<雑記>ねじまき鳥とトーマス・マン

雑記

私は現在、村上春樹さんの「ねじまき鳥クロニクル」の考察の準備をしています。

そしてようやく、昨日に再読を終えたのですが、一度読んですごいと分かってたはずなのに、泣いてしまいました。

ねじまき鳥は、簡単に言うと、失われそうな奥さんの深層心理と向き合い助けに行く話なんですが、人類の歴史の俯瞰した視点と現代の日常との共通項や、人類の欲や闇への深い視点、そして全体を包んでいる作者の読者に対しての深い優しさなど、圧倒的にすごい作品なのです。

そんなわけで、ねじまき鳥は全力で考察しよう!!

そう思い丁寧にやってたら、いつの間にか考察を1か月以上してないという状況になってしまったのです。

これはもうねじまき鳥が素晴らしすぎるのが悪いのです。

5ページに一回は、重要かつ素晴らしい文や言葉が出てくるんだからたまったもんじゃありません。


という言い訳はこの辺にしときます笑


とにかくも、「海辺のカフカ」と「ねじまき鳥クロニクル」は個人的に日本小説で読むべきトップに君臨する作品だと思います。

というより深層心理と抽象や象徴を、ここまで芸術的に物語や冒険小説に紡いだのは、革命的で独創的で、村上春樹さんは文学の新たな1ページを切り開いた人ではないかとすら思います。


さて、1か月を超えて考察をアップ出来ていない私ですが、その理由は「ねじまき鳥素晴らしすぎ問題」の他に実はもう一つあります。


それは「トーマス・マンショック」です。


私はかつて旅の古本屋で、トーマス・マンの「魔の山」を買い、読了しました。(筑摩書房の世界文学大系のやたら大きいやつで、カフェで読んでる自分がかっこいいと思ってました笑)

その哲学的な対話のような内容から、とてもすごいし面白いとは思っていたのですが、カラマーゾフの兄弟や、三島由紀夫さんの美しい星のような哲学的対話小説を好んで読んでいて、そういう内容に慣れ親しんでいたのもあり、身を震えるほどの感動はしなかったのです。


しかし、この前ふと図書館で本を借りたくなり、大きい図書館に行った時、ドイツ文学の棚にトーマス・マンの「トニオ・グレーガー」が並んでいたのが目につきました。

そして本当になんとなく、借りる一冊に入れて、読み始めたのです。

そしたら、これがすごかった!!


自意識とコンプレックス、芸術家と美、欲望と理性の間をただよう放恣のような人間的問題を、こちらが唸るような力強く美しい文体で書きあげているのです。

続けて読んだ「だまされた女/すげかえられた首」「ヴェニスに死す」も最高でした。(特にだまされた女はすごい!)

そして今読んでいる「詐欺師フェーリクス・クルルの告白」も素晴らしい(心に焼き付く文章や名シーンの破壊力にあっぱれ!)

なので私は今絶賛、トーマス・マン期間中なのです。


ねじまき鳥が素晴らしい上に、トーマス・マンが面白過ぎるのが重なったことが、考察アップ出来ない問題の犯人と言えるでしょう。



・・・・・


さて長々といろいろ言い訳をしてきましたが、ここで私は素直に白状します。

もし、私がだらだらとポテチを食べ、Youtubeを見たりしてる時間を少しでも削っていれば、既に考察を終えていることは論を待たない事実でしょう。

すなわち私の怠惰が悪い!!笑

とはいえ怠惰な私も、それはそれで私なので、無理せずに楽しくやってきーす(こいつ全く反省していない・・)


そんなこんなで、近日中に考察をアップ出来たらいいな、と思ってる今日この頃でした。

何だかよくわからないモノを目指し、ブログやってます
本の書評や考察・日々感じたこと・ショートストーリーを書いてるので、良かったら見て下さい♪

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