「九尾の猫」はアメリカの推理作家、エラリイ・クイーンさんが1949年に発表した長編小説です。
アガサ・クリスティやジョン・ディクスン・カー等の作家と並び、推理小説の大家であるエラリイ・クイーン。
しかし私は長い間、苦手意識を持っていました。
というのも私が大学時代に読んだ日本の推理小説の一つに、パズル性やトリック性のみを前面に押し出した作品があったのですが、その作品が自分には合わず、その作家さんがおすすめしていたのがエラリイさんでして、長い間、読んでもいないくせに苦手意識があったのでした。
しかし昨年私が何か読む本を探そうと、書店をぶらぶらしている時に、本作のタイトル「九尾の猫」の文字が目に飛び込んで来ました。
「なんてわくわくし、そそられるタイトルなんだ・・・」
私はそう思い、しばしその場で逡巡。著者がエラリイさんであることを知り、大学時代の思い出がフラッシュバックするものの、現在の自分の直観の方を信じ、購入しました。
そしてそれは大成功。本書はとんでもないエネルギーを持つ傑作でした。
あらすじとしては、ニューヨークの全市で、次々と殺人を犯す連続絞殺魔<猫>の正体に、過去の事件の呪縛に囚われている、作家であり探偵であるエラリイが挑むというもので、いわゆるサイコキラーものの先駆的作品として、本作は評価されています。
私が本作を読了して驚いたのは、人間の神経と精神が複雑にねじれた時の闇を、徹底的に描き切っていたことです。
本作の犯人の背景は現代の作品と比較しても、闇が深く、もしかしたら私が読んだ中でもここまで深淵に近いものはないかもしれません。それ位、私にとっては衝撃でした。
それ以外にも本作には様々な魅力があります。
その一つは「都市」というものの狂騒と混乱。それらの精神性をえぐり出していることです。
猜疑心や利己心、抑圧と暴力性。それらを含み、かつ制御しきれないニューヨークという都市の躍動感を存分に描いています。
そして何よりもすごいのは、本作は「探偵とは何か?」「推理に意味はあるのか?」という問いを前面に押し出した作品であることです。
本作の主人公であるエラリイは、物語開始時点で既に悩み苦しんでいます。
それは過去に携わった事件において、自身の推理が誰も救えず、むしろ悪い方向へ物事を導いてしまったという自責の念があるからです。
その意味で、本作は主人公であるエラリイ、つまり探偵側の精神の流れを描いた作品とも言えます。
特に終盤の、エラリイの悲しき旅路の描写は必見であり、そこに宿るなんともいえない切ないエネルギーと緊張感は、読書でしか味わえない、精神に深く刻まれるような体験です。
人間の神経のねじれ、都市の狂騒、探偵の悲哀、それらが高度にまざわり、それらは人間存在の業と、神の存在へと導かれていく・・・
私はそんなことを、本作を読んで思いました。
いくら時代を経ても揺らぐことのない傑作である本作。気になった方は是非、読んで欲しいです。