<書評>「笑うマトリョーシカ」 傀儡人形の奥に潜むもの

書評

「笑うマトリョーシカ」早見和真さんが、2021年に発表した長編小説です。

早見さんの本は話題になった「イノセント・デイズ」を数年前に読み、それが非常に面白かったので、今回、書店で平積みされている印象的な仮面の表紙と、ミステリー要素を含んだ政治家の物語という、私の好きなジャンルだったので、速攻で購入しました。

あらすじとしては47歳の若さで官房長官になり、総理の椅子まで上ろうとしている男の人生が、誰かの傀儡なのではという謎を主軸に、あらゆる登場人物の欲望と思惑が入り乱れる群像劇的ミステリー。

当初私は、ミステリー面に重きを置いたエンタメ寄りの小説かなと考えていたのですが、読了して絶句。

なぜなら本作はしっかりとしたミステリーの骨格を維持していながら、現代政治の問題の本質、それどころか人間が抱える業や愛憎と虚無まで浮かび上がらせている、非常に文学性の高い傑作だったからです。

政治家という人種、それにとどまらず全ての人間の奥に眠る支配したいという哀しい業、そしてさらにその先にある光景を見せてくれた本作は、最近読んだ現代の作品の中でも特に素晴らしいものだと感じました。

以下からは本作の本質部のネタバレになるので、この先は読んでからか、もしくはネタバレが平気な方のみお願いします。

本作は清家一郎という、見た目も良く、表紙として充分機能する人形を裏で操ろうとする人たちの権力闘争の物語で、ページを進むにつれて誰が一番奥の部分で彼を動かし、そして現在の彼を操っているのかというミステリー要素が一番大事な軸になります。

最初にピックアップされ、序盤から準主役のような扱いなのが同級生で後に、政治家清家一郎の参謀になる鈴木です。

そして清家一郎の母、浩子もその母性と妖しい性的魅力で、彼の敵を篭絡し、味方を増やし、一郎の精神的たずなを握っているように見える。

そこに悪役風に登場するのが、大学時代の恋人の三好美和子で、恋人として一郎に影響力を及ぼし、鈴木や浩子に対抗する・・・

まさに中を開いて鈴木だったと思ったら、次にいるのが浩子であり、浩子かと思ったら、次に美和子がいるという具合であり、哀れな権力のマトリョーシカ人形なのが清家一郎です。

ここまででも、既に主題として面白いのですが、本作が凄いのはここからです。

物語が進むにつれて、まず鈴木が一郎に切られたことが明らかになり、続いて母の浩子も切られます。それならば恋人だった美和子かと思いきや、これもまた切られていた。

それでは一郎を操っているのは誰なのか。

実はマトリョーシカの底に居たのは、歪んだ精神性を抱えた清家一郎その人だったのです。

鈴木にしても、母の浩子にしても、自身の願望や、差別されたルサンチマンを勝手に一郎に託し、そして彼自身を操ろうとしてきました。

そしてかねてから純粋な器であった彼も、その期待に応えようとしてきた。

最後に全てが明らかになった場面においても一郎は自分の個性を、誰かを喜ばせる為だけに生きることが出来る人間と言っていますが、それはこの長いマトリョーシカ生活が作った彼の資質のように思います。

これがもしよく出来たバランスの良い古典であれば、一郎は人形のまま終わるでしょう。

しかし本作は、リアルな人間像を描き、その一歩先にいきます。

清家一郎の精神の奥にはあるものが蓄積されていたのです。

それは、誰かを喜ばせようと生き続けているゆえの歪みと溜まっていく澱、そして人間としてのプライドとルサンチマンです。

つまりこのマトリョーシカ生活が、彼自身の奥に歪んだマトリョーシカ本体を生み出してしまったのです。

その本体の根本が「見くびるな」という思いです。

自分は徹底的に見くびられ、こけにされている。

自分と美和子の恋仲を邪魔する癖に、肉欲に溺れる鈴木と母の浩子。

先輩議員の地盤を一郎に引き渡す為に、その議員と不貞関係にあった美和子。

これらを知った一郎は彼らの人生にとって最悪なタイミングで、別れを切り出そうとし、命を奪う選択肢も辞さないのです。

私はこの物語の奥底を知った時、寒気が走りました。

政治家として官房長官、総理大臣を目指す男の根本の思想が、「僕を馬鹿にするな」という幼稚性に過ぎない。

なぜこれに寒気がしたかというと、私はこの国の世襲政治家たちの多くに、清家と同じような幼稚性の資質を見る思いがしたからです。

もし政治家という人間で上に昇る人たちの根本に空虚とルサンチマンしかなかったら・・・

そう思うと本当に恐ろしい気がします。

一郎がこのような人間になったのは、鈴木や浩子など、周りの人間の歪みが彼の精神をひんまげてしまった事に多くの原因があると思いますが、恐らく多くの政治家も上に昇る中で色々な歪みに接することになるのでしょう。

そう思うと、清家一郎はまだ現代日本の政治家よりも、国民を喜ばせようとしている、そして母の浩子が持つ差別されている人々を救おうとする意識を引き継いでいる時点でマシなのかなとも思ってしまいます。

とはいえそんな一郎が漏らす「でも、蜜の味ではありますよ。たしかに、権力は」という言葉は、今後さらに歪んでいく彼の未来を見るようでもあり、実に恐ろしい言葉です。

本作は、日本という世襲政治家大国が抱えるお人形さん的ルサンチマンを描き出すという、かつて例に見ないことをやった凄い作品だと思うのです。

何だかよくわからないモノを目指し、ブログやってます
本の書評や考察・日々感じたこと・ショートストーリーを書いてるので、良かったら見て下さい♪

かえる文学をフォローする
全記事書評
シェアする
かえる文学をフォローする
タイトルとURLをコピーしました