私はところてんが好きだ。
あのなんともいえない食感。そしてゼリー感がある、ぷるんぷるんの見た目、意外と頼りない歯ごたえを、私は長年の間愛してきた。
「全部、ところてんならいいのに」
これが最近の私の率直な気持ちである。
ただし上記の発言には若干の解説が必要かもしれない。
実の所、私はところてんの味自体は好きだが、そこまで騒ぐレベルではないと考えている。
ならば何が好きなのかと言うと、あの独特の生成過程が好きなのだ。
ぐにゅりと、あまりに受け身で無力のまま押し出され、四角い数々の穴からにゅるりと、分断されたのにくっついている彼らが出てくるのを眺める快感は、他に代替の利かない圧倒的な歓び。
そうつまり私の上記の発言は
「全部、ところてん(が出てくる)ならいいのに」という意味的にアクティブで、ある種の社会福祉的な含意もある重層的な発言なのだ。
心太。
心が太いと書いて、ところてん。あんなに木の道具で、無残に細くされているのに、心が太いという健気なメンタリティーは推せる、いや推すべきなのだ。
全体の98パーセントくらいが水分しかないくせに、心が太い。どう考えても「水多」と書いてところてんと読むべきなのに、自分には心が、精神があるんだ! と言い張る姿勢。もはや推さざるを得ないだろう。
三杯酢なのか黒蜜なのか醤油系のタレなのか、いまいちはっきりせず優柔不断なのに、それでも決断力があるふうな、心が太いという名称にこだわる姿勢。もうこれは国家を超えて推すべき存在だ。
さて次に考えたいのが、このところてんという存在の活躍の場を、どう拡張すべきかという問いである。
まずは基本的インフラから押さえていこう。
水道。
これは愛媛で、みかんジュースも出てくる例もあるから、実現しやすい。難易度はイージー。
ただし給水する為に駆けてきた運動部の子の喉を、ところてんが圧迫するという懸念は筋違いだ。隣にちゃんと水が出る水道も確保していく、行政を舐めないでほしい。何事もバランスだ。ところてんさえあればそれでいいわけではない。
さて、次はお風呂のシャワーなどが手ごろだろう。これもイージー。
ボタンでところてんと水を切り替える。
ところてんボタンは、にゅるりとジェル状のところてんを出す。ところてんだからと言って、全てが食用だと考える石頭は、反省すべきだ。それはあまりにもところてんの可能性を過小評価しすぎている。そんな人間は一度、ナタデココから出直して欲しい。
さてエンタメ業界にも、ところてんの活躍舞台はある。
スパイダーマン。
手から糸でなくところてん。最高である。
もちろん「そもそもそれではスパイダーではないのでは?」という意見は織り込み済みだ。
しかしどうだろう?
果たしてスパイダー、蜘蛛とは糸だけが、その特徴・象徴だろうか。
私は思う、スパイダーマンのスパイダーの象徴とは、「紐状・糸状のもので、ビルや建物の間を自在に動き回る事」というのが重要なのではないかと。
そうなるとところてんはしっかりこの条件を満たしている。もちろん強度は蜘蛛の意図に及ぶはずもないから、結構な確立で落下するだろう。しかしそんな事で落下するなら、そもそもスパイダーマンと名乗る資格はない。
金魚すくいの網は脆い。しかしプロはそれでもその網で金魚をすくうのだ。
その意味で、スパイダーマンもところてんで高層ビルの谷間をビュンビュン飛び回れるようになった時にこそ、真のスパイダーマン。すなわちスパイダーマン(心)になるのだと思う。
さて、ここまでところてんが社会進出したなら、あらゆる場所にところてんの影響が及んでくるだろう。
高級寿司店の大将はところてんの握りをラインナップに入れるのは当然だし、由緒正しい一族の家系図の線は、乾燥したところてんを使用するだろうし、お菓子の家の物語は「ところてんの家」という耐震の大事さを問う物語へ進化する。
さて、ここまで人類という地球の表面を覆う生物の認識が、劇的にところてんへの愛着を示した場合、地球環境もそれに呼応することは存分に考えられる事だ。
恵の雨から、恵のところてんへ・・・
雨よりも栄養素が、微々たる、わずかな、ほんのちょっぴりだけ強い(なぜなら98パーセントが水分だから)ところてんが、大地に栄養を与える。雨乞いの舞は、心乞いの舞へステージを上げる。天気予報士のお姉さんも晴れ時々心太で、うっとり。
もちろんところてんの恵みで育った野菜にも影響は出る。人参もキャベツもナスもどんどんジェル状ににゅるにゅるに変化する。赤ちゃんも楽しく食べれてにっこり。
それに伴い、海も魚も、牛も肉もジェル状に、そしてそれを食べていく我々人類もジェル状になっていく。ここに私たちが目指した分断を越えたなめらかな社会が実現する。これこそ自と他の境目のない、究極の「愛」の姿だ。
しかしその愛も慣れ、冷え凝固していく。そう永遠のものはこの世には無いのだ。この段階で地球全体が巨大なジェル状の個体になり、そこには冷たい全体性が現れる。このままでは心が太いどころか、心が冷え、枯れ果て、精神の死を迎えてしまう。
そんな時、宇宙空間に現れるのが
巨大な「あの押し出す木のやつ」だ(名前分からんかった)
凝り固まり死にかけのジェルを、無慈悲に枠にはめ、押し出す彼。ここに我々は再び細かく分断され、そのところてんたちは、流れ星となり、どこかで破裂し、ジェル状の塊に岩石がくっつき、それぞれの惑星になっていく。それこそ生生流転、万物の移り変わり。
そう、ところてんとは、私たちの母であり、循環でもあるのだ。
(おしまい)

