最近、偶然なのか何なのかやたら「鳥」が付くタイトルの作品を読んでる気がします。
「ねじまき鳥クロニクル」しかり、やっと全部読み終えた「火の鳥」などなど、最近は鳥関係のエンタメを大量に摂取しています。
しかし色々考えてみると、そもそも「鳥」がタイトルに付く作品が多いのもあるのかもしれません。
「白鳥の湖」というバレエの古典作品にも「鳥」、そもそも各地の神話に「鳥」は頻繁に出てきます。
やっぱり優雅に空を飛ぶ姿がイメージがいいのでしょうか?
どう考えても「鳥」はエンタメ界の好感度ナンバーワンタレントでしょう。(CM専属契約12社くらいのイメージ)
一方で「豚」です。
豚さんたちは、鳥に比べると圧倒的に待遇がひどいと思われます。
まず彼らが主役を張る作品と言えば、「三匹の子豚」ですが、これは文学的でも比喩的でもなんでもなく、まさに直接的に豚そのものです。
ジブリでは「紅の豚」という作品がありますが、これは初めてタイトルを見た人は「焼肉の話なのかしら」と思うことは必定な気がします。(個人的に大好きな作品)
「鳥」に比べて何たる待遇の格差!!
これは由々しき事態です。
鳥は、そもそも「幸せの青い鳥」の様に、お話を通り越して幸せの象徴のようにも語られます。
しかしもしこれが「幸せの青い豚」であった場合、それは何かの病気にかかった豚を連想してしまうのは抗えない心理です。
「ねじまき鳥クロニクル」も、もし「ねじまき豚クロニクル」であった場合。
それは、美味しいラーメン屋に出てくる「巻き豚チャーシューの歴史」に集約されたストーリーになることは想像に難くありません。
金子みすゞも、「私と小鳥と鈴と」という詩でみんな違って素晴らしいことを伝えてくれますが、やはり「私と子豚と鈴と」というタイトルは思いつかなかったのだろうと思います(←そもそも豚にする必然性が無い)
また戦隊ヒーローで90年代に「鳥人戦隊ジェットマン」という作品がありましたが、もし「豚人戦隊ジェットマン」だった場合。
子供に人気は出ずに、養豚農家さんだけの人気や視聴率に留まる気がします。(合体ロボがどんなのかは気になる)
こうなってくると「鳥」と「豚」の抱えているイメージの格差は、月とスッポンくらいあるように見えてきます。
しかしです!
これは私たち人間が勝手に作り上げてきたイメージのレッテルに他なりません。
そもそも豚さんは最初の時は、ただの動物で、まっさらなイメージだったに違いないのです。
我々は前提の思い込みを脱却し、豚さんのイメージを更新する必要があります。
なので、ここからはあらゆる良いイメージのものに豚さんたちを当てはめていきましょう。
まずはスポーツ飲料のCMです。
雲一つない青空の下、部活終わりの豚さんが、タオルで汗を拭きながら爽やかに、幼馴染の豚さんと一緒にペットボトルを飲む青春の1ページ。
なんてキラキラしてるのでしょうか。
この流れでカルピスのCMも頂いちゃいましょう。
新緑に囲まれた坂道を、白いワンピースを着た豚さんが自転車で爽やかに駆け抜けるのです。
どうですか、そろそろ豚さんが、若手の清純派女優に見えてきたのではありませんか?
時代はグローバルなのですから、パリコレクションにも豚さんの枠を確保します。
人間に負けず劣らずきらびやかな衣装で、堂々と個性的な表情で練り歩く豚さんたち。
そこには「極上の脂肪」とか「A5ランク」とか味の評価は一切関係ありません。
あるのはファッションセンスと外見のみ!
パリコレの世界は厳しいのです!!
さてイメージの改善に成功したところで、次は社会的地位についても改善する必要があります。
なのでもちろん衆院議員も定数の半分は絶対に豚さんじゃなくちゃダメなことにします。
そうなると自然に「豚さん新党」が出来て、数年後には総理も閣僚も全部豚さんの「総豚内閣」が出来ることになります。
・・・そしてここにおいて人と豚さんの運命は逆転します。
食べる側から、食べられる側へ。
すなわち脂肪や肉のランクによりA5ランクやB5ランクのように品質で分けられ出荷されることになるのです。
そうです。
ここにきて人類は今までやってきたことの手痛いしっぺ返しを食らうことになったのです。
そもそも美味しくて素晴らしいお肉を提供してくれる豚さんたちのことを、悪口の表現に使うこと自体が、大いなる冒涜なのです。
我々はこのように出荷される事態を避けるためにも、今までの固定概念やレッテルを捨てて、新しいイメージの世界に飛び込んでいかなくてはいけない。
そんな思いと共に今回の雑記を終えます。
(個人的に豚さんの顔を可愛いと思っており、豚さんのイメージアップの為、半分おふざけ・半分本気で今回の記事は書きました♪)