<姉>
下駄箱を抜けて、段差を上がり本格的に敵の居城に入る。明らかに緊張感が増したのを肌に感じる。
しかし普段見慣れた場所も、夜であるだけで、こうも印象が変わるのかとびっくりする。
左の角を曲がり職員室に着く。ドアに手をかけるが、さすがに開いていない。
さすがに職員室まで無血開城とはいかないことは織り込み済みだったので、特に驚きはなかった。
しかし、職員室と言えば教員の溜まり場だが、果たして本当にいるのは教師だけなのだろうか?
そもそも教師のたまり場なのに「職員」という間口の広い言葉を使っていることに、うさん臭さが漂っている。
私は、昼にここにいる教師という人種に、有意義なことを何一つ教わった記憶がない。
冷静に考えれば考えるほど、教師というのはカモフラージュされた偽の姿の可能性が高い。
もしかしたら、夜こそ本当の意味の「職員」がいて、この中にいるそいつが、有機物を練り上げて一から、教師人形を生成しているのではないだろうか?
そう考えたときに、背筋に悪寒が走り恐怖に足がすくんだ。
ついでに恐怖を覚えたのは有機物教師にではなく、カモフラージュという現象や手段についてだ。
例えば私は母が好きである。
しかしもしも母が急に「私が太陽の塔の本体なのよ」と、不意に擬態を打ち明けられた時に、私は愛を継続出来るだろうか?
ここであえて言うまでも無いが、私はあのモニュメントが、何かから目を逸らすためのカモフラージュであり、本当の狙いや本体が別にあることは早い段階で気付いている。
だが、その本体が身内というのはなるべく避けたい事実だ。黒幕はなるべく血縁以外でお願いしたい。
そんなことを考えながら、足は自然と階段のほうへと向かう。
実は私の目当ては職員室ではなく別のところにある。
それは夜の学校の主役と相場が決まっている存在、すなわち化学室である。
まさに王道中の王道だが、だからこそ序盤でつぶしておくべきスポットなはずだ。
王道があるからこそ奇道が光るもの。ここらで王座まで続く赤絨毯にも、一定の配慮を示す必要があろう。
3階に上がり、左にずっと進む。すると清潔で機械的な教室たちの中で、明らかに異質な古ぼけた木の壁が見えてきた。
このオンボロな木材で囲まれた教室が、私のお目当ての化学室だ。
実はこの学校は、数年前に建て替えレベルのリフォームをしたのだが、なぜか化学室だけはその恩恵に一切預からなかったのである。
ただしオンボロとはいえ、化学室は薬品を扱うだけあり、いつも鍵がかかってはいる。
がしかし、そもそもドア自体がガタガタで今にも崩れ落ちそうだったし、今の私の勢いとコンディションであれば、扉は自ずから開かれているのではという気もしており、悲観はしていない。
むしろ何とかなるのではという心地よい楽観が、血のめぐりを良くしている。
いよいよ、化学室の前まで来る。
私は優雅な足取りで立ち止まり、その光景を余裕をもって見下ろす。
するとそこには哀れな鍵の土台がそのまま取れ、野ざらしの死体のように床に転がっているではないか。
案の定、ドアはほこりを放ちつつ簡単に開く。
こうなると自然に笑みがこぼれてくる。
今の自分のパワーを確信し、自然と拳を握る私。
いよいよ私は、新しい科学の扉を開けてしまうことになりそうだ。
半分開いたドアの前で、乱れて目先にかかっていた髪を整える。そしてしっかりと深呼吸した後に、化学室に入った。