<雑記>この海鮮丼は酢飯ですか?

雑記

私は、8月の後半戦、青春18きっぷで、小田原・熱海・沼津・清水・静岡をひたすら海鮮丼を食べるために巡るという。スーパー海鮮丼祭り2024を開催予定であった。

しかし、台風である。

私が行こうとした瞬間、天気予報のサイトでは、静岡界隈は2週間後まで全て土砂降り雨マークだったのだ。

私はガチで家の中で

「なんでだあああ!」

と絶叫した。実に近所迷惑である。

仕方がないので、自宅近隣で海鮮丼を探し、まあそれが美味しかったので、私の機嫌は事なきを得たわけであるが、9月こそは絶対に遠くに行く!

ゆえにもしまた台風が来たら私はガチで泣く。養殖でなく天然の大サイズの真珠の如き涙を私に流させないで欲しい。

さて、私はあらゆる食べ物の中で、寿司及び海鮮丼が一番好きである。

最近背油系のラーメンでお腹を下すようになり、食べる量も減ってきた自分だが、海鮮丼だけはペロリと平らげ、むしろはしごまで余裕である。

そんな対海鮮丼専用最終兵器である私にとって重要な問題がある。

そう海鮮丼のご飯が酢飯であるか否かだ。

何を隠そう私は骨の髄から圧倒的に酢飯派である。むしろ酢飯でない海鮮丼は、それはただのお刺身定食を乗っけただけではないかと思っているまであるのだ。

しかしである。

世の海鮮丼には意外とただの白飯であることが多い。

これは実に大問題だ。

私みたいなしがないプロレタリアートが、2000円くらい出して海鮮丼を食べ、それがもし白飯だった日には絶望で、鼓動は速まり動悸は混乱し、海鮮丼のエビの頭を握りつぶしてしまうこと請け合いである。

おそらく、店に居るのはプロの海鮮マイスターであり、ゆえに彼らなりに

「このネタは脂っこいラインナップだから、白飯が合うだろう」

みたいな高度な海鮮博士修士課程のような理由があるのだろう。

しかし否!断じて否である!

私の全存在的主観的自己中心的趣向を持って、海鮮丼は酢飯しか認めない!

さて、ここでかなり力強い宣言が出たわけだが、現実は世知辛く、私はひ弱で軟弱で儚く哀れな子羊である。

そう、海鮮丼の店で酢飯か白飯か全くもって聞ける気がしないのだ。

正直な話、今回のブログのタイトルである

「この海鮮丼は酢飯ですか?」

なんていう、ご注文はうさぎですか? ばりのノリで聞けるはずがない。

もし何気なく自然な感じでライトに上記のように聞いたとして

「はあ、白飯ですけど」

と少しでも気のない、疑いが混じった感じで言われたならば、表面だけは、にやりとした誤魔化しの表情を浮かべつつも、内心では繊細さゆえに細胞がショックでヒートアップ、内臓があぶりサーモン状態と化してしまうことは自明の理だ。

そしてもしそこで「白飯」という情報が分かったとて。

「そうっすか、じゃあいいでーす」

と軽やかに角刈りの大将を尻目に颯爽と店を出るなんてこと、出来るはずがない。

そうこの酢飯と白飯のパラドックスはかなり深刻な問題なのだ。

事前情報の為、食べログ的なサイトで口コミを覗いたとて、その海鮮丼が酢飯かどうかということを言及しているものは少ない。

つまり現代社会では、海鮮丼を食べて酢飯かどうかは、完全な運否天賦、確率という女神のサイコロ次第になってしまっているのだ。

これはどう考えても由々しき事態だ。

私は是非、海鮮丼はメニューの値段の下の(税込)とか(税抜)という、税にかまけている文字の入居者を(酢込)や(酢抜)に即刻入れ替えるべきだと思っている。

正直な話、消費税より何より、酢飯か否かというのが優先されるべきなのが、人類の更なるアップデート、目指すべきユートピア社会の一つの形だろう。

私はむしろ海鮮丼が酢飯かどうかを明記しなくてはならない法律を作るべきだと思っている。

そんな法律通るわけがないと言う反論は当たらない。

官僚は意味を複雑にし難しく見せかけるプロである。

ゆえに

「海産物の副次的存在における刺激物記載に関する法案」

とかなんとか言っとけば国会議員の先生方は何の疑問も持たず法案は通過するだろう。

そんなわけで私は今もなお、この酢飯・白飯問題の解決策を思いあぐねている。

きっとこの問題は、私の人生をかけた問いになるだろう。

今はそんな気がしている。

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