現在、私は考察の為、ドストエフスキーの「地下室の手記」を再読しています。そしてこれがもう、めちゃくちゃ面白い。
↓ようやく考察をアップしました。良かったら見てね
ドストエフスキーは、文章が体になじんでくると、非常にクセになり、かつ内容的にも最高峰の体験が待っているのですが、いかんせん長編は全て長い!
私も3年くらい「ドストエフスキーの五大長編を全て読む」という読書目標を立てていましたが、私が一つのことを続けるのが苦手な飽き性ということもあり、昨年ようやく達成したという始末。
しかし「地下室の手記」に関しては、量的にも中編で、かつ非常に読みやすいです。それでいて、ドストエフスキーの魅力が存分に抽出されている作品なので、初めて読むのは本作が一番いいのかなと思います。
本作の主人公は、元役人で今はペテルブルグの屋敷に引きこもっている男なのですが、第一部では独特な論理や人生観が語られ、第二部では過去の具体的なエピソードが語られます。
本作は読む人によっては、腹がよじれるくらいのダメ人間コントにも見えますし、ねじれまがった自意識と思考を高度に重ね合わせた、悲哀的哲学小説にも読めます。(私はその両方の要素を楽しみました)
本作の主人公はとにかく、自意識が高く、かつあれこれ先回りして考えて、論理に論理を重ねていくので、とにかく主張がいったりきたりします。
人生におけるやり手タイプの浅はかさ、本当に賢い人間は何も出来ない等々、人によっては言い訳ばかりに聞こえるかもですが、不思議なのはその理論に一理あるかもと思わせる真理の欠片みたいなものも入っていることです。
そして最高なのは第二部です。自意識の変転により、痛々しい行動がこれでもかと続きます。
両肩を掴まれ別のところに物のように移動させた将校に復讐するためにつけ回したり(なのに決心が全然つかない)、明らかに疎まれている同級生の集まりに顔を出したり、その屈辱の腹いせに売春婦に説教をしたりと、もうダメクズ人間過ぎて笑えてきます。
しかしすごいのは、そのエピソードの中に、普遍的で人間が抱える本質的な欠片みたいなものの輝きが見えることであり、それこそがドストエフスキーの唯一無二な魅力の様な気がします。
おそらく今月中には考察をアップすると思うので、もしよかったら見て下さい。かつドストエフスキー作品を読んでない、もしくは今から読もうとしている人にとって本作はとても良いと思うので、気になったら是非読んで欲しいです。