高校時代、学校のある駅まで行ったものの、学校に行く気が起きず、駅の立ち食いそばを食べて帰るという行為を、月に2、3度は繰り返していた私(新しい形の反抗だ)
それ以来、なぜか立ち食いそばに愛着を持っています。
家は母親がそばアレルギーなので、そもそも食卓にそばが出てこなかったのもあり、初めて食べたそばが特別に感じたのもあるかもしれません。
高級な十割そばとかも、美味しいのですが、どちらかというと、あの何割そばだか分からない絶妙な歯ごたえの立ち食いそばの方を可愛がってしまう自分がいます。
そんなこんなで、この前も立ち寄った街で立ち食いそばを食べていたのですが、その時ふと強烈な眠気に襲われたんです。
立ち食いそばは本来、眠る場所ではないですし、そして眠気を及ぼすような存在でもありません。
そんな場所で眠気に襲われるということはよっぽど眠かったのでしょうか、少しうとうとしてしまいました。
少ししてお店を出れるかなあ、くらいには動けるようになったので、席から立ち上がろうとすると、今度はトイレに行きたくなりました。
食器を下げたついでに、トイレに寄ろうと店主にトイレの場所を聞いたところ
「地下に下りて、一番下のドアを開けたところです」
とのこと。
良く見ると、立ち食いのテーブルが横に3つ並んでる一番奥に、階段ぽいものが見えます。
眠気を少し引きずりながらも、私は地下に下ります。
狭くて急な階段を下りると、木製のドアがありました。
さてそこを開けて用を足そうと思ったところ、そこに白い便器は無く、あるのはまたしても廊下でした。
「なんてわかりにくいんだ」
扉がいくつもあって、間違ったドアを開けたらどうしましょー、とかなんとか思いながら進むものの、一本道でドアもない廊下だったのでずんずん進んでいきます。
さて廊下を進むと、またドアです。今度の色はみずいろのドアです。
ようやくトイレかと思いドアを開けると、またしても階段です。しかもなぜか螺旋状になっています。
立ち食いそばに階段までは許せても、螺旋状だけは許せないのは道理なのと、そのころにはトイレに行きたい感覚もぱったり消え失せていたので、もうお店に戻ることにしました。
しかし振り返ってみると、さっき開けたはずのみずいろのドアがありません。
しばらく口をぱくぱくした後、なるほどここは、立ち食いそばにイリュージョンもトッピング出来るタイプの店だったのかと前向きに人生を考え直し、半分やけくそで先を進むことにしました。
しかしこの螺旋状が思ったよりも、かなりの螺旋状で、おそらくかたつむりすら
「すいません、僕はもう螺旋タイプはこりごりなので、直角タイプの部屋にしてください」
というぐらいの螺旋だったので、少し気分が悪くなり、かつ体内のそばがぐるぐる回っている感覚に陥りました。
ようやく一番下まで下りると、またしてもドアです。
ドアを開けると、そこには顔がマンボウで下が人間みたいになってるモノが立っていました。
とりあえず何か話しかけてみることにしました。
「あなたもトイレにきたのですか」
するとマンボウは
「いえ流れに逆らってきたのです」
「なんの流れですか」
するとマンボウは悲しそうな顔で言います。
「私はずっと海を漂っているだけの無能というレッテルを貼られてきたのです。しかし私は自分で泳ぐことが出来るのです。海流にだって逆らえます。ここに私がいるのは何よりの証拠でしょう」
そういえばマンボウは海を漂ってるだけだと小さいころ聞いたことがあった気がする。なるほどあれは人間の誤解だったのか。
「すいません、どうすればここから出られますか」
するとマンボウはきょとんとした顔になり、きょとんとした音をしたあと、大きな樽になってしまいました。
なんだかいい匂いがするので、樽の中を覗いてみると、そこには透明な茶色の液体がたっぷり入っていました。
少し舐めてみると、これはお店で食べたそばのスープです。
なるほど一風変わったスープだと思ったが、こういうことだったのか。
今まで自分は立ち食いそばのことを、ただ立って食べるそば屋だと思っていましたが、よくよく考えてみれば、立ち食いそばに地下があってもいいし、螺旋状でもいいし、マンボウでもいいのだ。
そういえば紀元前10世紀の哲学者が言っていたではないか
「回転ずしの回転が、常に同じ方向の回転だとは限らない」
と。
そんなことを考えていたら、いつの間にか廊下の終わりについていました。
そしてドアを開けると、そこは太陽の光が射す都会のビル街でした。
振り返ると、そこにはみずいろの立ち食いそば屋があります。
寝ぼけていたのか、それとも現実だったのかイマイチ分かりませんが、ただ楽しい体験だっだのでOKとすることにしました。
生きていればこういうこともあるでしょう。
そして私はまた立ち食いそばが好きになったのでした♪