お酒が飲めた方が人生は絶対に楽しい!
私はどこかへふらっと旅をするのが好きなのですが、風光明媚な観光地に行くたびにそんなことを思います。
なぜならば、その土地ならではの本当に美味しいものというのは、地元の居酒屋にあることが圧倒的に多いというのが、私が色々調べて辿り着いた一つの真理だからです←なんとも軽い真理だこと
しかし私はお酒が強くない。そんなわけでなかなか居酒屋には入りづらい。
さすがに鹿児島に行った時は焼酎を飲みに地元の居酒屋に入りましたが、それでも二杯くらいで酩酊状態になる始末。
そもそも遺伝的な話でいえば、私の両親は共にお酒が激弱なので、先天的なアドバンテージがは皆無です。
ただし私は両親よりはまだましで、強さでいうとの中の下くらい。しかし、この中途半端なところも実にたちが悪いのです。
なぜなら一杯も飲めない体質なら
「今回の人生において、私はお酒の神には見離されてたようじゃ。いさぎよく諦め、大地に豊穣の祈りをささげよう」
てな感じになりますが、まあ飲めないこともないという、絶妙な生殺し状態。これが一番厳しい次第とあいなります。
とりあえず強い弱いの問題を置いとくとして、さらに本質的な問題があります。
そう私はお酒が飲めるけど、その美味しさが分からないのです。
そもそも味的にいえばビールは苦い炭酸であり、確かにのどごしはいいですが、美味しいと問われれば微妙。
美味しい焼酎を頂いても、「確かにこれは芋の芳醇な香りがしますなあ」くらいは分かっても(それすらなんとなく)、それが美味しいのかと問われれば分からないと答えるしかありません。
ならお酒を飲まない人生を歩め!
そう言いたくなる気持ちは分かりますが、そうもいかないのが人間という生き物の複雑さ。
テレビやネットの動画で、美味しそうに日本酒を飲み、肴をたしなんでいる御仁を見ると、私もああいう人間になりたいという憧れがむくむくと沸き起こってくるのです。
そもそもとして私は高校生くらいにコーヒーを飲み始めたのですが、最初は「ただの苦くて黒いお水」としか認識していませんでした。
それでもなぜコーヒーを飲み続けたのかといえば「カフェでコーヒーを飲む」という行為への憧れ、その一点突破のみ。
しかしそんな不純な動機でも今では、コーヒーが美味しいと思いますし、別府でとんでもなく美味しいコーヒーを飲んだ時は、本当に感激したものです。
なら頑張ってお酒を飲み続けろよ!
そう言いたくなる気持ちも分かりますが、そうはいかないのがこの世の人情。
そう私はお酒を飲むと、脳味噌が全く働かなくなるのです。
ゆえに大好きな読書も出来ず、ましてや小説を書く等もってのほか。
さて、ここまでの話を総合すると私は今、願望と現状の迷宮・円環構造に入り込んでいるのです。
それは山手線のようにゴールも無く延々と回り続ける、欲望とそしてそれを叶えられないという追いかけっこ。まるで地獄のメーリーゴーラウンドのよう。
しかし私はそのメリーゴーラウンドの哀れな一匹の馬に成り下がる気はありません。
そう私は毎晩、酔わない程度のお酒をたしなみ、その量を増やしていくという、桜木花道もびっくりするほどの基礎中の基礎を徹底的に叩き込んでいるからです。
きっと長い時間がかかることでしょう。しかしいずれそれがレイアップになり、ダンクシュートになり、スリーポイントシュートになる。
私は今、そんなことを夢見ているのでした。
(後半はほぼ勢いだけで書いている模様)