「月の満ち欠け」は佐藤 正午さんの長編小説で、直木賞を受賞した作品です。
幾重にも重なり、受け継がれていく愛の物語を自分なりに考察していきます。
ネタバレが嫌な人はここでストップしてください。
ざっくりストーリー
小山内堅は、妻の梢、娘の瑠璃と幸せな暮らしを送っています。
しかしあるとき、瑠璃が1週間の高熱を出します。
回復するものの、その後の娘の様子がおかしい。
ぬいぐるみにアキラくんと名付けたり、やたら古い歌を口ずさんだり・・・
妻の梢は、娘に前世からの記憶や何かが引き継がれたのではと疑いますが、堅は取り合いません。
そしてある時、交通事故で妻と娘は帰らぬ人になってしまいます。
そして15年後、訪ねてきた緑坂ゆいと娘のるりから、正木瑠璃と三角哲彦という男女から端を発する30年にもめぐる生まれ変わりの話を聞くことになるのです。
瑠璃の抱えるもの
この物語の核になる人物が、その後、何人もの少女に生まれ変わることになる最初の「瑠璃」こと27歳の主婦、正木瑠璃です。
彼女がなぜ、何回失敗しても生まれ変わり続けたのか?というのが個人的には物語の核だと考えています。
彼女は幼いころに両親に捨てられており、祖母に育てられました。
両親の愛という最初の愛を満足に得れなかったことが彼女の人生に影響を与えています。
印象的なのが、幼いころに靴を履くのが恐かったというエピソードです。
外へ出る象徴、社会へ出る象徴としての靴。
ここに愛情の不足ゆえの、自分への自信の無さをどうしても見てしまいます。
また、彼女が過去を述懐するときに、祖母のような退屈な人生になってはいけないという思いや、真面目にやることに対する抵抗の心情を語りますが、ここには社会が女性は輝いていなくてはいけない、個性が何よりも大事だというような時代の無言の圧力や刷り込みを感じている様に思えます。
そして結婚した彼女は、家庭というテンプレートの牢獄に囲われるわけですが、自分は正木瑠璃という女性は戦後の日本社会が抱える家庭や女性の苦しみを象徴しているように感じるのです。
三角哲彦という人
人妻である正木瑠璃と恋に落ちる大学生、三角哲彦くんは、優しくて、そして繊細な感性の持ち主です。
名前に哲学の哲の字が入っているだけあり、人の微妙な感情や心理に思いを馳せることが出来ます。
瑠璃が「命」という文字がたまに思い出せなくなるという話に関しても、通り過ぎるようにスルーせずに、瑠璃の思いや言葉の背景を考えます。
後述する瑠璃の夫の竜之介は、実務的なことしか思考出来ないのに対し、哲彦は情緒や感覚を繊細にキャッチ出来る思考回路を持っています。
瑠璃と本当の意味で思いを通わせたのは彼だけであり、彼の送った短歌が瑠璃に生まれ変わりを宿命付けているわけで、哲彦は瑠璃にとってニセモノでない本当の王子だったわけです。
そして次の項目ではニセモノの王子について語ります。
正木竜之介という罪
この話における諸悪の根源、それが瑠璃の夫、竜之介です。
少し言い過ぎじゃないかと思う人もいるでしょうが、個人的に読んでいて本当に竜之介にいらいらしたので、かなり厳しい表現になるのをお許しください。
学生時代はラグビー部で活躍し、人格も申し分なく、記憶力も良い。
大手工務店に採用され、一級建築士の資格も難なく合格するという、絵にかいたエリートです。
そんな彼の悪い点をここから次々に指摘していこうと思います。
まず彼は基本的に自分のことしか考えていません。
瑠璃のことも自分の人生を彩る道具の一つ、というより妻という「女性カテゴリー」の中から一番自分にベストで、欲しいものを選んだだけなのです。
つまり女性を道具としか見ていないわけです(愛人に対しても外見の容姿に対する言及ばかり目立つ)
そして非常に合理的な思考をするため、自分の人生のスケジュールをしっかり組み立てています。
重要なのはそれが自分一人だけのスケジュールであり、瑠璃の気持ちは全く考慮されていないことです。
だから、機械的な夜の営みをルーティーンのように瑠璃にこなさせるわけで、後半に至ってはもはやレイプと大差がないように思います。
タチが悪いのが、こういう男はやたら自分に自信があるということです。
そして自信のある男というのは魅力的に映ってしまうもので、心に弱く柔らかいものを抱える瑠璃は、「僕なら、瑠璃さんを救い出せると思う」という何の中身もない言葉に引っかかり、結婚してしまうことになったのです。
そもそも彼が考えていることは社会や世間が提示したテンプレートの幸せであり、本当の意味で、物事を考える能力はありません。
しかし実務的な思考は得意なので、順調に社会を駆けあがっていく・・・
自分はここに戦後社会の男性や父親が抱える、想像力の欠如という罪が象徴されているように思います。
女を物としか考えない、ニセモノの王子。
それが正木竜之介だと思います。
受け継がれるもの
瑠璃を生まれ変わらせることになったのは、哲彦の短歌でした。
つまり、言葉であり、そして思いです。
一つの歌が、彼女に強烈な意志を植え付けたのです。
最後に、二人は何人もの生まれ変わりの末に出会うことになります。
対照的なのは、竜之介で実務や合理性に長け、思いを理解出来ない男は、悲惨な最後を遂げます。
この小説の対立軸にあるのが、思いや情緒VS想像力の無い合理性だと個人的に思うのですが、その意味で中間の普通の一般の感覚を象徴するのが、小山内かもしれません。
小山内は、自分の死んだ妻の梢も生まれ変わっている可能性に対し、一理あるかもという考えに変化します。
小山内からこの物語を見ると、妻に言われても不確かな概念を認められなかった男が、違う価値観に少し寄り添えるようになった話とも受け取れます。
瑠璃と哲彦が辿った30年を眺めた時、命に受け継がれるものというものの本質は思いなのだということを改めて感じさせられます。
より合理的で実務的で役に立つ、利用の価値があるものを重視する昨今に対し、思いや言葉の力を再確認させてくれる本作に感謝して、考察を終わります。