<雑記>卑しさが切ない

雑記

私のちょっとしたご褒美にバイキングを食べに行くというのがあります。

月に一回くらい、良さそうなホテルバイキングをネットで調べて、少し優雅な午後を楽しむのがストレス解消になるのです。

しかし、私はここに置いて自分の闇の部分を突きつけられることにもなります。

それは圧倒的な卑しさです。

例えば2時間の時間制限があるバイキングだとして、とにかく私は

「全ての料理を食べなければならない!」

という強迫観念に駆られ、ひたすら料理をかきこんでしまうのです。

自分の席とバイキングエリアとの反復回数を測ったら、ぶっちぎりの第一位を誇っている自負があります。(何ら誇るべき要素はない)

しかし、それでもまだ時間制限があるバイキングなら分かります。

ところが私は時間無制限のバイキングでも卑しさを発揮してしまうのです。

「もしかしたら料理が無くなるのではないか」

「その時間でしか出てこない料理を見逃すのではないか」

「タイムサービスの白玉デザートが食べれなくなるのではないか」

と言う恐怖に駆られ、そして私はまたしても自席とバイキングエリアの哀れな反復横跳びを繰り返すことになるのです。

この話とは直接関係ありませんが、私は腕とか足にブレスレットとかを付けることが出来ません。

それどころか指輪やネックレスとかもなるべく付けたくありません。

感覚として何かに縛られてる感じがするのがとても苦手なのです。

卑しさと、縛られる恐怖を併せて考えると、もしかしたら私の前世は奴隷か何かだっだのではないかと疑いたくなってしまいます。

話をバイキングに戻しますが、料理を早くかき込むスタイルも若い時はまだよかったのです。

しかし、年を重ねるにつれ、明らかにその料理を食べるスピードに体が付いてこなくなってきました。

なのでバイキングを終えた時に、たまに気分が悪くなることすらある始末・・・

これでは本末転倒です。

私は自分へのご褒美にバイキングに行っているのあって、自分に鞭を打つために修行をしに行っているわけではないのです。

つまり、今の私にとっての課題は

いかにゆっくり余裕を持って、優雅にバイキングを楽しむか

ということに集約されることになります。

しかし私の卑しさを舐めてはいけません。

「料理が無くなってもいいくらいの心持でバイキングに臨めばいい」

とか

「その時間時間で出てきた料理を楽しむことを考えべき」

のようなことは頭ではしっかり分かっているのです。

しかし私の不浄な肉体と本能が、もっと深いレベルで納得していないのです。

そう思ったよりこれは根深い問題なのです。

こうなったら教会に毎日通い、礼拝を行い不浄の欲望を洗い流すか。

護摩法要に毎日通い、仏法と炎の力で自分の中の煩悩や業を焼き払うくらいのことをやらないとダメな気がします。

しかしたとえ厳しい修行において、卑しさを切り離すことが出来たとして、私の卑しさがそう簡単に雲散霧消するとはとうてい思えません。

それどころか切り離された卑しさは、黒い影の人型として実体化するのは道理。

そいつは自らを影闇卑子(カゲヤミ・イヤシ)と名乗り、黒い顔に笑みだけを浮かべ、雑踏に消えていくことになるでしょう。

そんな中で、しばらくは平和な日常が続きます。

しかしあるときネットニュースを見て私は衝撃を受けます。

「各地のバイキングでローストビーフだけ食い尽くされる被害が続出」

「奇妙!各地バイキングで白玉デザートの白玉だけ食い尽くされる事件多発」

そうです、ローストビーフと白玉は私の中で、好きな食べ物の双璧を張る二大巨塔。

これはどう考えても私の卑しさが生んだ影闇卑子(カゲヤミ・イヤシ)の犯行に違いありません。

ローストビーフと白玉が無いバイキングなんて、「金魚が全く存在せず、水が水飴で金魚網すらネチャネチャして通らない金魚すくい」みたいなものです。(自分で太字で書いているが、さっぱりな例え)

一刻も早く私は、自分の卑しさを倒し、バイキングに行って悲しい思いをする人を救わなくてはなりません。

私は東京タワーの屋上に影闇卑子(カゲヤミ・イヤシ)を呼び出します。(なんとなく東京タワーのイメージ)

私「もうやめろ!何でそんなことをするんだ!」

影闇卑子「ケケケ、何を言うんだ。俺を生んだのはアンタじゃないか父さん」

私「やめろ!俺はお前なんか認めていない!」

影闇卑子「認めてようが無かろうが、俺はアンタでアンタは俺だ。それは事実で、それ以上でも以下でもないのさ」

俺「やめてくれ!お前と俺は関係ない!」

影闇卑子「ケケケ、いいねえ。お前が俺を認めない限り、今後もローストビーフは無くなり続けるし、白玉は子供たちを笑顔にすることは無いだろう。お前の卑しさは消えることなく、むしろその中で成長していくことになるのさ。はーはっはっは」

ここまで考えて気づきました。

そうです、私は卑しさを消そうとしてはいけない。

それも自分自身だと認めなくてはいけないのだと。

そして認めた上で、理性とのバランスを取り、手を取り合い生きていくべきなんだと。

人間というのは不思議なものです。

方針が決まると自然と力が湧き、心も強く持てるようになってきました。

今の状態を小室哲哉風に例えるとするなら

「卑しさと、理性と、心強さと」

そんなところでしょう。

今回はこの言葉と共に終わろうと思います。

(卑しさ、理性、心強さの3つが並ぶとなんとなくドストエフスキー感が出るなあと思うのは私だけでしょうか)

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