<雑記>そろそろジャムおじさんについて本気で考えるタームが近づいている件について

雑記

そろそろジャムおじさんについて本気で考える時が近づいているのではないか。

タイトルをそのまま繰り返した冒頭になっていますが、私はそう考えています。

国民的アニメである「アンパンマン」

しかし皆、薄々と気づいていながらスルーしていた問題がいよいよ重要性が増している。

それはジャムおじさん・バタコさん問題である。

まず最初に、あのアニメは、パンであったり丼であったりと、その名前をもじったキャラが登場し、そして必ず顔面や体のどこかにそれらの食品的要素が入っています。

つまりは人間と食品のハーフ、もしくはクォーター的な人種の群像劇がアンパンマンの世界線だと言っていいです。

しかしあのジャムのヤロウやバタコは、この世界線を攪乱している混乱要因です。

そうあいつらは、どこからどうみてもただの人間に過ぎないのです。

外見からジャムやバターという党派色を薄め、あたかも自分は無所属で選挙に出ていますかのような態度でいるあの二人。

そろそろ我々は本腰を入れて彼らについて思索を重ねる時でしょう。

まず考えられるのは、体のどこかに実は特徴が隠れている可能性です。

もしかしたらジャムのやつはヘソの部分にこっそりジャムを溜め込んでいるのかもしれませんし、もしくは背骨の一つ一つの骨がイチゴジャム、オレンジジャムのような瓶が埋め込まれている可能性もあります。

もしくは体の外部的特徴ではなく、内臓や血液など循環系にその要素が秘められているかもしれません。

よくよく考えれば、ジャムは液体ですし、バターも溶かせば液体になるというトランスフォーメーション形態を保持しています。

そう思うとジャムおじさんの血液がイチゴジャムでドロドロである可能性は否定出来ないし、脳髄がオレンジジャムでイケイケハピハピであったとして、誰もジャムのやつを責めることは出来ないでしょう。

もしくはジャムおじさんや、バタコさんの名前の由来は内面に由来しているのかもしれません。

職員「掃除終わりました」

バタコ「なるほど、これがあなたの中で終わったことになるのね」

職員「すいません」

バタコ「別に責めてるんじゃないのよ。ただこんなに埃が残っているのに、その大胆さがすごいわあと思って」

職員「・・・・・」

バタコ「きっと、素敵なご両親に育てられたんでしょうね」

↑とこのように、実に粘着質でぬめぬめしていることから、裏でバタコと呼ばれるようになったのが定着したのかもしれません。

とはいえ、やはり内面だけでジャムおじさん、バタコさんという名が定着するにはかなりの時間を労するような気がします。

そうなるとやはりジャムおじさんの「ジャム」は、称号や肩書である可能性が高いのではないでしょうか。

おそらくあの世界には冠位十二階ならぬ、ジャム十二階なるランクが歴然とあるのでしょう。

「ジャム」はその中でも最低ランクです。

つまり世の中にはジャムおじさんより冠位が上な「コンフィチュールジャムおじさん」「自然あんずジャムおじさん」「パッションフルーツジャムおじさん」「ハニーメイドジャムおじさん」なるものが存在すると考えた方が論理的整合性は取れているといえるでしょう。

そうなってくると可能性は天文学的に広がり、インドでは「チャツネおじさん」、シンガポールでは「カヤジャムおじさん」、ロシアでは「ヴァレニエおじさん」、アゼルバイジャンでは「ナスジャムおじさん」となり、この多様性の世をしっかり反映しています。

さてここまでジャムおじさんについて考えてきて、ようやく光明が見えてきたわけですが、私はさらなる問題点に気付いてしまいました。

果たして「ママレード・ボーイ」とは一体何なのかということです←もういいわい

(おしまい)

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