先週アップするつもりが諸事情により出来なかったため、本記事は41話の雑感になります。
42話とまとめようとも思ったのですが、41話と42話で自分の本作への心証がかなり異なったので別の記事にします。
とりあえず41話は和田合戦。
とても見ごたえのある重厚な回でした。
和田と三浦と神罰と
帰った義盛は既に広元邸に家臣たちが向かっていることを知ります。
そして敵は北条であること、鎌倉殿ではないことを念押しして挙兵。
今回も義時のダークさが目立ちますが、実は約束を先に反故にしたのは和田方です。
ここらへんの細かい善悪バランス調整の絶妙なところが本作の魅力です。
さて義盛は三浦義村を呼び出し、腹を割って話します。
「向こうに付くなら、早いところ付いて欲しい。土壇場で裏切られたんじゃだまらない」
なかなか同族同士の熱いシーンにも見えますが、義村はあっさり幕府方に付く。
三浦にとって和田の名声は心地よくないでしょうし、政子の宿老取り立ての条件も重なり、もはや北条に付くメリットの方が遥かに大きい。
この時代を描く場合、この三浦がどっちに付くかの逡巡はもっと多く描かれそうなものですが、本作の義村の場合、これが自然です。本作は人間の心の動きにしっかり寄り添ってます。
そんな合理的な義村でも起請文を破る神罰は恐れている。
この時代には科学など無いわけで、これがこの時代の価値観です。
言い訳しない義時とへべれけの泰時
和田の挙兵を聞いて、すごろくをひっくり返す義時。
想定外の事態です。
本人も想定外ですが、政子に「和田を追い詰めて、思い通りになった」と言われても言い訳をしません。
視聴者からするとトウも引き上げさせたし想定外だったんだよ、と政子に言いたくなりますがこういう言い訳しないところが義時のダークさの裏にある魅力を裏打ちしてます。
驚き落胆する実朝。
さて泰時にも戦で西門を守ると言う重要な役割が与えられますが、まさかの酒でへべれけちゃん笑
これまであまりに優等生で個人的につまらなかっただけに好感度が上がります笑
理想とはかけ離れている現実を前に飲まなくてはやってられないのも分かるよなあ。
私の今の日本の現実政治への思いもこんな感じです←つらい
そして朝時は期待されててもふてくされてる泰時に「全く期待されてないものの悲しみを考えたことはあるのか」と投げかけます。
うん、やっぱり朝時は悩める考える人だな、ただの愚か者ではありません。
そしてそれをしっかり受け止めている泰時。
そしてそんなへべれけ泰時に水をぶっかける初。
初は絵に描いたような良妻賢母キャラですが、ここまでテンプレをやられると好きになっちゃいますね。
王道演出は強い。
今回、泰時は酒に酔っぱらいながらも強いという酔拳の使い手演出がこのあとも光ります笑
事実、承久の乱での活躍もあり、お父さんの義時よりも軍務は向いていた可能性もありますね、いいこちゃんの泰時が覚醒してました。
野性味溢れる原始的な戦いが熱い
さていよいよ和田合戦の開始です。
御所を襲う和田VS三浦。
人数が多い派手な合戦じゃないですが、その剣と肉体のぶつかりあいが熱いです。
戦において陣形や戦略みたいなもう一つ上のフェーズに突入するのは戦国時代の武田信玄や上杉謙信を待たなくてはいけません。
しかしこの粗雑さが逆に上がりますね。
機動戦士ガンダムにおいてはミノフスキー粒子という通信やレーダーを妨害する物質の設定を作り、ロボット同士がチャンバラをする必然性を作り出していましたが、鎌倉時代はデフォルトのチャンバラ時代。
画面越しに汗が飛んできそうなほどの戦の臨場感が最高です。
頼朝譲りの迷惑をかける遺伝子
八幡宮に集まる、実朝や北条など幕府首脳陣。
義時は、「大義名分もあり敵は和田一族だけだからこちらが有利」と分析。
ここで面白いのは実朝が義朝の髑髏を気にすることです。
現時点においてこの戦の決め手は鎌倉殿である実朝がいることであり、髑髏なんかどうでもいい笑
しかし謎にこだわり広元が取りに行く展開に。
大事な戦の時に、困った頼み事をする遺伝子は頼朝譲りです笑
そして謎の広元の活躍コント笑
こういう遊びがこのドラマの裾野を広げてます。
戦の大義名分を巡る戦略
義時は実朝に和田勢に加勢しようとしている西相模の御家人を止めるべく御教書を出してもらうように要請しますが、ここで三善康信が
「そうなると北条VS和田の合戦が、幕府VS和田になってしまう」
と懸念を表明。さすが実朝の家庭教師的ポジションだけあってしっかりとした助言です。
しかし義時は負けてません。
「和田は御所を攻めたのだから謀反以外の何者でもない。」
これは完全なド正論です。
そもそも鎌倉殿の館が政務の場としての鎌倉幕府の象徴です。
なので和田はもし御所を攻めるなら絶対に実朝を北条から奪わなくてはダメなのだったのです。
それに失敗してる時点で実は既に大義名分では負け戦です。
なので義時からしたら御教書を出して加勢勢力を引きはがすのは当然の戦略です。
関ヶ原合戦において豊臣方はどちらにも付かず、徳川VS石田の私戦という状態で戦は展開しましたが、和田はその状態にまで持っていけませんでした。
本作はこういう戦略の大義名分を巡る駆け引きがゾクゾクするほど丁寧に書かれています。
実朝、戦場に降り立つ
勝利を完全なものにするため実朝に戦への参戦を要請する義時。
心配する実衣とは反対に、政子は
「武家の棟梁が戦を怖がってどうするのです。その目で戦を見てらっしゃい」
と実朝を送り出します。
政子はただ甘えかす愛ではなく、実朝が正しい成長を遂げるように尽力しており、そこに本当の慈しみを感じます。
そして義盛の命だけは取らないでくれという実朝に曖昧な表情の義時です。
義盛への魂のメッセージと義時の苦しいプラン
戦場に降り立った実朝は義盛に魂の込もった言葉で降伏を呼びかけます。
「義盛、お前に罪はない。これからも力を貸してくれ。私にはお前が必要だ。」
そして胸を打たれた義盛も
「我こそは鎌倉随一の忠臣、胸を張れ」
そう答えて武装解除します。
しかしその義盛に無数の矢が放たれる。
「これが鎌倉殿に取り入ろうとしたものの末路!」
義時の強い言葉が矢のあとの戦場に響き渡ります。
唖然とする実朝。そして和田勢に次々と襲いかかる御家人たち。
そして背を向けてその場を離れる義時の目にも、涙が流れます。
ここでの出来事については確認に留めておいて、最後の項目で感じたことを書きます。
実朝の覚醒
義時の戦死者の報告のセリフが淡々と流れ、映像では悲惨な戦場となった鎌倉を目にする実朝。
実朝が生まれる前から多くの血が流れ、その犠牲の上に鎌倉は成り立っていると義時は語ります。
そして実朝と二人きりの場面。
「人を束ねていくのに最も大事なものは力にございます。」
義時が至った鎌倉政治の本質をここで語るわけです。
思えば義時も最初はいかに御家人同士が協力して幕府を運営するかに尽力していました。
しかし、ことあるごとに御家人の欲望の前での悲劇を目の当たりにして、そして現在ここに至ってるわけです。
だからこそこの発言は悲しいし重いです。
事実、平和を実現した江戸幕府だって初期は圧倒的な徳川一強の軍事政権でした。
さらにつらいのは、頼朝が上総広常の粛清をしたのを義時に見せたのと同じことを、今度は実朝にやる側になっていることです。
この「力」についての発言は、頼朝から教わったことを実朝に伝えたいという思いの表れでもあったでよう。
しかし、この義時の狙いは失敗します。
「これからは万事、西のお方。上皇様を頼る。」
「鎌倉に心を許せるものはいない。」
そう言った実朝の言葉は本心と義時への牽制の二つの意味がある気がします。
義時も最初は頼朝に反発していました。
そして実朝もまた力の倫理に反抗し、西との協調という一見すると華やかで穏やかに見える道に活路を見出したのでした。
泰時の開花と失敗に気付いている義時
義時への怒りを抑え、戦における朝時の活躍を報告する実朝。
手柄を朝時に譲り「役に立つ男になってくれ。」
とそう朝時に言う泰時の顔には覚悟が見えます。
父を超えるためには力を蓄える必要がある・・・・
そんな覚悟を決めたのではないかと思います。
いよいよくすぶる優等生が、理想のために行動を開始しそうな予感、今回で泰時がかなり好きになりました。
そしてのえと時房に侍所と政所の別当を兼ね、事実上の執権レベルの権力を手中にしたことをすごいと言われながらも、晴れない表情の義時。
それどころか自嘲の笑みを浮かべながら
「実朝は頼朝を超える構想を持っている。」
と語ります。それは良い方に超えるのか、悪い方に超えるのか・・・・
ともかく義時の表情は勝ったものとは思えない表情です。
果たして義時は勝ったのか
最後のシーンで地震を天罰のように語る京都勢ですが、そんなことを言う資格はお前らには無い!
そう言いたくなります。
そもそも和田合戦の引き金を引いた「泉親衡の乱」は本作では京都が仕掛けた陰謀でした。
しかし今回の結果は、実質面や現状で北条が勝ったとも言えますが、間違いなく精神面、そして未来への楔を京都側が打っています。
今回も義時は非常に政治的合理性に基づいて行動しました。
戦況が有利でありながらも和田勢は歴戦の勇士揃い。
正面からぶつかって多くの兵の犠牲を出すよりはは武装解除したい。
合理性その一です。
そして官軍の証である実朝を戦場に出し、士気を高めたい。
合理性その二です。
ここからは個人的推測ですが、義時と三浦義村は和田義盛の武装解除プランをいくつか考えていた可能性があると思います。
もし実朝が単純に武装解除だけを求めていたら義盛をその場で殺さずに捕らえたのではないだろうか、そんなことを思います。
しかし、実朝が「義盛に罪はない」「お前が必要だ」と言い。
そして義盛が「鎌倉随一の忠臣」と答える。
このままではトップがお墨付きを与えた義盛を処分するという矛盾が生じる。
そのためにその場で殺すプランBを実行したのではないか、そう思うのです。
なぜならその後の
「これが鎌倉殿に取り入ろうとしたものの末路!」という鎌倉殿の言葉を否定しないようにこの行動を正当化する言葉が義時にしては理屈として苦しすぎるからです。
この段階でも大義名分と合理性を考える義時は、すごいですがその後に自分が流した涙は、一人間として政治的合理性とは別の領域の涙だと思います。
そしてこの涙こそ、実は義時の失敗を物語っているとも思います。
そう義時はあまりに実朝の「感情」を蔑ろにし過ぎました。
現実の政治は、合理性だけでなく人間が行うものですから間違いなく感情に左右されます。
義時は、ここでは多少の犠牲を覚悟しても実朝が居ないところで和田義盛を討伐すべきだったのです。
しかし現実は自分が広常の最後を見たのと同じくらい悲惨な劇場を実朝に用意してしまいました。
そして去る時に義時が流していた涙が、この劇場を整えた自分の感情すらを害していることを物語っています。
和田合戦は北条が、本当の一強体制を作るための徳川で言う関ヶ原の戦いのようなものと見ることが出来ます。
そして関ヶ原の戦いでは徳川が圧勝したものの、秀忠の遅刻(家康にも相当責任あり)により西の武将が軒並み加増され、そしてこれが徳川が滅びる要因に繋がっています。(明治維新は西の雄藩が天皇を担いで行った)
そして今回の和田合戦も、北条が鎌倉の実質を掌握したように見えつつ、実朝は完全に西の方向を向いてしまいました。
歴史というの面白いもので、圧勝した時にも滅びる要因を内包していたりするのです。
そもそも頼朝は京都という都が好きでしたが、京都の危険性を充分に把握していたため、御家人が勝手に官位を受けるのを禁止したりと、西との距離に相当気を使っていました。
後半の大姫入内を巡る駆け引きは無残でしたが、前半の鎌倉幕府を京都への対抗勢力へと押し上げる戦略は見事なものでした。
しかし今実朝は、危険な京都の介入を自ら招こうとしています。
もちろんある程度の協調は必要ですが、度が過ぎると簡単に時代や政権を飲み込む・・・
そんな力が京都、朝廷にはあります。
事実、鎌倉幕府は足利と後醍醐天皇に滅ぼされ、江戸幕府は天皇を担いだ薩長に倒されました。
そして義時はそんな自分の失敗をうっすら分かっている・・・
・・・なんて
なんて面白い大河ドラマでしょうか!!
このままだと、義時が実朝を暗殺する可能性すら出てきそうなハードな展開です。(さすがに可能性薄ですが)
とにもかくにも加速するドラマを、これからもそのスピードに振り落とされないように見ていきます。