<弟>
ようやく静かになったリビングだが、今度はわざとらしいくらいの異常な静寂が強調されている。
姉は子供のころからかなり変だった。
そして姉が唐突に提案するきまぐれな言動・行動で迷惑を被るのは大抵僕なのだ。
顔はそこまで変じゃないのに、あれじゃあ男も寄り付かないよなあと思う。
しかし、一体姉はどこにいったんだろうか?
奇人・魑魅魍魎の類であれど、あれでも一応女の子ではあるのだ、そういうことわかってんのかしら。
一瞬、家族への心配の情が芽生えそうになるが、頭を振り思考を追い払う。
いやいや、僕には関係ないぞ。夕飯後のまったりタイムを邪魔されてなるものか。
そもそも姉が勝手に出て行ったんであって、僕には何にも責任はないのだ。僕はほっこりとお菓子を食べ続けよう。
しばらく袋と口を手が往復していると、すぐにお菓子を食べ終えてしまう。そんなに食べたかしら。
カーテンの隙間から、月が見える。今日は一段とギラギラ輝いている。奇麗というよりは少し禍々しく感じる。
そういえば最近隣町で、女子高生が変質者に襲われたってお母さんが言ってたなあ・・・
もう一度お菓子に手を入れるが、指は宙を空回りする。
袋から手を抜いてみると、指に粉が付いただけである、そうだもう食べ終わったんだった。
粉にまみれた指をぷらぷらさせ、しばらく意識を宙空に彷徨わせる。
・・・・・・
「はあ」
すっとソファーから立ち上がり、自分の部屋に行く。
部屋着から、短パンとTシャツに着替えて玄関に向かう。
靴を履きながら玄関にある、父がタイのお土産で買ってきた、仏様の置物にお願いをする。
せめて姉を可憐とまでは言いません、普通の常識的な人間にしてくださいと。
簡単にお祈りした後、僕はしっかりと戸締りを確認し、夜の闇へと足を踏み出した。
さて、そんなに時間は経っていないはずだったが、姉を追うにあたり第一の関門となるのが、家から出たすぐの道を、右に行くか左に行くのかということである。
何かしらのハプニングを求めるなら、夜間でも人手が多い繁華街が連なる駅にいくのが定石だ。しかしそれは初心者の浅知恵というもの、姉は姉自体がハプニングであり招かれざる客なのだ。
すなわち今回は迷わずに右一択だろう。常識の逆を行くのが姉であり、姉こそが常識の反徒であることがその所以だ。
そしてしばらく道なりに歩くと、案の定姉がいた。正直予想が当たっても全く嬉しくはない。
姉はなぜか立ち止まっている。
立っているシルエットだけで、異様なオーラを放っているのが分かる。
月も理解しがたい女を照らすことになって、戸惑っているのか、雲から顔を出したり隠れたりしている。
そしていきなりその場に寝転ぶ姉。
ついでに僕はというと、民家と民家の塀のすき間に、体をすっぽり入れてその光景を見ている。
しばらく横で寝そべる姉、静寂な時間、奇妙な風景、異様な人物、その人物は僕の血縁。
するといきなり姉が何かを口に含んだ。あきらかに道から拾った何かだ、そしてぺっと吐き出す。
うーん、頭が痛くなってきたぞ。
視線を姉から正面にずらす、すると何とネコが姉に近付いてきた。
これは珍しい光景だ。動物も本能で姉の異常性に気付くのだろう、普段はネコや犬どころか蚊すら姉には近づかない。
しばらくネコと見つめあっていた姉は、一通りじゃれ合った後、ネコに別れを告げ再び歩き出した。
いきなりヒューマン映画みたいなシーンになったとて、僕の不安と頭痛は鳴り止まない。むしろより不気味さは増幅されたと言っていい。
ズキズキするこめかみを押さえながら姉を追う。
すると水たまりのところで姉が立ち止まった。リュックを置きペットボトルで水たまりを汲み出す。
まさか、また口に含むつもりなのか!?
そう思ったのも束の間、姉は頭から泥水を被り始めた。
想定外の映像に脳が衝撃を受けながらも、片方で僕の理性は冷静にその絵を分析する。
月夜の光をまとう、水も滴る異常な女。
そんな分析結果を噛みしめる間もなく、姉はすぐにタオルを出して体を拭き始めた。
恐ろしいのはあんなに勢いよく泥水を浴びたのに、水量が少なかったのか制服のシャツがあまり汚れていないことだ。偶然すら姉に味方しているのかと思うと、心胆が寒からしめられる。
そんな僕の怯えも我関せずな姉は、手を垂直に伸びをし、満足そうないい顔をしている。
この年齢で、人の幸せな表情を見て苦々しくなるという経験をさせてくれるとは、随分な弟への愛情表現だろう。
そんなことを思いながら引き続き、僕は姉を追う。