実は私、先週の金曜日から、胃腸に異変を感じ体調を崩していました。
そしてこの原因に関しては、もう完全なる自己責任であり、だらしなさの極み。
私は普段はマイカップを毎日綺麗に洗っているんですが、疲れていて、本当にたまたま二日間、麦茶を放置していたのです。←必死の弁明
そして金曜日、ふと急にファンタオレンジが飲みたくなった私は(なぜか定期的に飲みたくなるのです)、二日間寝かせた菌的なものが培養されたコップの麦茶をささっと流し、そこにファンタを入れて飲んだのです。
まず飲んだ瞬間に、「あれ変な匂いがするな」というファーストインプレッションがくっきりと鼻に存在感を持って突き付けられたわけですが、華麗にスルー。私はそのまま飲み続けました。
さて2時間後、お腹に違和感を感じます。痛いわけではなく何か気持ち悪い感じです。
その日はそのまま違和感を抱えたまま過ごしベッドに入ったわけですが、夜に怪物たちのパーティーが盛大に幕を開けました。
とにかく常に腹が張っていて、そして常に気持ちが悪く、じんじんするような痛みがするのです。
質が悪いのが、別にお腹は下さないし、吐き気はしないこと。
良いにしろ悪いにしろ、こういう時には、出す物を出してしまえば楽にはなるわけですが、それも出来ず症状が拷問のように続くのです。
私は翌日の朝まで、7時間連続で苦しみ続け、朝方にはとうとうこんな嘆きが口から出ていました。
「こんな苦しみが続くなら、ワシは腹を切る。誰か介錯をしてくれ」
徳川家康は意外と気が短く、ピンチになるとすぐに「腹を切る」とおっしゃったわけですが(謎の尊敬語)、今ならその気持ちが分かります。中途半端に留め置かれるくらいなら、いっそすっぱりとさせたい。
体調不良時の、私の常套戦略である。ビタミン剤を1時間ごとに飲んで汗を流すという荒業すら全く歯が立たない今、私は素直に病院に行くことに。
その病院は初めて行く場所だったのですが、先生が良い感じでフランクで、とても雰囲気が自分に合っている感じでした。(病院でこんなことを思うのは珍しい)
血液を検査すると、すぐにやっぱり細菌が胃腸に入ってることが判明。先生は私の不衛生な経緯に笑いながらも抗生物質を処方してくれました。
薬をもらい、帰りにバナナとプリンとアクエリアスという病人三種の神器を買い、抗生物質を取ると徐々にですが、気分が楽になってきました。
そんなわけで無事に事なきを得たわけですが、抗生物質は5日間飲まねばならず、私はまだ初日、楽になったとはいえ胃腸の気持ち悪さはまだ明確に残っています。
私は小学生や中学生の時に、風邪を引いて家で過ごす時間が好きで、ぼーっとしながらゲームをしたり、家に漫画を読み返したりするのが楽しかったのを覚えているのですが、衝撃なのは胃腸が調子が悪いと、ありとあらゆる全ての古今東西、神羅万象の事象に全くやる気が起きないということです。
私は休日でも、ぼーっとしている時間は割と少なく、本を読んだり動画を見たりしているんですが、今回初めて、全く何もせずに家にいるという経験をしました。
そしてそれが私にとっては地獄。何もしないのは嫌なのに、全く何もしたくないのです。
私は深く深く実感しました。人間の根本は胃腸なのだと。
私はどんな高熱やインフルの時でも、自分が好きな動画を見る事くらいは出来ました。しかし胃腸の気持ち悪さは、私を全ての行動から隔離命令を出します。
考えてみると、人間は食べ物の栄養を血や肉に変え、運動のエネルギーもそこから得ています。そのエネルギーを取り込み整える器官である胃腸は、どう考えても最重量級のポストであることは間違いありません。
そう思うと、私は食べたくもないのに暴飲暴食をしたり、3食をファーストフードで済ませたりと胃腸に関して礼を失した態度を取り続けていました。ここに私の胃腸に対し、深く深くお詫びを申し上げます。
そんなこんなで抗生物質を飲み続け1日空けるとようやく色んな事に対するやる気が徐々に出てきます。
私は最近、村上春樹さんのエッセイをかなり読んでいるのですが、先週の金曜日に手もちのエッセイが切れてしまい、本屋で村上春樹さんが翻訳したレイモンド・チャンドラーの「ロング・グッドバイ」を購入していたのですが、これが私を救いました。
文体やストーリー、主人公のフィリップ・マーロウのキャラクターが心地よく、胃腸をやられてから初めて、本当の意味でのリラックスや知的快楽を得ることが出来、幸せを感じることでが出来ました。
大げさではなく本当に、こういう本が読めるなら人生というのは捨てたもんじゃないなと思えたのです。(それくらい胃腸をやられると幸せを感じられず、苦しいのだ)
そんなわけで、私は今、ようやく体調が万全に戻りつつあるわけですが、今の私は胃腸を我が子のように慈しみながら、チャンドラーを優雅に読んでいるのです。
皆さんも胃腸にご自愛あれ。