私は子供の頃、小児喘息でした。
水泳で体を鍛え、良く食べ良く寝るという原始的は方法で、大人になってからはほぼ出なくなりましたが、やたら水分補給したりするクセなどは抜けておらず、そのせいもあり今やすっかり頻尿世界のA級住民です。
それ以外にも、色々な弊害があるのですが何と言っても辛いのは、動物が飼えないということ。
自分は犬とネコで言ったら断然、ネコ派なので(自由気ままな感じが素敵)、本当はネコを飼ってみたいのですが、やはりぜんそく的に言うと毛的に厳しい。
あんなに青いネコ型ロボットの映画や、サンリオの白いネコちゃんのアニメを子供の頃見ていたというのに、神は残酷な仕打ちをするものです。
そう言えばペルソナ5のマスコット的な仲間キャラのモルガナもネコだったなあ。
とまあそんなことを常に思いつつ、私はネコへの愛を抑制して生きていました。
一方、それとは別にして、私はなぜか動物に好かれません。
友達に対してはしっぽを振っていた犬も、私が近付くとしっぽを地面にぺたんとし、低く唸り始め、動物園のコアラも私が現れた途端に木に登りガチ寝を始めます。
しかししかしです。
最近、神社に行くとなんとネコちゃんが私に近づいてくるようになったのです。
これは年齢を重ねたことで何かしらのフェロモンに変化が現れたのでしょうか。
さらにそのネコちゃんは、私の足にまとわりつき、行く先々についてきます。
私がしゃがみ手を差し出すと、にゃあんと鳴きながら手に顔をうずめてきます。
「僕は、これからこの子の為に生きてもいいんではないか」
そんな極端な声が、脳内で鳴り響くほど、私のぬくもり・幸せ指数はマックスになりました。
とはいえ、やはり私は喘息の身、泣く泣く私はそのネコちゃんと別れ、坂道を下ります。
帰り道の喪失感の最中、私は考えます。
「もう、過去のことだし、喘息大丈夫じゃねえかな」
何というかいつまでも過去の恐怖に捕らわれていては先に進めない気もするのです←それとこれとは違う気もする
とはいえコロナもまた呼吸の病でもあるし、やはり怖いことは怖い。
でもネコは好きだし、肉球をぷにぷにしたい。
そんなわけで、私の脳内では、巨大な甲冑を着たネコの将軍と、巨大な竜巻の中に不気味な黒い目を光らせる、ぜんそく大明神が、緊迫した肉弾戦を繰り広げているのです。
果たして決着はいつになることやら。