実は先週、大阪に行ってきた。
私は定期的に大阪に行き、羽を伸ばす事を人生の生きがいにしている。大阪は食べ物も美味しいし、賑やかで楽しいし、賑わっている割に喫茶店は空いているという、私にとってとても相性の良い土地なのだ。
とはいえ今回言って感じたのは、その外国人観光客の多さである。
前回は、「これは7割以上、外国人だなあ」と感じたものだが、今回に至っては「もはやほとんどが外国人だなあ」というもの。
特に道頓堀や難波らへんは、日本人を見つける方が一苦労であり、夜になれば少しの距離を移動するのすら一苦労という有様であった。
多少それにはげんなりしたものの、一方で「あれ、大阪ってもしや世界の中心地なのでは」と思う位、多国籍的盛り上がりだったので、自分的にはトータルで「まあ楽しいか」という感じで落ち着いた次第である。
さて、私が旅に行く場合、特に大阪の場合、そうなのだが、その目的の一つに優雅な読書体験というものが、必須で含まれる事となる。
粉チーズを食べる為にパスタを頼む人がいるように、私の場合、ある種、旅とは本を読む為にある、そう言っていいほど、本は旅に必要不可欠な存在なのだ。
そんなわけで今回の大阪旅でも、私は現地の巨大書店で本を吟味し購入した。
もちろん自宅からも、あまり目ぼしい作品が見当たらなかった時の為に、積読本を持って行ったが、私は現地の本屋でその旅の本を買うのが好きなのだ。
そこで購入したのが、京極夏彦先生の「魍魎の匣」である。
京極先生はミステリ―小説の大家であり、その辞書とも呼べる、人を殴る凶器にすらなりえるページの分厚さが有名で、私も何度も書店で「うわっ、分厚っ!」と思ったものである。
京極作品は「百鬼夜行シリーズ」というのが特に有名で、これはデビュー作である「姑獲鳥の夏」から続く、陰陽師かつ古本屋「京極堂」の主人である中禅寺秋彦を主役とするシリーズで、私が今回買ったのは、このシリーズの二作品目である。
実の所、京極先生の作品を読むチャンスは私の人生の中で、過去に何度かあった。
一度目は大学時代の友人に薦められた時、二度目は数年前の個人的ミステリー再ブームの時である。
思い出すのは特に一度目の時の友人の熱量だ。
「とにかく姑獲鳥の夏を読め!」と何度も言われたものの
「ふうん」
と曖昧な相槌を繰り返し、結果、私は大学を卒業した。その当時は海外のミステリーの方が好きで、国内の昭和時代が舞台の作品には触手が伸びなかったのだ。
しかしあの時の、友人の熱量は、確実に私の中で生きており、今回、文庫本でその分厚さと、「魍魎の匣」というタイトルを見た瞬間、いきなり脳内にびびっと電流が走る。
「えっ、魍魎の匣ってタイトル。冷静にめちゃくちゃ面白そうじゃね」
正確には現地で買ったのか記憶は定かでないが、私は前回の大阪旅行でも「九尾の猫」というタイトルに惹かれ購入し、後期クイーン作品の面白さに衝撃を受けた事がある。
そしてバタイユの「眼球譚」や、ゲームの「リンダキューブ」を愛する私からすれば、グロテスクで淫靡なイメージが漂う「魍魎の匣」というタイトルは、どう考えても買いなのだ。
それをなぜ今まで気づかなかったのかとも思うが、私の人生は万事そんなものである。感覚・雰囲気・直観、これの三位一体。
ネットでさっと調べた所、多くの人が百鬼夜行シリーズの中で、「魍魎の匣」が最高傑作だと言っている。よし素晴らしい。
しかし多くの人が、読むなら一作目である「姑獲鳥の夏」から読めと言ってもいる。
・・・
・・・いや、匣。我慢出来ねえな。
そう、私はもう「魍魎の匣」というタイトルに惹かれ、それ以外はノーセンキュー状態。こうなったら、私の体はアドバイスなぞ受けつけやせん。
そんなわけで、私は堂々と二作目の「魍魎の匣」から百鬼夜行シリーズを読み始めたのである。
↓分厚いことこの上なし、まさに匣←は?

その分厚い文庫本を華麗に片手に持ち、アイスコーヒーを啜りながら、私は心斎橋のエクセルシオールでひたすらページをめくる。
直前まで海外の古典作品を読んでいたから、読みにくさは感じないまでも、序盤から中盤までは事件がかなり入り組んでいる事にびっくりした。
女子高生が線路から突き落とされる事件、相模湖から端を発するバラバラな手足の遺体、御筥様という箱をあがめる新興宗教などなど、要素は興味深いものの、そんなにセンセーショナルな表現で事件が起きるというわけではない。
そんなわけで、まあこんな感じかあと思いつつ、合間にたこ焼きを食べながら、喫茶店で読み進めていたわけだが、中盤過ぎあたりから、面白さが加速を始める。
そして結末である。
私は本の評価軸の中に、「如何に忘れられない、脳に焼きつく様な光景を見せてくれたか」というものがあり、これがある作品を探し、愛しており、そういう作品を読むのが人生の目的だったりもする。
その意味で、魍魎の匣が見せてくれた景色は、筆舌に尽くしがたく、私の脳裏に妖しく魅力的にその座を占め続けている。それ位の衝撃だった。
確かに分厚いし、読書に慣れてない人は読むのが大変だと思う。しかしこれは絶対に読むべき、必読の書だ。事実、私は何か違う扉を一つ開かれてしまったような、そんな感覚を今でも持っている。
機会があれば、是非、考察をアップしたい。
さて、そんなわけで大阪から帰ってきた私は、書店で速攻、「姑獲鳥の夏」を購入した。
↓充分厚いのに、他のシリーズと比べると薄く感じるから不思議

二作目から読み始めてしまったけど、ようやくシリーズ一作目。人物を知っているからか、「魍魎の匣」よりもスタートは読みやすい印象。
あらすじとしては、久遠寺医院という産婦人科の娘が、ニ十か月の間、身籠ったままという常識では考えられない事態に加え、その夫が密室から忽然と消えてしまったという、これまた怪しげなワクワク妖艶ミステリー。
そしてなんと、私は速攻で姑獲鳥の夏も読了してしまった・・・
すげえ・・
一作目もめっちゃいい!
民俗学、オカルト、若干SF的な描写と猟奇性。
私は確信した。このシリーズ、というか京極作品は多分、外れ作品はほとんどないのかもと。
そんなわけで、私は京極作品を今後も読み進めていく事を固く決意した次第。
フィリップ・K・ディックの「火星のタイム・スリップ」も絶句するほど面白かったし、今年は面白い作家さんをかなり発見出来た年。本屋さんに行くのが楽しい♪

