<雑記>パフェ推進委員会

雑記

私は最近、パフェにはまっている。

大阪の純喫茶で巨大チョコパの洗礼を受け、私は長らく所属していたギトギトラーメン推進委員会に辞表を叩きつけ、スイーツ学院の一回生に転生した次第である。

しかしパフェ道は険しい。

そう前の雑記でも言ったが、パフェというものは意外と取り扱っている店舗が少ないのである。特に私が読書するために行くカフェにはケーキセットはあってもほとんどパフェは存在しない。

ゆえに私は新しい町に予定があるたびに、グーグルマップで純喫茶を探し、パフェを追い求める、テクノロジーパフェゾンビと化し現在に至っている。

さてそんなわけで私は貧乏なのに関わらず、大抵千円程度するパフェを巡っているわけで、順調に金をすり減らしている。

正直な話、出かけた場合、パフェさえなければ飯代や本代だけで済むわけで、もし私がパフェに魅せられていなければ、金銭面の負担はかなり安く抑えられる。

しかしそれでもパフェを求める探求者の精神こそが、真の英雄への道を切り開くのだと私は思っている←メタファーの影響強すぎ笑

そんなわけで、私は日々金をすり減らし、順調にカロリーと体調を増やしているわけだが、常に考えてしまうことがある。

それは

パフェって一体何なんだ

ということだ。

そうパフェという物の概念は曖昧でかつかなり深い。

何せパフェである事の条件は、突き詰めていくと、たった一つしか存在しない。

それは長いパフェ用のグラスに食べ物が積まれていること。

ただそれだけなのだ。

ゆえにパフェグラスにマグロの刺身が詰め込まれていても、それはパフェだし←実際そういう商品を漁港かなにかで見た事がある

米が詰め込まれ、その上にアイスクリームっぽく納豆を盛りつければ、それは事実上、「納豆ご飯」であるに関わらず、いきなり「納豆パフェ」にクラスチェンジすることになる。

そうパフェとはある意味、食べ物の無差別級大会なのだ。

しかしとはいっても制限が無い大会に成長は無いし、そこに工夫は生まれない。

ゆえにパフェに「乗っけていいものと悪いもの」という概念は、確実に存在しているだろうことは、恐らく疑いはないだろう。

まずあまりパフェに入れたり乗せない方がいいのはどら焼きだ。

これは日本国におけるネコを代表する最大の圧力団体である青いネコ氏の大好物であることが主な理由だ。

もし接待の場で、ドラ氏にミキサーですりつぶされたどら焼きムースの上に、どら焼きが詰め込まれたパフェを提供した場合、ドラ氏はその冒涜的行為に席を立ち、二度と与党に対し、もしもボックスで票の操作をしてくれなくなってしまう。

そして出来るなら、とんかつと米の組み合わせでカツ丼パフェのようなものもやめた方が良い。

もし重要な刑事犯の取り調べ中に、カツ丼ではなくカツ丼パフェが出てきたら割と陽キャな犯人の男は、気難しい黙秘原理主義者へと変貌を遂げ、カツ丼パフェを上役が頼んだと知った取調官の甘いフェイスも、気難しい青汁系男子へと変貌してしまうことは疑う余地もない。

そしてパフェに乗せるべきでないと言い切れるのは、金利である。

パフェはやはりその場で甘さを楽しむものであって、金融商品として流通させるべきものではないと、紀元前からプラトンが言っているのを聞いた人がいるというのは、最近だと有名な話だ。

そう言えばかの武田信玄の名言に「人は石垣、コーンフレークはパフェ垣」という格言があるが、もはやこれは既に時代遅れになっている。

そもそも現代パフェ最新概論集において、コーンフレークはパフェにおけるかさ増しの要素が強いことを、最高裁が判決前例として認めたことは、以外と知られていない事実だろう。

しかしだからと言ってコーンフレークの代わりに柿の種を砕いて、パフェ垣にすることは、恐らく武田信玄どころか上杉謙信も絶対に許さないだろう。

パフェの根底の部分に、辛いのに柿という甘い果物の、さらに実でなく種子という概念を敷き詰めることは、ただでさえ複雑で多岐にわたっているパフェ世界をより複雑化してしまう。

言いなればそれはパフェの神に挑戦する行為だと言ってもいいかもしれない。

知られてはいないが、信玄も謙信も、パフェ神仏に対する信仰は深く、甘さへの崇敬の念を死ぬまで保持し続けていた。

それでもあなたがもし柿の種をパフェに敷き詰めようとするなら、それなりの覚悟はすべきだろう。

世紀末は世紀に一度だと思ったら、大間違いなのだから。

(はい、この記事は途中から全て勢いで書きました。私はそれを認めます)

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