<考察>「くっすん大黒」 ダメ人間たちの不思議なワンダーランド

考察

「くっすん大黒」は町田康さんの短編小説です。

どこかしら奇天烈な人たちが転がるように世の中を生きていく様を、独特な言葉とテンポで描いていて、気付いたら文字を追うことがやめられなくなってしまう!

そんな圧倒的な牽引力を誇る本作。


なので、実際読んでもらうのが一番いいのですが、面白い作品は是非紹介したいので、今回は考察と感想の、中間の様な感じだと思って読んでもらえたら嬉しいです。

以下、物語の重要な部分に触れることもあると思うので、ネタバレが嫌な人はここでストップしてね。

ざっくりストーリー

主人公の楠木は、仕事をやめて3年間、毎日酒を飲んでぐうたら暮らしていました。

あるとき部屋にあった大黒様の置物が目にとまり、その実に不愉快きわまりないへらへらぶりに、どこかへ捨てることを決意します。

いろいろ考え、不法投棄しようとするものの、警察に見られたりしてなかなか捨てることが出来ません。

結局は、年少の友人、菊池に大黒を渡すことに成功したものの、古着屋での奇妙なバイトや、蛸に関する作品を作っている上田なる人物のビデオ作品に参加したりと、どんどん変な方向に物事が流れていきます。

そんな出来事を、楠木のモノローグを通じて愉快に描いているのが本作です。






豊かな視点

この作品は、主人公の楠木のモノローグで進むので、楠木の視点から物事を眺めることになります。

楠木は、そこから見える景色をプライドや意識で脚色せずに、ありのまま眺め、そこからさらに独特の思考を重ね、行動を決定していくので、物事があらぬ方向へどんどん流れていきます。

奇天烈な思考を持つ人が、色んな事を考えた上でドツボにはまっていき、そしていろんな種類の奇天烈な人たちと出会っていくわけですが、そこには悲惨ではあるけど、どこかしら愉快な豊かさがあります。

プランターに大黒の置物を捨てたものの、レイアウトが気になり調整してたら、警察に尋問を受けたり、駅の売店脇のごみ箱に捨てようと思ったら、結婚式の引き出物の上に、反吐や大便が巻き散らかされており、その情景から、引き出物を配った新婚夫婦が、いかに憎まれているかを妄想したり等

楠木自身が、妄想豊かな人間で、奇天烈な思考を持っていながらも、自由な鷹揚さを持っていて、見ているこちらを愉快な気持ちにさせてくれます。

他にも、古着屋の吉田とチャアミイとかいうおばさん二人や、蛸の作品を作る上田や、それを信奉する桜井など、この作品は奇天烈な人たち、どこかしらダメな人たちのオンパレードですが、それを見る視点に、不思議な自由さ、寛容さが含まれていて、このダメさという豊かさが、人生っていいものかもなと思わせてくれるのです。




片隅のカルチャー

楠木は、愚にもつかぬたわごとを、レコードに吹き込んだり、カメラの前で、命じられれるまま右往左往したりする仕事を3年前までしており、映画作品(自身でZ級と表現している)にも出ていたと劇中に書かれています。

おそらくサブカルチャーでも、さらに片隅の方で活動してるタイプの人だったのではと思います。

また、物語終盤で登場する上田は、蛸を題材にした前衛的な作品を作るアーティストです。

両方ともメジャーには見向きもされないものの、楠木にも、過去の作品関係で訪れる人がいたり(菊池ともそれで友人になった)、上田にいたっては、女性たちに宗教的に祀り上げられてすらいます。


ここには、「普通の人とは違う」という奇抜さだけに対して群がる人々の滑稽さを、シニカルに描いているのと同時に、どんな変なことをやってても支持してくれる人がいるという側面の両方を描いていると感じました。

ここにも、片隅に生きる人に対して、面白がりながらも受け入れている、寛容な豊かさを感じるのでした。




そこからしか見えないもの

無職の楠木、ろくに学校もいかない大学生・菊池、奇妙な発言ばかりするチャアミイ、上田を熱烈に信奉する桜井・・・

この小説に出てくる人たちは、いわゆる世間でいう普通でない人たち。

ありていにいえば、どこかしらダメな人たちです。

しかし、彼らが見ていたり、取り巻く世界は、とても滑稽ですが、なんか楽しそうなのです。


いい大学に入り、いい会社に入り、港区やらの高級マンションで暮らす・・・

こういう生活も素敵だし、悪くないですが、こういう幸せはある意味、物に規定された幸せで、便利ではあるけども豊かではないのでは?と思ってしまいます。

少なくとも、夜景が見える最上階の部屋でワインを飲むよりは、プランターで大黒様のレイアウトを考えてる人の方が、個人的に好きだし、豊かだなあと思うのです。

人はお金があればあるほど、物に依存して、いろんなことを考えなくなり、逆にお金がないと、考えざるをえないので、いろんなことを考えるようになります。

そしてその切羽詰まったところから出る思考や工夫が、物からくる豊かさではなく、精神面での豊かさを形作るのかなあと感じます。

物語終盤の、亀がポンポン爆発する場面も、現実で本当に爆発するのかどうかはともかく、彼らの今までの思考や行動から考えれば、そういうことが起こることもあるだろうなあと思っちゃいます。

ただ、間違いなく、マンションの最上階では亀が爆発することはないでしょう。


私自身も、思考回路が気持ち悪いとか、意味が分からないとか、視線が宙をさまよいがちと言われて生きてきたので、この小説の人物達の気持ちが我が事のように分かる部分もあります(全く理解出来ないこともある笑)

色んな事をきっちりきっちりして定規のように、息苦しく生きる様な生活よりは、ダメなところを認め合い、笑いあえるような世の中の方が楽しいし健全だよなあとも思います。

そもそも人間絶対何かしらダメな部分があり、ダメな部分が無い人の方が逆に異常でダメな人なのではとも思うのです(言葉がこんがらがっている模様)


そんな意味でも、本小説はダメ人間たちの、滑稽で愉快な世界を体験させてくれ、かつそこにある寛容さ、自由さを味合わせてくれる最高のワンダーランドだと思いました。

今でも広く読まれている本作ですが、世の中に町田さんの小説のエッセンスがもっともっと広がって、生きづらい世の中をもう少し生きやすく変化していくことを願いつつ、本考察を終えます。

何だかよくわからないモノを目指し、ブログやってます
本の書評や考察・日々感じたこと・ショートストーリーを書いてるので、良かったら見て下さい♪

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