<歴史>鎌倉殿の13人 35~38話 雑感

鎌倉殿の13人

畠山氏との争い、そして時政とりくの一連の話が一段落しました。

ここまでで分かったことは、鎌倉殿は今までの大河で群を抜いて面白いしすごいということです!

ダークカオス政治劇の中でも、しっかりと人間の心を描く本作は、エンタメ性だけでなく文学性も含まれています。

それでは1話ごとに区切って雑感を書いていきます。

35話 苦い盃

鎌倉では、時政とりくの子である政範が「毒殺されたのでは?」という噂が駆け巡っています。

畠山重保はしかるべき文官ルートで、義時や広元に平賀朝雅が毒を盛ったのではと進言。

一方で、当の朝雅はりくに重保が毒を盛ったと言います。

息子を失って判断力を失っているりくは、それを簡単に信じてしまう・・・

これ以降の話でも顕著ですが、りくは明らかに息子を失ってから精彩を欠いています。

前までは策士でありながら慎重で合理的でしたが、ここにきて慎重も合理性の欠片もありません。

そんなりくに言われるままに軍を動かそうとする時政もポンコツですが、鎌倉という公儀精神遵守の義時は鎌倉殿の下文が無ければ誰であろうと軍は動かせないと拒否。

ここでも私欲vs公の対比が強調されています。

りくと政子の対話でも、「畠山はちえの夫だ」という政子に対し、畠山を討つ陰謀自体を「そんな話知らない」と単純に知らないふりをするりく。

今までのりくはこういう単純な嘘はつかなかった印象ですが、やっぱり精彩を欠いています。

実朝はお気に入りの和田邸へ。

義盛の素朴で単純な人柄は実朝でなくても癒されますね。

ここでは占いイベントで実朝の運命の一端が告示されますが、こういう黒魔術や儀式的な絵が挟まれることで、エンタメとしての幅が担保され、呪術的要素を楽しむことも出来て、本作は作品として隙が無いです。

散々、行方を探されているなか、お騒がせ実朝は帰宅。

そこで最大のミスです。

時政の文書に簡単にサインしちゃいます。

おじいちゃんだから分からんでもないですが、これはやっぱり鎌倉殿としては無自覚ですね。

こういう経験を活かして徐々に実朝は成長していくのでしょうが、この代償はかなり大きいです。

一方で、義時は畠山重忠とサシで飲んでいます。

そこでグサリと本質を突かれます。

北条の邪魔になるものは排除される。鎌倉を守るというのが欺瞞でないなら、あなたが倒すべきは・・・

続きは私が書きますが、時政ですね。

重忠も公儀の精神を尊重したい義時は認めていてだからこそ、それとは対極の私欲の権化として動いてる時政をどうにかしないといけないと突き付けてきたわけです。

これは義時にとって直面したくない本質でしょう。

苦い盃の意味は、畠山氏とのサシ飲みでの和解が時政の行動で既に壊されていたことと、義時にとって倒すべき相手を突きつけられるという二つの意味が込められれているように思います。

その意味で本当に心には強烈に刻まれることにはなるでしょうが、義時にとっては苦いお酒の記憶となるサシ飲みでした。

36話 武士の鑑

畠山を討つといい、三浦と和田を巻き込む時政。

いくら無茶でにも執権の言うことに簡単には逆らえません。

結局、時政の娘婿の稲毛重成を向かわせ、由比ヶ浜に息子の畠山重保をおびきよせることになります。

しかし重保を殺すつもりはなかった時政ですが、誇り高き畠山重保は言われない捕縛を受け入れず、和田に「やらなければこっちがやられていた」と言わせるほど勇敢に戦い、殺されます。

誇り高き立派な息子ですが、これによりいよいよ状況が最悪の展開になってしまいました。

この状況を悔やむ義時は、最後まで戦を避けようと大将になることを志願。

政子と話す義時は、「姉上にはいずれ腹を決めて頂く」とこの段階で政子を頂点に頂く政権を思索しています。

このあとの政子と足立氏とのほのぼの相談コントでも描かれますが、政子は御台所であると同時に御家人たちの信頼も厚く、鎌倉の母のようなポジションを確立しています。

組織や役職も大事ですが、最後は人間力が大事なのが政子を見てると分かります。

陣を布いた重忠の元に向かうのは元々は天敵だった和田義盛です。

「もうちょっと生きようぜ。楽しいことはまだある」

「誰が戦などしたいか!」

この二人の会話は本当に素敵です。元々は憎んでいた二人が今は鎌倉を共に生き抜いてきたと言う絆で結ばれている事。

そしていつもは猪突猛進な義盛が引き止め役で、冷静な重忠が誇りを抱き玉砕しようとしていること。

ここまで丁寧に人間を描いてきたことが、このシーンに活きています。

畠山の誇り高い覚悟に心を打たれた義盛も戦うことを決意。

そしてここに至り義時も「謀反人、畠山重忠を討つ」と決意します、勢いとは裏腹に悲しい決意です。

少数ながら善戦する畠山軍、この合戦のシーンは分かりやすく洗練されていて見ていて血がたぎります。

そしてここで義時の陣に来た重忠との一騎打ち。

馬から飛び移るアクションは手に汗握ります、かっこいい!

そしてここからはひたすら殴り合い、まさに魂の吐露ともいえる悲しみと決意と友情全てが溶けあった筆舌尽くし難い交流です。

そして勝負は重忠が有利に。

刃を打ち込めば義時は死にます。

しかし地面に刃を突きつけ、討たない重忠。

義時の眼からは一筋の涙がこぼれます。

果たして重忠はなぜとどめをささなかったのでしょうか。

友情がかすかに残っていた。

こんなことまでされても鎌倉の今後に必要な義時に生きてもらおうとした。

自分の決死の覚悟を継いでほしかった。

様々なことが考えられますが、ここにあげたことの全てが入っているでしょうし、さらに言えば最後は理屈ではなかったのかもしれません。

そして前話で本質を突きつけられていた義時は、この拳での交流により本当の覚悟を決めることになります。

どんなことをしても鎌倉を背負って立つ。畠山の思いが義時の最後のスイッチを押したように思います。

一方で前線にも出ず、息子が覚醒したことも知らない私欲の権化時政は、義時があまりの剣幕で

「次郎がしたのは己の誇りを守ることのみ」

という言葉にたじろぎます。そして

「執権を続けていくのであれば、あなたは見るべきだ!」

という義時の言葉に対し、首を見ない選択をする時政。

ここにおいて時政は息子の、というより鎌倉公儀の最終試験に落ちたのでしょう。

ここで首を見ていれば、まだ権力者としての判断がどういう結果をもたらすか?という事を考える素地があるとほのかに義時は思っていたのでしょうが、そもそも時政は本質的なことを考えることが出来ません。

ここにきて時政の運命は既に尽きた感があります。

その後の文官チームの実質トップの広元の「執権殿は強引過ぎたのだ」というのが本件の素直な鎌倉御家人の思いでしょう。

思えば2代目頼家が、頼朝時代から支えた安達盛長の息子に嫁をよこさないからと討とうとして、政子にたしなめられたことがありましたが、時政の場合は無茶を実行してしまったという風にも見えます。

権力者といえど、長年の恩や道理に背き私欲で動くと、その責任を取らされることになる。

畠山氏の誇りは、時政の運命を焼き尽くすことになります。

覚悟を決めた義時は、粛々と稲毛重成に罪を着せた上に、娘婿をかばわない時政を演出し、時政は一瞬にして御家人の信を失います。

そして所領の分配も尼御台たる政子の権限に移譲。

最初は断る政子ですが

「私が執権になれば、そのためにやったと思われる」

という一言に

「引き受けるしかなさそうですね」

と覚悟を決めます。

この二人のやりとりを見ていても、政子と義時が実朝政権の安定を第一においていて、自分の権力が二の次というのが分かります。

所領の分配はやるぞという時政に、全て自分でまかれた種と厳粛なNOを突きつける義時。

そしてそんな義時を「見事じゃ」といい高笑いする時政です。

クレーバーな悪人の高笑いはよくドラマで見ますが、私欲にまみれたダメな意味で単純な男の高笑いというのは、あまり見ない絵です。

いよいよ親子対決の時が迫ります。

37話 オンベレブンビンバ

義時と時政の関係は抜き差しならぬところまできています。

「よく父にそんなことが言えるな」

そんな時政に対し

「わきまえないなら、梶原や比企のようになる」

「父だから申している。身内でなければもっと手荒な真似をしていた」

公儀としての覚悟を決めた義時はぶれません。覚悟を決めた男の脅しは恐いです。

そして息子の泰時を自分の近くに置く義時。

これは後述する権力者の非常な覚悟を見せると同時に、事務という地味な仕事の大切さを教えるという側面もあるかなと思います。

鎌倉幕府の根本は公正な裁判です。つまり地味な書類との真摯なにらめっここそが鎌倉を支えているわけです。

その後の書類を自分で書きたい政子のシーンも含め、本作は鎌倉政権の本質を描く描写が沢山あるのが素敵です。

そしてこのシーンにいる、義時・政子・広元・泰時は、後の鎌倉政治のオールスターです、この絵だけでテンションが上がります。

一方、チーム私欲(笑)の参謀たるりくの作戦は

「実朝を出家させ、平賀朝雅を鎌倉殿に」

という犬も食わないレベルでの陰謀です。

そんなのに誰も付いていくはずがないことを、昔のりくなら分かったはずですが、やはり息子が死んでからのりくは精彩を欠いています。

三浦と和田を巻き込むという戦略ですが

「善哉を鎌倉殿に、しかし成長するまでは朝雅で」

というプランに三浦義村が乗ると思ってる時点で三浦を舐めすぎです。

そんな馬鹿でも分かる朝雅を鎌倉殿にしたいだけのプランに、この男が乗るわけないでしょう。

思えば三浦義村という男が面白いのは、勝率と合理性の権化というところです。

彼の陰謀は基本的に勝率と合理性に裏打ちされるので、結果としてそれが鎌倉の精神と矛盾しないのです。だからこそ義時とも友人でいられます。

少し前のりくもそういうタイプだったのですが、今はただの破滅へつ突き進む陰謀女です。

一方で御所では政子とのえ、そして京都ネイティブの千世(実朝の正室)との女子トーク。

とにかく京都の話をしたいのえと、政子の心やその場の空気をよく見ている千世との対比がすごいですね。

どんなに京都の話をしていても、上辺を取り繕っていても、生まれ持つ心の下品さが隠しきれないのえ。

一方で、自分が過度に浮き出ないように演出する千世。ある意味本当に腹黒いのはこちらかもしれませんが、のえは徐々にメッキが剥がれてくる予感です。

時政はりくにやりたいことがあると言い、館を出ます。

そしてやりたいこととは家族での飲み会でした。

大姫の呪文が何なのかと、腹に違う考えを持ちながらも盛り上がり北条家。

北条は鎌倉の政治家集団であるという面と共に、普通の家族という側面もあります。

人間にはいくつもの顔があり、そのどれもが真実です。

陰謀と権力を戦わせる相手であるのと同時に、愛する家族でもある、人間の心というのは単純ではなくだからこそ悲しくも美しい、そんなことを思います。

そして最後の団欒を終えた時政は和田邸にいた実朝を自宅に幽閉。

無謀な計画が幕を開けます。

義時は父が失敗することを分かって行動したと見抜いています。

さて、この事件はどういう風に収束するのでしょうか。

38話 時を継ぐ者

時政の館に来た和田義盛に、三浦義村は、謀反であることを担保したから、義時が来たら寝返る。

その旨を言いますが、義盛は分かりません笑

一方で実朝は畠山の時の苦い経験もあり、なかなか起請文を書きません。

そんな実朝に、りくは「多少痛い目に合わせれば」とあまりな発言。

しかしここで起請文を取らなければ、破滅という論理はそのとおりでもあります。

そして館は既に兵に囲まれています。

ここにおいて時政は、りくを京都へ逃がそうとしますが拒否するりく。

三浦の力を借り、政子に命乞いします。

「すべて私が企てたことであの人は関係ない」

本作のりくは時政に対する愛情だけは徹底して持っている風に描かれており、そこがりくを憎めないポイントになっています。

りくは理屈ではないところで、のほほんとしている時政が覇権を取る力があると本当に信じていた感じがあります。

そして政子は兵が囲む時政邸の前に居る義時に懇願します。

「父上を助けてあげて」

しかし義時は一顧だにしません。

「尼御台がお帰りだ」

館の中では時政が覚悟を決めています。

実朝に対し、起請文を書かなかった芯の強さを讃え別れを言います。

そして義時に対し

「北条を、鎌倉を引っ張っていくのはお前だ」

というメッセージを義盛に託します。

思えば時政は、かなり序盤から息子の方が政治に向いているのを分かっているふしがありました。

しかしりくに尻を叩かれ、かつその時の状況に乗り、ここまできたというある意味で運がメインでここまで来た人でもあります。

この発言は心からの本心でしょう。

さて実朝が館から無事に出てきて総攻撃をかけようとする義時。

ここで泰時、時房、政子それぞれは必死に父の命乞いをします。

しかし義時は頑として受け付けません。

政子は義時に

「娘として父の命乞いをしているのです」

そういった後、父を助けて下さいと御家人たちに土下座します。

これはすごいシーンです。

ここで日頃、後家人たちに愛情を注いでいる政子が土下座をしたことが、後の時政の命を繋ぐことに確実に繋がります。

この光景があるとないとでは御家人たちの心も全然違うのです。

そして政子はそういう狙いではなく心からやっている。

対極としてここで義時が、攻撃の手を緩めようとしないのも、重要です。

八田の言うように、公儀の点からすれば梶原・比企が滅びているのに時政だけ許されるのはおかしい。

ここで手を緩めることは義時は出来ないのです。

結局は、政子の力もあり、時政は捕縛されます。

この顛末に関し、泰盛は妻の初に話します。

それに対し「あなたは何も分かってない」という初。

義時が「俺みたいにはなるな」と言いたかったのだと夫をたしなめます。

このセリフが心情を説明しすぎだという思いもありますが、ただでさえハードで難しい時代をやっているのですから、初のキャラクターもいいので違和感はありませんし、分かりやすさをセリフにより担保するのは大事です。

実朝は御所で義時に向かい合い、手荒な真似をされなかったから処分は軽くしてほしいと頼みます。

しかし首を縦に振らない義時。

「私が申しておるのだ」

それでも義時は首を縦には振れません。畠山との殴り合いを経て義時には、鎌倉として公儀としての信念が宿っており、覚悟があります。

そしてそれは道理と公平な裁きを遵守するということです。

そこには鎌倉殿の心情も関係ありません。正式な手続きを経ないことには義時は何も出来ないのです。

そして運命の文官の会議です。

広元が、梶原・比企・畠山の例を出して、時政だけ助ける意義を問えば三善が、鎌倉殿の言葉の重みを説きます。

一方で二階堂が厳罰を主張すれば、時政が伊豆で頼朝を支えたことが今の鎌倉の始まりだと三善が主張します。

そして正式な話し合いの末、広元が落としどころとして、伊豆に帰ってもらうことを提案します。

そしてようやくようやくです。

「息子として、礼を申し上げる」

これが義時の本音です。しかしすごいのがこの発言が出るまでに、一体どのくらいの時間がかかったかということです。

公儀の覚悟をまとった義時の息子としての本音が出るまでを、ここまで丁寧にやったことは感嘆に値します。

本音では父を生かしたい、しかしそれを絶対におくびにも出さない、その覚悟と苦悩と安堵が、本音の吐露の発言で全て昇華されています。

そしてその後、義時と時政の対面シーンです。

骨を折ってくれた礼を言う時政に、自分は首をはねられても仕方ないと思っていたのであり礼を言うなら文官に言ってくれという義時。

そしてここからは息子としての思いを吐露します。

「小四郎は無念です。この先ずっと頼朝様が作った鎌倉を父と守っていけると思っていた。父の背中を見て、常に自分の前には父が居た」

「父がこの世を去る時、私は側にいれない、父の手を握れない、その機会を奪った父上をお恨みします」

圧巻のシーンです。

このシーンの義時は顔が歪み、顔の半分が暗闇で覆われています。

冷酷な権力者の闇の部分から滲み出る、溢れる様な崩れるような幼心の吐露。

その歪んだ溢れる様な慟哭が画面からダイレクトに心に入り込んでくるのです。

最近の作品でここまで、剥き出しに心を揺さぶるようなシーンを見た記憶がありません。

もうこの時点で神作品として決定していいのではとも思える圧巻のシーンでした。

その後も素晴らしいシーンが続きます。

りくと政子と実衣の3ショットトーク。

伊豆権現での思い出話をする3人。

この3人と同じように、自分もあの頃の3人の思い出を我が事のように思います。

今はこじれたりくとの関係ですが、あの時は頼朝が生きているかさえ分からず気落ちしている政子に、エネルギーに溢れ楽天的な思考法を教えてくれたのはりくでした。

人間には良い面も悪い面もあり、そしてどちらもその人を構成する真実です。

こういうシーンがあると大河という時間の流れを共に感じれるドラマの素晴らしさを改めて感じることができます。

ところが話はここで終わらない。

義時はりくを暗殺するため、トウを放っています。

間一髪で三浦に救われるりく。(三浦とトウのアクションがかっこいい)

おそらくこのシーンで、りくに暗殺者を放つ義時が恐ろしいと思う人が多いと思いますが、義時からしてみれば、りくさえいなければ父親と鎌倉で二人三脚で歩いて行けたし、畠山も滅びなかったという思いあります。

陰謀を警戒する政治家としての判断と、お父さんを奪った女を許せなかったという私人の判断が入り混じった結果であり、個人的には理解出来ます。

その後、義時とりくが対面するのですが、りくはようやく本来のりくを取り戻しています。

暗殺しようとした本人に向かって

「私を殺そうとしたでしょ、安心して、もうお父さんをけしかけたりしないから」

と言うあたりが、りくという人の魅力の真骨頂のような気がします。

そして義時に、あなたには執権になる能力がある、というのも本音でしょう。

りくは、時政は鎌倉の頂点に立つ資質があるという本音と、義時には父を超える力があると言う本音の両方を持ち、そして自分の使いたいほうを使い分ける力があるように思います。

なのでこの言葉もりくの紛れもない本音の一つでしょう。

そして義時は、父の思いや畠山の思いを継ぐため、自らが執権として君臨する覚悟をします。

まず最初にやるのが平賀朝雅の討伐、これは私怨もありつつ畠山の件の引き金になり、実朝下ろしの陰謀もありましたし、公儀としても必要なことでしょう。

しかし京都は、朝雅との主従関係の帰属は京都じゃなくて鎌倉にありという実質と、軍事的な無力さを突きつけられて怒り心頭です。

個人的に平安時代の政治が大嫌いなので、ざまあみやがれという思いです。(平安文化は好き)

後鳥羽上皇は、これが実朝ではなく執権を継いだ義時の仕業だと見抜きます。

ここで後鳥羽上皇の心に「北条義時」という名前が刻まれます。

そして鎌倉では、義時が御家人の前で執権になる覚悟を語ります。

不満を表す御家人に続き、鎌倉における実質ナンバー2の三浦が同調したように見せかけ、最後は義時の執権就任を認める。

家康が秀吉と多くの大名たちの前で対面した場面が浮かびます。

ナンバー2が先手でナンバー1に忠誠を誓った場合、空気としても実質としても逆らえない雰囲気が醸成され、それが組織の形を成していきます。

いよいよ義時は、鎌倉を背負い、そして邪悪な京都勢力と対峙していくことになります。

最後に

何という大河なのだ!

本当に本作は体感時間が圧倒的に短い、気付いたらドラマが終わっている。

つまり圧倒的に面白い!ということだ。

今の時代は、ほとんどの作品が安全や安心、安易な道徳論に流れ、大河もまた違う時代を描いているのに今の時代に迎合するという悲しい傾向が支配していました。

しかし本作は違います。

鎌倉時代の残酷さ、一歩道を間違えたら滅亡するという緊張感から逃げません。

主役に関しても過度に美化したりせずに、しっかりと手を汚させ、かつそこに至る道を丁寧に描く。

だからこそ理想を抱きながらもダークヒーローたる冷酷な権力者の道へ進む義時に体重が乗っかるのです。

違う時代を全力で描く、これをやると不思議なことに、逆にその中から現代にも通じる普遍的な精神も浮かび上がってきます。

政子の愛情や、義盛の気前の良さ、邪悪な女に引っかかる男など、そこには安易な迎合をしないからこそ、本当に光る何かがあります。

暗殺や、陰謀が蠢く本作はそれと並行し、人間の気持ちをしっかり描くことにより、剥き出しの心がダイレクトにこちらに飛び込んでくるような感じを抱かせます。

畠山重忠との殴り合いでとどめをささない重忠、義時が流した涙、半分暗闇に覆われた中での義時の父に対する思いの吐露。

本作はエンタメとして最高であると同時に、心の深いところをえぐり出す文学的な作品でもあります。

本当に本作を見て、こういう作品に出合えるなら大河ドラマを見てきて良かったなあと心から思います。

作品の凄さもさることながら、義時を演じる小栗旬さん、政子を演じる小池栄子さんの演技は、想像を絶する凄みがあります。

こんなに主役がすごい力を放っている作品を近年見たことがありません。

今後のお二人の活躍を見ることも私の人生の楽しみの一つになりました。

その意味でも本作には感謝してます。

引き続き、また雑感を上げていきます。

タイトルとURLをコピーしました