「老妓抄」は大正、昭和期に活躍した小説家の岡本かの子さんの短編小説です。
文豪としてもそうですが、芸術家の岡本太郎さんのお母さんとしても有名です。
年老いながらも、生命力あふれる芸妓・小そののしなやかな狂気を描いた本作を自分なりに考察していきます。
ネタバレが嫌な人はここでストップしてね
老妓・小その
この小説は、ある程度の財を築いた老妓の小そのが、出入りしていた電気器具屋の青年・柚木の夢に目をかけ、生活を保証し、柚木の発明を援助することになったことをきっかけとして、そこからその後の経過や人物たちの心情を描いていく物語です。
なので、まず小そのとはどんな人かというところを見ていきましょう。
小そのは、先輩の芸妓も、勉強にと話を聞きにくるほどの話術の持ち主です。
話相手を抱腹絶倒させることもしばしばで、芸妓としての実力や、努力を重ねていたことが伺えます。
さらに新しいことへの好奇心も持ち合わせており、電気の器具の関係のことも進んで取り組み、知識を得ます。
小そのの特徴としては、過去を思い出すことはあっても、そこに安易な判断や思い込みを持ち込まないところにあると思います。
後輩の芸妓が「姉さんの時代の、のんきな話を聞くと、今の働き方が、がつがつに思えていやになる」と言った時も、「この頃はこの頃でいいところがあり、電気のように話がはやく、そしていろいろの手があって面白い」と安直な過去の美化をせずに、現状を肯定的に返しています。
努力する力と好奇心を持ち合わせ、現状に合わせて進化するバイタリティも持ち合わせる老妓、それが小そのです。
夢追い人・柚木
電気器具屋で働いていた柚木は、自分の独創的な発明を社会の役に立てたいという野心を持っています。
小そのの援助を受ける前までの柚木は生活するお金を稼ぐことに追われており、いつも自分の発明に没頭出来る環境があればなあと考えていました。
それが小そのとの出会いにより唐突に実現します。
しかし援助が決まってからの半年間は、幸福な時間を過ごすものの、次第に自分の発明はすでに特許されているのでは、そもそも社会に役に立つのかという思いがむくむくわき、何か一人とんでもない方向へ向かっているのではないかという不安が浮かんできます。
さらに、自分の楽しみの映画や酒場に行くくらいのお金なら、小そのが簡単にくれるので、娯楽面でも常に渇きを感じることなく満足が得られることが、逆に欲望そのものを中和してしまい、さらなる退廃の感情の中に入り込んでしまいます。
この、柚木という人物は、今に通じる夢を追う若者の微妙な心理をよく捉えているなあと思います。
自由な時間があり、好きなことが出来る環境が整った時に、それに取り組むのは、実はかなり意志が強くないと難しかったりします。
中途半端な心だと、どこかやらない、出来ない言い訳を探したりして、怠惰な方に流れていくものです。
また考える時間が増える分、世間の標準や世間体等と、自分の今の現状を比べてしまい、不安に襲われる回数も自ずと増えます。
息抜きの娯楽に関してのお金も自分で稼ぐ必要がないわけで、この環境で自身に活力を与えるのは発明に取り組むこと以外無いわけです(言い訳できない)
しかし、柚木は中途半端、というよりはいわゆる夢見勝ちな普通の若者なので、強靭な意志や狂気みたいなもので突き進むのではなく、肉体と精神を流れるままに流してしまっている・・・
そんな状況ではないでしょうか。
ありふれた形式とは
小そのと柚木の他に出てくる人物で、物語で一定の役割を担うのが、小そのの養女のみち子です。
小さい時から芸妓の世界を見てきたみち子は、流し目などの情事の形式だけを覚えてしまい、気まぐれに柚木の気を引こうとします。
まあいわゆるマセガキというやつです。
最初はほとんど相手にしていなかった柚木ですが、自身の退廃や、感情の流れに身を任せる中で、少しずつ彼女が意識に上るようになっていきます。
あるとき、ふとした小じゃれあいが発展して、柚木とみち子に男女としての関係が生まれそうになります。
これだけなら小説でも、現代でもよくある話ですが、特筆すべきは、その後に来る小そのの言葉です。
「気れっぱしだけの惚れあい方なら世間にいくらもあるし、つまらない。私自身もそんなことばかりで苦労してきたし、それなら何度やっても同じことだ。仕事にしても恋愛にしても、私は混り気のない没頭した一途な姿が見たい。あせらずに心残りがないものを射止めて欲しい。」
要約するとこんな感じですが、小そのは柚木とみち子の関係が、本気ではなく若さや環境に準拠したありふれたものだと見抜いています。
そしてそんなありふれた形式ではなく、本物を射止めよ!と言っているわけです。
流し目などの形式だけを身につけたみち子やみち子とのエピソードをありふれた形式の象徴とすることで、対比として、純粋な到達点としての本質を志ざす小そのの、きりっとした峻厳さが光ります。
貪欲な精神
柚木が物語後半で、小そのの狙いを「自分が出来なかったことを俺にさせることだと分かってきた」と言います。
しかし、小そのが求めている物は、お金や物欲的なものではなく、純度の高い精神的な境地であり、妥協を許さない何かです。
たいてい夢であれ何であれ、どこかであきらめたりして折り合いをとっていくわけですが、小そのにはそれを求めていく貪欲さがあります。
しかし、小そのは芸術という1点を目指し、生活や体を崩して、崩壊していくというタイプではありません。
現実の生活もしっかり送りつつ、努力も出来る。
小そのはバランス感覚がありながら、その向こうにある突出したものを求めるしなやかな貪欲さを持ち合わせているのだと思います。
小そのが本当に柚木が画期的な発明をするかどうかを信じているのかどうかは、分かりません。
しかし重要なのは、それでも小そのが柚木を援助し、可能性を求めていく姿勢を崩さないことの方にあると思います。
柚木がその後、小そのの元からたびたび出奔して連れ戻されるのを繰り返すようになるのですが、普通の人間なら、怒りの感情が巻き起こるところです。
しかし、小そのは面白いことに、出奔のたびに柚木に尊敬の念を抱きます。
自分の想定外のこと、未知のこと、分からないことを遠ざけず吸収したい小そのの性格が、ここにも出ていて、ある種意表を突くような柚木の極端な行動に何か惹かれるものがあったんだろうと思います。
小そのは年老いて、現実的に出来ることが狭まってきたのを認め、哀しみをかんじつつも、好奇心を失わずに、そして貪欲に精神的な本物を求める為の行動を打っていくという、老害とは正反対の人間だと思います。
作者のかの子さんが小説家デビューしたのは晩年です。
これは推測ですが、小そのが本物の景色を求めて柚木に援助するのと、作者が自分を超えたところにある本物を求めて小説を書くことが、何かしらリンクしているのかもと個人的に感じました。
この作品は、読者に哀愁と力強さを感じさせ、人生の時間と景色に思いを馳せる感覚を想起させる様な深い味わいがあり、そしてそのほろ苦い後味が後を引く、心に残る傑作です。
岡本かの子さんの作品は他にも本当にいい作品が多いので、是非多くの方に読んで欲しいと思います。