<雑記>納豆核

雑記

私は毎日欠かさずに365日、納豆を食べている。

晩ご飯の際、二杯目のご飯で必ず納豆をかけることは、もはや日課というか生活の所作の一部となっており、その静寂で無駄の無い動きは芸術とさえ言ってもいいかもしれません。←何言ってるのかさっぱり

さらにすごいのが、私は納豆を健康にいいから食べているわけでは全くないことです。

そう私は単に「なんとなく美味しいから」という理由でぼんやりと納豆を口に運び続けてきた、無作為の発酵豆の使徒なのです。

自分でもこんなにぼんやりとした理由で、一つのことを毎日続けられることに若干の驚きの念は禁じえませんが、えてして長く続く習慣というものはそういうものなのかもしれません。

さてそんな私ですが、まあ心が弱いです。恐らく心だけを取り出し机の上に並べて見て、明らかに虚弱で薄い青色をしているのが私の心でありましょう、それくらい繊細でブロークンなマイハート。

そして私はさして体力もありません。落ち着きはないが、すぐに疲れて寝る。そして体力が回復したらうろちょろして寝る、という何の生産性も無い反復動物のような脊髄的存在です。

そんな「心」も弱く、「体力」もない私に当然「技」なんてあるはずないので、私は「心」「技」「体」の全てが欠損、基本能力の三枚落ち状態で、人生という過酷な竜王戦に挑んでいるわけです。

さてそんな吹けば飛んでしまいそうな私をギリギリの所で、現世に繋ぎとめているのが、冒頭で話した納豆の力ではないか。最近私はそんなことを思っています。

誤解を恐れずに私の脳内のイメージを今から書きます。

私がこのおおよそ30年の間、摂取し続けてきた納豆の力。

それは私の胃の奥の形而上的な深い部分で凝縮された核になっています。これこそ私を最後の最後に支える「納豆核」。

例えば体力がへとへとで倒れそうになった時、最後の最後に地面に手をつき立ち上がる力を与えてくれる、それが「納豆核」。

人と社会に傷つけられ、このまま太平洋の藻屑に消えてしまいたい。そんな時に粘り気のある優しい糸で地面への愛を思い出させてくれる、それが「納豆核」。

そう思うと、こんな弱い私がここまで生きてこれたのはすぐそばで「納豆核」が支えてくれたからなのかもしれません。

私は今後の余生は、私の様に納豆核を抱え、それでどうにか持ちこたえている人々を探す納豆核ホルダー探しをするのもいいかもと思っています。

思えばマーベルの手から糸を出すアイツも、能力はクモのおかげだと思い込んでいるだけで、実は納豆の力が顕現した納豆ホルダーに過ぎないのかもしれません。

さらに考えるなら、宇宙世紀が目指したニュータイプという存在は、シナプスという糸を通じ全ての人の気持ちをひきわり納豆の様に理解出来る、納豆ホルダーの事を指しているのかもしれません。

ああ!自分の人生を支えてくれし納豆と、いずれ世界の人々を繋ぎ合わせる納豆ホルダーという存在に恵みあれ、そして世界に納豆の優しい粘りと光が降り注がん事を!

(そういえば旅行に行くときとかは、納豆を一口も食べてないですなあ)

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