少し前にデート代について、男が払うべきなのか論みたいなのが話題になりました。
本音としていえば「まだそんなこと言ってんのかい」「もう社会はそんなフェーズにないぜよ」というのが正直な意見ですが、少し考えて見ると以外とこれは、「まだ言っていること」を含めて、社会的に根深い問題かも、と思ったので今回色々書いてみることにしました。
本記事においてはバブル世代とか、20代・30代とか世代論に言及しますが、全ての人がこれに当てはまるわけではなく、若い人に老害みたいな人もいれば、バブル世代でも素敵な生き方を教えてくれる人もあり、人はカテゴリーではくくれないことをあらかじめ書いておきます。
さて、まず本件の根本的な問題は「経済問題」だということです。
この奢る奢らない問題が発生したバブル期の1980から90年代は、男性側が奢ろうと思えば簡単に奢れる経済状態にあったわけで、だからこそこういう話題が出てきたのでしょう。
しかし現代においては、かなり多数の男性が、奢るどころではなく、経済的にも精神的にも自分のことで精一杯なのだと思います。
だからこそ、デート代論争が、怒りもあって燃え上がるのでしょう。
さて、ここで「男がデート代を出すべきだ」という価値観を突き詰めてみましょう。
すると最終的は「お金が無いやつは恋愛をするな」という結論に辿り着いちゃいます。
つまり恋愛とは、「ある程度の収入を持った社会的成功者しか参加資格が無いもの」という風になってきます。
このある程度の社会的成功というのは、80から90年代であれば、ほとんどの人が難なく入れた条件だと思いますが、現代においては、かなりの数の人がこの条件からあぶれてしまっているように思います。←私もあぶれてるうちの一人笑
さらに毎回のデートで奢り、かつ記念日に豪華なディナーを予約して、それでいて自分の生活に余裕を失わない、なんて人は本当に一握りだけだと思います。
ここでさらに厳しいのが20代や30代の若い男性です。
なぜなら新卒はそもそも給料が低いし、仕事も未熟で自信も無く、精神的余裕も無いからです。
さらに夢を追っていたりした場合は、お金や時間の比重はどうしても目標に行くわけで、女性に奢る余裕なんてあるはずがないわけです。
さて、ここでお金を沢山持っていて、「ある意味で」精神的に余裕を持った存在が出てきます。
それが50歳代から上のバブル世代に代表されるおじさんたちです。
この世代は仕事も一段落して、お金を持っていて余裕があります。
そしてこの国の政治を動かしているのもまた、この世代であり、芸能界、実業界あらゆる場所においておじさんたちが牛耳っていて、そして上は繋がっています。(日本は狭い島国ですなあ)
そんなわけで色んな物事が、この世代が有利になるように作られているのです。
なので社会構造として若い男ほどお金が無く、おじさんほどお金を持っていることになるわけです。
そして「デート代を男が出すこと」かつ「お金をかけたデートほど素敵」な価値観に基づいて男の価値を考えると、バブル世代のおじさんこそが最高の価値を持つことになります。
一方、今度は女性について考えて見ましょう。
私は女性は年齢によって価値は決まらないと考えていますが、現代の社会は今だなお、女性の若さに価値を置いてます。
つまり男とは打って変わり、女の子は若い時ほどチヤホヤされるということです。
特に日本社会では、増えてきたとはいえ管理職などでバリバリ働く女性は世界に比べ少なく、サラリーマン的な出世やお金の蓄積も厳しいわけです。
そして若い男性と共に若い女性もまた経済的に苦しい中で、お金を持ってるおじさんが魅力的に映るのもまた道理。
つまりここにお金を持つおじさんと、若さを持つ女性という需要と供給が成立するわけで、このデート代価値観は、「パパ活」というゴール地点に着地することになります。
ここまで書いてきたことを鑑みるに、デート代論争には背後に社会問題、政治問題がぐにゃぐにゃ蠢いているわけです。
それもこれも今の与党が、村社会的で世襲的な前例踏襲と、増税政策で若い人の希望を奪っていったのと、本気で政権を獲る気が無い野党の無気力の産物なわけですが、このツケはかなりなところまで来ています。
お金が無い男の子は、自分に自信が持てなくなり恋愛から遠ざかり、そして女の子もまた男の子が恋愛市場に居ないので、恋愛から遠ざかります。
そして一部のお金を持った成功者の若い男に、女性が殺到するわけですが、最終的に婚約者に選ばれるのは一人であり、勝者はほんの一握りです。
そう、こんな状態で結婚する人が増えるわけはないのであり、少子化問題はもはや必然の結論だと言えます。
さて、ここからはこれからどうすればいいのかについて考えたいと思います。
まず政治の問題については、個人レベルの対策ではどうにもならない気がするので、これは考えないようにします。よくするには選挙に行くことだけです。選挙に行きましょう。
なので今回は個人の人間としてどうしていくべきかについてを考えます。
結論から言うと
「男女の分断を狙ったモノを全て無視する」ということだと思います。
冒頭のデート代論争ですが、ここには狙ったかどうかは別にして、男女を分断しようという狙いが仕掛けられています。
そもそも、こんな話題をしないでも、男は好きな女の子に何かしてあげたいと常に思っている生き物です。←愚かだけどこういう生き物
そんなわけで余裕があれば、普通に奢ります。
これは、その時や個人の経済レベルにより、毎回奢る人もいれば、たまに割り勘という人もいるでしょうし、それは十人十色です。
というか女の子の方でも、好きな人に私が出してあげたいという人もいるでしょうし、割り勘じゃなきゃ気持ち悪いと言う人もいるわけで、もうこれは男女によって無限のパターンがあります。
つまり根本的に言ってしまえば「持つ者が与えればいい」のだと思うのです。
そしてどちらが与える側かは問題ではなく、男女の双方がお互いの幸せを願い、状況を理解し、気持ちを想像し合うことで、助け合っていくことが最も重要だと思います。
この気持ちさえ持っていれば、こんな時代でも幸せに近づけるかなあと思うのです。
そもそも冒頭のデート代論争をしかけた女の子たちも、本心で言っているというよりは、芸能界の「バブルキャラ」や「港区女子」的な椅子を守るための話題作りとして投下しているような気がします。
とはいえこういう話題にいちいち乗っていると、そのおじさん日本資本主義を延命することにも繋がり、男女の分断にもなってしまうので、反応しないことが一番です。
そんなこんなで色々、思いついたまま書いてきましたが、今の若い人はもう「デート代論争」を古典コントくらいにしか捉えておらず、お互い助け合っていく価値観が自然と根付いてるような気もします。
とにかくどんな社会になったとしても、自分が優しい気持ちや想像力を持ち、目の前の人を幸せにしようと思えば、素敵に生きて行けるのではないか、そんなことを思いつつ本記事を終えます。