<かえる劇場>予習が至る場所

かえる劇場

何だかよく分からない不条理でアホなショートストーリー。

それが「かえる劇場」です。

気楽に見て下さい♪

予習が至る場所

とある山奥の温泉街。

老舗の旅館に、一人の男がやってきた。

女将
女将

この時期に男性の一人客って珍しいわね

でもまた来たいと思ってもらえるように一生懸命、旅館をアピールしなくちゃならないわ

女将
女将

トントントン

失礼しまーす

客

どうぞ

女将
女将

本日は当旅館にお泊り頂きありがとうございます

それでは本日のお食事の説明をさせていただきたいと思います

客

お願いします

女将
女将

まず前菜ですが、桜えびとセリを醤油・・・

客

桜えびとセリを醤油仕立てで上品に仕立てた小鉢に、あいなめの木の芽を焼いて特製のみそをつけた当旅館自慢の一品ですよね

女将
女将

・・・・はい

客

美味しそうだ

女将
女将

・・・えーと次は

吸い物ですが、これは漁港で取れた金目・・・

客

金目鯛のダシを充分取って、一晩寝かせて、さらに初物の松茸を合わせた、海と山の幸の恵みがしたたるような極上の汁物ですよね

女将
女将

・・・・・ええ

客

楽しみだなあ

女将
女将

・・・・・

お造りは

客

旬の季節の魚の盛り合わせですよね、楽しみだ

女将
女将

・・・そのあとの

客

肉料理は、地元の和牛の鉄板焼き、A5ランクにも劣らない下の上でとろけるようなハーモニーをお試しあれ

女将
女将

・・・えーと

客

はい

女将
女将

あのー、けっこう当旅館をご利用なされていますか

客

いいえ、今日が初めてですけど

女将
女将

・・・

客

・・・

女将
女将

・・・・・

ごゆっくりどうぞ

客

はい

女将
女将

ガラガラ
一体何なのかしらあの客

女将
女将

はっ!!
気付いたら持っていた割りばしをバキバキにしていたわ

いけないわ、何をしているの私

女将
女将

とにかく仕事に戻りましょう

・・・・・
・・・・・
・・・・・

女将
女将

さて全てのお客様に料理も出し終えたわ

説明もなかなかうまくいったわ

女将
女将

・・・次は大浴場と露天風呂の利用法の説明を各部屋に説明しないとね

女将
女将

・・・・・

ガラガラ

失礼します

客

どうぞ

女将
女将

当旅館の大浴場及び露天風呂の説明をさせていただきます

客

お願いします

女将
女将

まず当旅館の大・・・

客

大浴場は2階の奥にございまして、1日ごとに男女のお風呂が入れ替わります
お客様は3泊するご予定ですから、是非両方のお風呂をお楽しみください

大浴場は全てひのきの木で作られていますので、森の香りに包まれながら極上の天然温泉にお浸かりいただけます

女将
女将

・・・・・

続いて露

客

露天風呂ですが、1階の奥の階段から行くことが出来ます
当店自慢の3つの露天風呂は、一つは川の流れを見ながら、お湯の流れに身を沈めることが出来る、龍泉洞の湯
もう一つは、少し高いところから山を見渡せ、高級スパをイメージしたインスタ映えスポットとしても有名な、森林展望の湯
もう一つは家族専用の貸切風呂ですが、23時以降は、予約さえあれば誰でも入ることが出来ますので是非ご利用ください

女将
女将

・・・・・

客

・・・・・

女将
女将

・・・・・

ごゆっくりどうぞ

客

はい

女将
女将

ガラガラガラ

女将
女将

・・・・・
ブチブチブチ

女将
女将

はっ!!
気付いたら持っていたタオルを、びりびりに引きちぎっていたわ

女将
女将

・・・
とりあえず他のお客様の説明にいこう

・・・・・
・・・・・
・・・・・

女将
女将

ふう、ようやくお風呂の説明も終えて、一段落だわ

女将
女将

・・・違ったわ

これから「山頂の泉の散策及び、ホタル見学体験」があるんだった

女将
女将

山頂までのバスのガイドは・・・

うわー、やっぱり今日は私だわ

女将
女将

あの客が見学体験に申し込んでないといいな

・・・・・
・・・・・
・・・・・

女将
女将

さてバスの目の前に来たけど、入るの勇気がいるなあ・・・

女将
女将

えーい、ままよ

乗り込んでしまえ!

客

よろしくお願いします

女将
女将

まさかの一番前の席にいた

客

何か

女将
女将

・・・いえ別に

客

そうですか

バスの運転手
バスの運転手

それでは山頂に出発します

女将
女将

・・・出発してしまった

はっ、ぼーっとしてたらダメだ

説明しなくては

客

・・・・・

女将
女将

こほん
皆さん、本日は当旅館をご利用いただき誠にありがとうございます
これから皆さんは山頂の泉で、まるで天使の光のように羽ばたくホタルの光を見に行くわけですが、この季節は山頂に着くまではまだ明るいので、この山の景色とそれにまつわる伝説をご案内しながら、バスの旅をご一緒出来ればと考えています

客

・・・・・

女将
女将

(良かったアイツ黙ってるわ)
まず右手に見える赤茶けた岩ですが

客

甲信山天狗岩ですよね
昔、ここで修行していた修験者が、悪魔にあった時、天狗に変化して悪魔を撃退したけども、そのまま岩になってしまい、それが地元の人々の信仰を集め祀られるようになったんですよね

女将
女将

・・・・・ええ

そしてなんとこの岩は

客

戦国時代に当地方の武将の、山森時科が寿命を尽きる時に切腹した場所でもあり、それ以来、山科大権現とも呼ばれているんですよね

女将
女将

・・・その通りでございます



バスの他の客A「兄ちゃんすごいな」


バスの他の客B「めちゃくちゃ物知りだなあ」


女将
女将

・・・・・
続いて右手に見えます滝は

客

当旅館の龍泉洞の湯の名前の由来でもある、龍神の滝と呼ばれている滝でございまして
1世紀頃、この地方を治めていた山王という王様が、民から税を搾り取って、贅沢に暮らしていたのを、龍の神が怒り、その王を滝で飲み込んでしまったという伝説が由来でございます
そしてその王は水の中で龍に飲み込まれ、以降はその龍が龍神王として、水の恵みを民に与え
この地方は栄えたという話もあるんですよね

女将
女将

・・・・・

ええ

客

幾千ものに輝く素晴らしい滝だなあ


バスの他の客C「すげえな、兄ちゃん」


バスの他の客D「もしかして学者さんか何かかい」


ワイワイがやがや・・・



女将
女将

・・・・・

バスの運転手
バスの運転手

ちょっと、痛い痛いよ!!

女将
女将

はっ!!
ついつい運転手の肩の肉に爪をめりこませていたわ!!

ごめんなさい

バスの運転手
バスの運転手

小型の恐竜位の爪痕が付いている・・・

女将
女将

・・・・・




・・・・・
・・・・・
・・・・・


客

ふう、無事に山頂についたなあ

そして山頂の泉の闇にホタルの光が反射して美しいなあ

客

少し、奥の方まで行ってみようかな

奥に小さい泉も見えるし、そこまで行ってみよう

ザザッ

客

んっ、誰ですか

女将
女将

私です

女将ですよ

客

ああ宿の

驚かせないでくださいよ

女将
女将

・・・・・一体どういうつもりなの

客

何を言ってるんですか

女将
女将

ずーっと私の説明の邪魔をしてたわよね

事と次第によってはあなたの命はないわよ

客

果物ナイフは穏やかじゃないですね

女将
女将

私はプライドを一番高い位置に置いている人間なのよ
踏みにじった相手は、絶対に許さないわ

客

落ち着いてください

私に悪気はないのです

女将
女将

いいえ悪気しかないわ

初めてここにきてあそこまで色々知ってるなんてありえないもの

言いなさい、どこの旅館の回し者なの、誰に命じられて私の旅館を潰そうとしてるの

客

全くの誤解です

私はただの民間人です

女将
女将

寝言は寝て言いな

客

本当なんです

強いて言えば

女将
女将

・・・強いて言えば

客

・・・予習したんです

女将
女将

・・・予習

客

めちゃくちゃ予習したんです

女将
女将

・・・・・馬鹿を言いなさいよ
あの岩や滝の伝説なんてどの資料にも載っていない地元の伝承よ
何の教材を見て予習するのよ

客

私の視覚・嗅覚・聴覚、五感をフルに使い、さらに脳を150パーセント使用して全力で予習してるのです
予習の教材は、大地と海と空です

女将
女将

・・・・・
あんた何言っちゃってんの

客

私は学生時代に、英語の授業で教師に「次の授業までに和訳をしておけ」と言われたのにもかかわらず、何も準備せずに授業に臨んだことがあったのです

女将
女将

唐突なエピソードトークだな・・

客

案の定何も答えられない私に、教師は激怒
言葉のナイフを浴びせ続けました

それ以来、私はありとあらゆることを予習しないと生きていけない
予習人間になってしまったんです

女将
女将

それが本当なら、社会の型が生んだ化け物ね

客

そして恐怖に怯えた僕の脳味噌は人間が使用できないパーセンテージを大きく超え、それどころか限界以上の予習能力を獲得し、私はほとんど全ての事を10分念じれば予習出来るようになったのです

女将
女将

何かとんでもない話になってきたわね

念じればって、何?

頭の中に文字の情報が浮かんでくるわけ?

客

予習テキストは脳内において、文庫本、ライトノベル、映画、朗読CDなど様々なタイプが選べます

女将
女将

脳味噌のエンタメの種類が無駄に豊富!!
あんたは今回の予習は何で見たのよ

客

今回は映画として映像で、脳内で予習しました

女将
女将

大スクリーンを満喫しやがって!!

女将
女将

うーん、我ながら突っ込む方向がずれてきたな

客

どうです
信じてくれましたか

女将
女将

正直、あなたが本当の事を言っているのか、嘘を言っているのかは分からないわ

客

分からない・・

女将
女将

ええ、ただ分かることが一つあるわ

客

一つ・・・

女将
女将

あなたが邪魔者ってことよ!!
えいっ!!!

客

危ないっ!!
いきなり刺そうとするとは、正気ですか

女将
女将

もし、あなたが嘘をついていて他の旅館の回し者なら始末しなくてはならないし
本当に予習しただけでも、プライドを傷つけたことは事実よ
潔くこの湖に身を沈めなさい

客

・・・・・

女将
女将

何を黙っているの

客

いえ、やはりこうなってしまったかと思いまして

女将
女将

覚悟を決めたということね

客

知ってますか
予習はあるところまでいくと復習・・・
すなわち過去に繋がるんですよ

女将
女将

何を言っているの

客

山王を飲み込んだ龍神王の伝説
あれは、100年に1回起こる
この山が生み出すひずみに飲み込まれた当時の施政者の話がベースになってるんです

女将
女将

何、また予習自慢?
もう知識のひけらかしは飽き飽きだわ

客

そしてその100年に1回起こる、その日
それが今日なんです

女将
女将

何を馬鹿な
はっ!!

客

・・・・・

女将
女将

さっきまで光っていたホタルがいなくなってる
バスの灯りも何も見えないわ

客

山が準備を始めたのです

女将
女将

暗闇の中で木のざわめきだけがうなり声のように大きくなっていく

客

・・・・・

女将
女将

ああっ!!空に巨大な紫の月が現れたわ!!
何ておどろおどろしいの

客

さよなら

女将
女将

えっ、紫の月の影が私の周りを取り囲む
やだ!!

これ影の中に私の体が沈んでいる!!
ぐぐっ、ダメどうしても出れない
お願い、助けて助けてよ

客

仕方ないんだ

これも予習した通り、全ては決まっていたこと

せめて安らかに土の中で眠ってください

女将
女将

そんな、こんなこと

ああ・・・・・

・・・・・・


客

完全に山の闇に飲み込まれたようだ

紫の月も消え、ホタルも戻ってきた

客

あと50年と10日の寿命まで
これからも私は予習した人生をこなし続けるのか・・・・・

客

・・・一緒に山に飲み込まれても良かったかもだな




その後、男が予習を続ける人生を送ったのか、あるいは予定調和を破り、未知の世界を生きることにしたのかは、誰も知ることはなかった。


<完>

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