてを考える物語であり、そして重要なのはその思考の方向性の多くは闇に思いを馳せることを、中心にしていることです。

本作のアプラクサスという神の議論は、悪を内包している存在こそ真実の神の姿という考え方に依拠しているわけですが、そもそもデミアンがデーモン(悪魔)の文字りとも思え、人間の黒い部分に向き合うことを目的としているのが本作とも言えると思います。

個人的に印象に残ったのが、その当時のヨーロッパの戦争の空気も反映しているのでしょうが、今あるものは全て滅び、そこから新しいものが生まれると言ったような崩壊主義にも言及していることです。

私個人も、あまりの現代政治の腐敗を見るにつれて、心のどこかでとことんまで崩壊した方がいいのではと思うことがよくありますが(そのたびに必死で希望を探し否定する毎日)、どの時代においても、そういう苦しみはあるのだなあと心にグサリとナイフを突き立てられたような気持ちがしました。

本作はその意味で読んで気持ちが明るくなるというタイプの小説ではないと思います。

しかし本作を読むと、「しっかり自分の頭で考える」という行為は、自分の中の黒い悪魔的な部分を飼っていなくてはならず、そしてその黒い部分から目を背けてはならないのではないか、ということを深く思わされます。

間違いなく、人生において何らかの影響を与えてくれる一作だと思うので、気になったら是非読んで欲しいと思います。

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