<書評>「黒猫・黄金虫」 暗い死の埃の中に浮き上がる欲動の姿

書評

「黒猫・黄金虫」は19世紀の小説家、エドガー・アラン・ポーの短編小説集です。

私が読んだのは新潮文庫版で、収録作品は「黒猫」「アッシャー家の崩壊」「ウィリアム・ウィルスン」「メールストロムの旋渦」「黄金虫」の5編でした。

私は高校から大学にかけて推理小説に嵌っていた時期がありました。その時はとにかく必死になって「○○殺人事件」とか「△△館殺人事件」とかを読み漁ったのですが、ふとある時、「これは同じようなシステムの繰り返しだな」と思い、それ以来、ただ人が殺されてトリックや謎を解いていくと言う様な推理小説からは距離を取るようになりました。

そこに心理的要素や、象徴的要素や社会的要素が入っているならまだ読む気がするのですが、たた人が殺されて、その謎を解くという仕組みは、確かに本能や快楽を刺激するとはいえ、ある種、刺激物をただ食べているだけという様な虚しさを覚える為、大学以来、そう言う本は手に取らなくなりました←あくまで私個人の趣向であり、推理小説が好きな人を否定しているわけではない

なのでポーの小説も、推理小説の大家という印象が強く、それほど興味があったわけではないのですが、今回の仙台旅で澁澤龍彦の「ドラコニアの夢」を読み、暗い死の匂いを放つ異色の作家として紹介されていたので、一気に見方が変わり、作品を読もうと思ったのです。

そして読んだ感想としては、とかくストレートに脳髄や神経を刺激する、痺れるような作品群ということでした。

特に印象に残ったのは表題作の「黒猫」そして「ウィリアム・ウィルスン」の二作です。

「黒猫」のあらすじは、若くして結婚した主人公は、妻も動物好きということもあり、さまざまなペットを飼っていたのですが、その中でもプルートォと名付けた黒猫を可愛がっていました。

しかし主人公は徐々に酒乱に陥るようになり、動物を虐待するようになり、とうとうある時プルートォにも手をあげてしまう・・・その様な感じで展開していく物語です。

本作や「ウィリアム・ウィルスン」に関して言えば、推理小説ではなく、自分の薄暗い黒い欲動や理性とのせめぎあいを描いた、高度な心理小説だと思います。

文体も分かりやすく、描くことがストレートな分、その冷たい死の感覚や欲動みたいなものがダイレクトに伝わってくるので、くっきり脳に影の様な印象が刻まれるわけで、江戸川乱歩や後世の様々な作家に絶大な影響を与えている意味が肌身を持って実感出来ました。

また本作の作品のみならず、衝撃を受けたのがポーの実人生です。

こんなに著名な作家で後世に多大な影響を与えたのにも関わらず、ポーの人生は貧困と悲運の苦しみにまみれたものでした。

ペン一本で食べていくのが厳しい時代に、それのみで食べていく決意をもとに傑作を生み出し続けたポーですが、自分と妻と妻の母の食い扶持を養っていくことは厳しく、妻は夫の外套に包まれ猫を抱きながら、肺病の悪寒にあえぎながら死んでしまいます。

そしてポー自身も妻の後を追うように、どうしようもないほど泥酔して意識を失った状態で、投票所の酒場で倒れていたのを発見され(誰かに買収されいんちきな投票に利用されたのではと言われている)、病院で息を引き取ります。

私は巻末のポーの人生の描写を見て、幻想的な悪夢のようであり、異常な精神の発露のような作品は、作者本人の資質もさることながら、時代や実人生の影響も確実にあったんだなあと感じました。

今回、私はポー自身の人生や作品にとても感銘を受けたので、他の作品も一通り読んでみようと思いました。

幻想的であり、かつ人間の心理の情動を深く見つめるポーの作品に触れることで、自分の中に豊かで怜悧な闇が育っていくことをひしひしと感じている今日この頃でした。

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