私はこれまで占いというものをしたことが無い。
これは別段、それに抵抗があるからとか、スプリチュアル的なことに不信感があるからとか、そういうことではなく、単純に不幸な事を少しでも言われたら激凹みするという、メンタル的なあれである。
そもそも私のメンタルの耐久値はかなり低く、テレビの星座占いですらチラッと見ただけですぐにチャンネルを変えるまであるタイプであり、まさに世で言う豆腐メンタルここにありという感じなのだ。
そんなわけで私は未来の災厄への畏怖により、占いを遠ざけているわけだが、それとは関係なく手相に関しては、そもそも意味が分からなかったりする。
冷静にいくら考えても、手に刻まれた線で運命が分かるという理論が腑に落ちないのだ。
昔友人から聞いた所によると、運命を変える為に、手にあえて傷を付けた戦国武将もいるとかいないとか。
しかし思う。
そんなんありならもはや何でもアリなのではないかと。
そんな疑いと戸惑いを抱きながら、私は20世紀を超え21世紀まで生き永らえてしまったわけだが、2025年にして、考えの変化に至った。
手相ってもしかして人生の自由さを象徴しているのでは?
そう手相をもしキャンバスだと捉えたならばこれは、無限大に広がる可能性の宝庫なのだ。
そして手相は条件や解釈によって、様々な顔を私たちに見せてくれるまである。
例えば手にナイフで東京23区の地図を書き込んだ場合、その子は上京したてとて一気に都市のインフルエンサーだし、ゆくゆくは不動産業を開業、行きつく先は地面師たちだろう。
手に長い箸を書き込んだ場合、その人はその瞬間に何歳だろうがZ世代になる。
それはポテチやおせんべいを絶対に箸で食べ、何があろうと手を汚さないという宗教観を現わした紋章であり、選ばれしニュータイプの証だからだ。
もちろん自由であるということは手相の側にも相応の責任が生じる。
もし千手観音様が手相占いに来た時に、どうするのかというのがその最たる例だ。
まず果たしてどの手を占うのか?
1000ある中でなぜその一つの手を選んだのかという理屈を示せるか?
1000全ての手を見る時に、占いの料金はどうするのか?
この怒涛の如き疑問を全て理路整然と解決しなくてはならない。
もちろんドラクエのマドハンドが来た時は更に厄介な事になる。
手相なのか人面相なのか?
その二つの派閥の学術的な対立を先行研究から調べて、どちらも納得するような玉虫色の結末を自分の力で導かねばならない。
そして手品師が手相を見せに来た時には、もっと厄介な事になる。
これは個人差があると思うので、全員が全員そう思うかは分からない。
しかし私は、もし手品師の手相を見た時に、毎回毎回手相のしわの模様が変わっていないと納得がいかない。
もしのっぺりと人の良い顔で、毎回何も変わらない凡庸な手相を見せつけてきたら、私は、そいつののっぺりに唾を吐きかけ、このペテン師豚野郎と罵詈雑言を浴びせかけるだろう。
手相の魔の手はもちろん、あの国民的なネコ型ロボットにも迫る。逃げることは出来ない。
もしドラ氏が町中で、ニヤニヤした顔で悪魔手相師、通称「デビルハンドラー」にあったら最後だ。
ピエロの仮面を被ったデビルハンドラーはドラ氏を空き地の土管に押し込み、手だけを出させて、そこに紫色の筆で、悪魔の手相を書き込む。
その直後、ドラ氏の青い輪郭は紫に変わり、背中から黒い羽が生え、のび太の将来は地面師へと導かれることになる。
しかし案ずることはないかもしれない。
悪魔が世にはびこる時、そこには神の摂理も同時に現れる・・・
ある時、メガネをかけたまるでイギリスのギムナジウムから出てきた天使のような少年が、全てに絶望しアルコールに逃げ、路上に転がっている老人の手に、それを書く。
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そうそれは神の祝福の数式である。
それが書かれた瞬間、老人の姿は若返り、世界から邪悪な意志は浄化され、人々は優しいぬくもりの光に包まれる。
私は今、これを書きながら予感に震えている。
その日が訪れる日は近い。