私は年末に念願のFire TV Stickを買いました。
ずっとスマホでネットフリックスなどの動画を見ていたのですが、画面が小さいし見ていてやはり疲れる。
さらに話題のスマホ脳になる恐怖心が私の中にあり、最近はとくと映画を見ていませんでした。
とはいえずっと本ばかり読んでいると、自分の中に映画を見たいという熱や澱みたいなのが高まっていくのが分かります。
なのでずっとFire TV Stickを買ってテレビで映画を見たいと思っていたのですが、年末にビックカメラに行った時にようやく購入したのでした。
そんなわけで今、怒涛の勢いで映画を見ているのですが、昨日視聴して面白かったのが、マーティン・スコセッシ監督の「グッドフェローズ」です。
スコセッシ監督はイメージ的に実際の人物で壮絶な人生を送った人の自伝的映画を多く手掛けているイメージが多く、そしてそのどれもが最高に面白い印象があるのですが、本作も実在の人物がモチーフの作品です。
1950年代から1980年代にかけてニューヨークのマフィア界で生きた、ヘンリー・ヒルという実在の男を題材としているんですが、とにかくそのマフィアの組織や人間関係の描き方が秀逸なのです。
普段は、お互いの母や妻ともしっかり交流し、ファミリーの絆が強調されるのですが、仕事で失敗したり、情報を喋ったりしたら何のためらいもなく殺していく様は圧巻です。
さらに仲間同士で飲んでいて、少しでも侮辱されたら銃の引き金を簡単に引いて殺し、報酬の要求がしつこい仲間なども車に乗ったところを後ろから刺して、あっけらかんと殺します。
そんな殺伐とした仲間たちなのに、タイトルが「グッドフェローズ」(気の置けない友達)というのも最高です。
そんな本作を見終えた時、私が感じたのは「この感じは何かに似ている」というものでした。
そして少し考えてみて理解したのは、グッドフェローズの雰囲気は、私が思っている鎌倉時代初期の空気感ととても似ているということでした。
私は先日最終回を迎えた「鎌倉時代の13人」はレビューや考察も書くぐらい、とても楽しく見させて頂き、そして圧倒的に優れた作品だと思っています。
ただ本作は、鎌倉時代の残虐さをしっかり描いているものの、非常に戯曲的で会話を重視していたため、あらゆる殺しや陰謀にしっかり理由が付けられ、現代人が理解出来るようにしていました。
それはドラマとして圧倒的に正しいと思うのですが、私の個人的な鎌倉時代のイメージはもっと荒っぽく殺伐としたものだったりします。
上総広常や、比企の殺しに関しても私が本で調べたイメージとしては、本当にパっとあっさり刺し殺すイメージで、そして家同士も、女房を寝取られたから殺し合う、侮辱されたら叩き潰すというような導火線がやたら短い暴力団抗争のイメージなのです。
「鎌倉殿の13人」も面白かったし、当分鎌倉時代を描いた大河は無いと思うのですが、一方でもし次やるとしたら、本当に殺伐とした鎌倉物語を見たいとも思うのです。
そんなこんなを考えていると、ふと思考は日本人の性質についてにも流れていきます。
私が思ったのは
「日本人にはやはり血と肉の狂騒の本能が潜んでいるのではないか」
ということです。
私は関東生まれ関東育ちですが、特に関東は前述の鎌倉武士や、戦国時代も含め尚武のイメージが強いです。
刀や甲冑をまとい、切腹という異様な作法が根付いている武士という存在、その遺伝子は確実に日本人に入ってると思います。
もちろん今は民主主義の時代であり、私自身も優しい人が好きで、穏やかで優しい人になりたいと思っていますが、しかし本能的なモノから目を背けるのも違うのかもとも思います。
だからこそ私は、コンプラがうるさい時代ですが、作品にはあまり枠をはめるべきでなく自由であるべきだと思います。
暴力や血や肉体といった本能的な希求を補完するという役割も作品にはあるわけで、それはとても重要だと思うわけです。
少し前ですが世界中で「ゲーム・オブ・スローンズ」が流行したことも含め、そういう作品の需要は増している状態にあるのだと思います。
さらに話を進めると、スマホが普及し、みんながディスプレイを眺めてソファーから動かなくなっている状態だからこそ、逆に体を動かしたり、スポーツをしたりなど、肉体や血の流れを促進することが重要になってくるとも思います。
これからの殺伐とした時代を生き残るためにも、肉体を整え気力を保ち、余裕の持った楽観をまとい生きていくことこそ幸せへの近道だとも思うのです。
話の流れがいったりきたりしましたが、とにかく今年も、よく旅をして、よく歩き、よく食べ、そして感動的な話で涙し、残虐な物語に血をたぎらせたりして、心を動かしてくれる作品に沢山触れて、自分の魂を高めていきたいなあと思いました。
(しかし見たい映画がありすぎて困ります。本も読まなきゃだし大変だ・・・)