「スタープレイヤー」は、恒川光太郎さんの長編小説で、無職の34歳の女の子が異世界に行き、10の願いが叶うボードを使って冒険を繰り広げるという、かなり破天荒なファンタジー小説です。
非常に読みやすく、色んな仕掛けや要素が盛りだくさんで、ワクワクする内容になっているので、一気に読めちゃいます。
それでは考察をスタートしていきます。
以下、物語の重要部分に触れるので、ネタバレが嫌な人はここまででストップしてください。
ざっくり説明 スタープレイヤーのルール
34歳で無職の斉藤夕月は、ある日のこと、謎の真っ白な服を着ている男のくじ引きで一等を当てます。
すると全く違う世界に飛ばされて、そこでスターボードという願いを叶えるボードの説明を聞かされることになります。
- 願いは10個まで叶う
- 100日後でないと元の世界に戻れない
- 願いはボードで文章にする
- 抽象的・観念的な願い、物理法則を変える願いはダメ
スターボードのシステムで重要なのはこんな所ですが、このシステムのすごいところは、一つの文章であれば複数の願いが一回分で叶うというところです。
例えば、指定した場所に豪邸を建て、緑に覆われた庭で囲み、自分の顔を美しい姿に変え、ビールを樽で10個出し、人気俳優を恋人として呼び出す。
これが一つの願いで叶ってしまうのです。
そう、このシステム、めちゃくちゃゆるゲーなのです。
文を考える頭脳次第で、あらゆる欲望は簡単に叶えられてしまいます。
しかしそれでも10個までしか願いは叶わない。
この無尽蔵な可能性がありながらも10という制限はあることが、願いを叶えるプレイヤーに心理的影響を及ぼしていきます。
斉藤夕月が抱えるもの
ここでは物語の主役である斉藤夕月の内面を深堀することにより、物語を掘り下げていきます。
夕月という人
この物語の主人公の夕月は、現実世界を自堕落に過ごしていました。
自らの浮気のせいで、学生時代に出会った夫と離婚し、それ以来全てがうまくいきません。
あげくの果てに暴漢に襲われ、足を負傷しリハビリ生活になってしまいます。
それ以来、実家で暮らしながら、無気力状態で毎日を送っています。
スターシステムを使って、素晴らしい庭を作り、さらに自分自身を美女に変えた彼女は、過去に自分を襲った暴漢を呼び出します。
自分の人生をめちゃくちゃにした人物は一体誰なのか?
そこにあらわれたのは、顔も知らない中年の男でした。
男は、幼少時からの経験で心を壊し、思わず嘘ばかりをついてしまう病んだ人間でした。
夕月を襲った動機は、「みんなに見放されて苛立っており、たまたま通った夕月が自分のことを馬鹿にしたような気がしたから」という、鬱屈から来た突発的な事件でした。
夕月は内心では、別れた夫が何かしら犯行に関与しててほしいと願っており、許して一緒に暮らすことを、ありえないと思いながらも望んでいました。
またそれでなくても、私のことを誰かが恨んでいたという物語であってほしい・・・・・
しかし事実は夕月の過去や個性とは何も関係がありませんでした。
社会の病理という、悲しい冷たいものがそこにはあるだけでした。
自分のことを恨んでいた物語がほしかったという、彼女の心はなかなかヘヴィーです。
一体、何が彼女をここまで思わせているのでしょうか?
夕月は自分の浮気、そしてその結果としての離婚から全ておかしくなったと思ってますが、根本はそこではなさそうな気がします。
スタープレイヤーの世界に来る前の夕月の行動を見ていくと、夕月の価値観のベースは基本的に、他者からの評価に、比重が置かれている気がします。
上を見たらきりがないとしながらも、バブルにおける格差は気にしており、合コンで理想の相手がいないというのも、実は曖昧な世間一般の理想を、カテゴリーとして眺めているだけだからです(そもそも人によって理想は違うはず)
また彼女には、学生時代の印象的なエピソードがあります。
夕月には、幼少時代に変質者を追い払って、自分を守ってくれた憧れの先輩がいました。
自分も弱いものを守ってあげる女の子になりたいと思い、先輩と同じ部活に所属するものの、結局は、きつくてやめてしまいます。
そして先輩と同じ高校を受験するものの、彼女は合格できませんでした。
初期の夕月にはどこか、頑張っても仕方ないからそれなりでいいや、みたいな無気力感を感じるのですが、人生における大小の様々な挫折の数々が、彼女を構成している気がします。
ここまでの話を整理すると。
お金やルックスだけが人生!みたいな極端な人間ではないものの、なんとなく自己の欲望と世間の定規のなかでぼんやりと過ごしていて、どこか無気力な人間。
というのが夕月ではないかと思います。
夕月の孤独
それではそんな夕月の根本を構成してるのはなんなのでしょうか?
それは自信のなさからくる孤独だと思います。
前項の先輩みたいになりたくて挫折したエピソードも、基準を先輩に置いていて、自分自身が何が得意で何が出来るかという観点が抜けています。
彼女は、自信があまりなく、なんとなく基準を世間や他者に求めて、ぼんやり幸せを追い求めています。
幸せはそれぞれ違うので、自分自身で考えなければいけません。
自分をぼんやりと無気力で眺めていれば、幸せには辿り着けませんし(そもそも何が幸せか分からない)いつもどこか満たされないので孤独です。
勝手な私見ですが、自信がある人は孤独に強い人が多い気がします。
話を聞いてみて、全く根拠が無い自信家の人も、やたらめったら明るかったりするので、人が集まってくる印象があります(そういう人間は一緒にいて楽しい笑)
浮気をしてしまったのも、そのぼんやりとした孤独の隙を、上手くつかれたからなのかなと思います。
夕月の自信の無さ・孤独がいまの状況を作り出してるともいえます。
フーリッシュワールドとシンシア
ここでは劇中に出てくるフーリッシュワールドと、そこに住むシンシアという少女について見ていきます。
フーリッシュワールド
この小説には夕月のほかに、様々なスタープレイヤーが出てきますが、その中でも敵側のキャラクターであるラナログという男の、過去の回想に出てくるシンシアほど印象的なプレイヤーはいません。
そしてその舞台となるフーリッシュワールドも非常に奇妙な世界です。
フーリッシュワールドは上空から見るとドーナッツ型に見える町の世界で、そこの中央には宮殿があります。
その宮殿には愚王という神とも悪魔とも分からない超自然的な存在がいて、どんな命令でも従わねばなりません。
またその世界では学校に通い、就職し、そしてその後はいつかフーリッシュワールドを去ることになります。
実に奇妙な世界ですが、この世界の真相はとんでもないものでした。
ラナログは学校でシンシアという美しい少女と恋に落ちるのですが、なんとこの世界はシンシアが甘酸っぱい青春をずっと味わうためだけに作りあげた世界だったのです。
シンシアの実年齢は70代でした。
シンシアが恋愛を楽しみつくしたら、その世代を消し、また次の世代と恋愛を楽しむ。
青春地獄の世界です。
シンシアの孤独
シンシアが抱えているのは、青春恋愛至上主義という病です。
日本ではありとあらゆるコンテンツが学生生活を取り上げ、かつそれを賛美しています。
それはまるで学校生活が楽しくなかったら人生の8割は損してると言わんばかりです。
どう考えたって成年してからの方が人生は楽しいし、成長してる分だけ視野が広がるのですが、やはり映画やコンテンツの力は恐ろしいもの。
みんな甘酸っぱい恋愛がしたいのです。
しかし、狭い教室という箱の中に押し込められ、個性を出しにくくされているくせに、異性の選択肢だけは多いという状況では、大抵の生徒は、数値や外見で異性を選びます。
残酷ながら、大勢の同世代の中で望むような恋愛を出来る人はほとんどいません。
その中の一部は、その後いろいろな価値観を学んだり経験したりして、「学生時代って別にどうでもいい時代だったんだなあ」と気持ちに折り合いをつけることが出来ます。
しかし、他者に評価をゆだね、世間の基準に幸せのピントを合わせてる人はこの病を抱えながら生きていくことになります。
あんなに素晴らしいはずの学生時代に愛されなかった自分はダメなんだ・・・
結婚はしたけれど、満たされない孤独感・・・
この孤独も結局、自分に自信がなく価値判断を自分に置いていないからです。
夕月は前の夫を
「五年、十年経って染みるように分かる良さを持っていた・・・」
と振り返る感性はありました。
それに比べると、シンシアの孤独のほうがずっと重症な気がします。
とはいえ彼女もおそらくこの恋愛世界の虚しさを分かっていたのでしょう。
だからこそ、自らを愚王と名付け、世界の名前をフーリッシュサークルとしたのだと思います。
恋愛を十分楽しんだあと、彼女はしばらく宮殿に引きこもり、いままで関係した人間を消し、新しいクールガイを呼び、また新しい世代に自分も混ざります。
私から見ると、この描写は、恋愛ゲームやコンテンツに夢中になったあと、そのコンテンツを売り、また新しい恋愛コンテンツを楽しむ日本人の男女にすごく重なって見えます。
シンシアは自分の姿を若く変えて、設定も都合よくいじり学校に潜り込んでいますが、日本にあふれる青春コンテンツも、非常に都合がよく設定されていて、そして容姿主義です。
そこに自分自身はいません。
もしかしたらフーリッシュサークルというのは、そのような今のコンテンツとそれを取り巻く状況を揶揄してる部分もあるのかも、と思うのはうがちすぎでしょうか。
シンシアもどこかで満たされない孤独と欲望の連鎖を、終わらせたかったのかもしれません。
もしかしたら自分を消す役目としてラナログを呼んだのではなかろうか?
そう私は考えています。
ラナログは外見だけではなく、自分の身も顧みずに子供を守る精神を持っています。
追い詰めたシンシアを、ひどい人間と分かっていながらも撃てなかったラナログ。
そのあとシンシアから手紙を受け取り、その中には期待通りで期待外れという文言がありました。
その後彼女は自分自身も含めてフーリッシュワールドの人々全てを消しますが、ラナログ一人だけは残します。
シンシアは、ラナログが撃たなかったことが嬉しかったのかもしれません。(少しは孤独が癒されたのかも)
また愛されて恵まれていたラナログに、自分の孤独を背負わせたいという憎しみもあったと思います。
いろんな感情が渦巻く中で、シンシアは消えていったのだと思います。
ラナログの孤独
さて、本作の敵としての位置づけのラナログですが、彼の事情はなかなか複雑です。
もともとスカイレッドというアメリカの人気俳優で、実世界の彼は、子供をかばい19歳で射殺されています。
スタープレイヤーの世界にいる彼は、シンシアが呼び出した射殺される前の彼です。
当初は自分が実世界で死んだことは知らずに、シンシアとの恋に夢中になりますが、世界の真実を知り、ここでまず愛する人に裏切られる経験をします。
可憐で大好きだった人が、実は70代で、かつ自分のエゴのために何万人もの命を消してきたというのは計り知れない破壊力です。
そしてその後に、誰もいなくなってしまったあげくに、実世界で自分は既に死んでいて、いまの自分は恋愛のために呼ばれた存在だと知ります。さらなるパンチを続けて浴びせられたわけです。
自分が風が吹けば消えてしまう存在だ・・・と感じた彼の気持ちは察するにあまりあります。
荒野で一人生き延びるために「ラナログ」というタフガイのキャラクターを作り出して演じる、彼の痛々しさは見てられません。
元々優しい腕力の無い人間が、自らの心を補うため武装する・・・
このパターンはいきすぎたマッチョイズムにいくことが非常に多いのです。
さらに無人のフーリッシュサークルを抜け出す過酷な旅が、決定的に彼の何かを砕き変えてしまいます。
未知の自然に囲まれ、いつ死ぬかもわからない旅で、彼はスカイレッドではなく完全にラナログになったのでした。
彼の語る、夢は己の力で叶えるもの。世界は人々が知恵と勇気で切り開くもの。
という考え方は非常に全うです。
しかし彼は理念やスローガン、俯瞰した人類全体という物差しで判断しており、そこには個人の人間の存在という要素が非常に薄いのです。
大量の血を流してまで二国の統一を急ぐ必要はなかったという夕月の指摘はその通りです。
彼の行動を見てると、非常にあせりを感じます。
元々、俳優だった彼は、非常に優しい、思いやりのある青年だったのだと思います。
しかしシンシアのこと、自分が偽物なのではという思い、上記の様々な経験が、彼の中の恐怖に似た孤独を育ててしまったのです。
シンシアは彼に最後、他の人種の言葉が分かる能力を残してくれましたが、それだけでなく欲望の果ての、孤独のあとに残される世界を見せつけました。
その結果、彼は自分の存在を孤独でないものにするため、英雄になることが目的になってしまったのです。
立派なスローガンも人々のためというよりは、自分のためのものなので、そのスローガンにより血が流されることになりました。
映画の中でみんなに夢を与えていた青年が、リアルでも英雄を求め、それはみんなに夢を与えるという、形だけは映画と一緒でも似て非なるものだった・・・
皮肉な話です。
あまりに過酷な経験が彼を、優しい青年から、思想で人を殺す人間に変えてしまったのです。
「力」「願い」「孤独」との向き合い方
スターボードシステムの面白いところは、複数の願いを一気に叶えることが出来る為、序盤で大抵の願いは、ほとんど叶ってしまうところです。
そうすると後半になるに従い、どうしてもプレイヤーは望みと願いについて深く考え、自分と向き合うことになります。
夕月もこのシステムを通して、様々なことを考えます。
シンシアは自分と向き合い、そこの欲望だけを抽出して最後は消えてしまいました。
しかし夕月は最終的に自分と折り合い、成長を遂げます。
この二人は一体どこが違ったのでしょうか?
そこには夕月自身の持ってる資質もありますが、誰と出会うかという運も大きい要素です。
やはり夕月自身も言っていますがマキオとの出会いが大きいです。
お菓子をつくる会社に就職して1年半でここにきたマキオは、最初のショックはかなり大きかったと思います。
しかし自分の願いを自然体で理解していて、大地をしっかり踏みしめてる彼は、タワー村を作り幸せになる努力をしつつ暮らしています。
そのマキオに導かれながらの自然の中での暮らしは、彼女の都会での、人と比べられて生きていく、自分の足に基礎を置かない生活でのダメージを確実に癒していったはずです。
そこで規則正しい生活を送り、人々と付き合う中で、ようやく自分について考えることが出来るようになっていきます。(リハビリ生活のよう)
そして様々な事件を通して、自分自身とスタープレイヤーに与えられた力について。
つまりは「力」と「願い」についての考えをまとめていきます。
「自分が道を踏み外す愚か者と知っておく」
と彼女が自己俯瞰について語るシーンがありますが、この彼女の考え方は自信がないのではなく、自分の心との向き合い方の処方箋なのだと思います。
犯罪者を見たときに、自分は絶対こんな風になることはない!と拒絶するのは簡単です。
しかしその考えは優劣で人間を振るいにかけています。
その人がどういう事情で、どんな不運なことがあって・・・という背後の事情への想像が欠如しています。
この拒絶という振るい分けを先鋭的に推し進めていくと、自分は間違わない優秀な人間だ!みたいな
一種のエリート思想になっていってしまうのではないでしょうか?
夕月のこの考えは責任の重さと向き合っている証拠です。
彼女はこの頃には、四苦八苦しながらも、逃げずにスタープレイヤーの責任の重さと向き合ってきた経験と自信がありました。
だからこそ道を踏み外さないようにしようと自制出来るのであり、自分のために権力を使わずに、他人の為に使い、なおかつ常に自己を省みるという「力」を持つ人間にとって一番大事な能力を備えることが出来たのです。
ラナログが自らの力と理想を過信して滅びていったのとは非常に対照的です。
夕月は戦没者を生き返らせる場面で、ラナログの
「夢は己の力で叶えるもの。世界は人々が知恵と勇気で切り開くもの。」
という考え方の方が全うだと、しっかり分析しています。
しかし、もう自分は自由ではなく、みんなの願い・無数の人々の祈りが自分をここに立たせていると感じた夕月は、人を生き返らせるという、生物のルールから逸脱してるように感じることでも、自分だけの理念ではなく、みんなの現実と思いに寄り添った選択をするのです。
ラナログと夕月の比較は、どんな正しい理想も、「力」を過信した人が使えば暴力になり、またどんなにハリボテな理論でも、そこに人の幸せへの「願い」があれば輝くという例だと思います。
自らの責任を全うし、その結果自分を認めることができた夕月は最後、旅に出ることにします。
ここから彼女の、自分をもっと知り豊かにする旅がはじまるのでしょう。
スターシステムは宝くじにも似ていますし、逆に不慮の事故にも似ているかもしれません。
3億当たって身を滅ぼす人もいれば、うまく自分に活かす人もいます。
また事故にあって人生をあきらめてしまう人もいれば、そこから見える景色から新しいものを組み立てる人もいるでしょう。
偶然手に入れた、また訪れた「力」「運命」をどう扱うか。
それはその人次第です。
自分に自信がなく、他者の評価で生きていてずっと孤独を抱えていた女の子は、自身と向き合って他の人を助けたいという、自分が美しいと思う価値観に軸を定め、力を使うことができました。
シンシアは孤独からくる渇望に飲み込まれ、ラナログは孤独と空虚を埋めるため、大量の戦死者を出す作戦に邁進しました。
いまの政治家のほとんどが、シンシアとラナログみたいな歪みを抱えて仕事をしているのではないかと思います。
どこを見ても、他者への思いや、美しいと思う感覚ではなく、欲望や渇望を埋める為の名誉のほうを向いてる人しか見当たりません。
そしてそういう人たちは突き詰めていくと、根本的には孤独で自信がないのだと思います。
孤独に飲み込まれないためには、基準を世間や他人に置かず自分に置くこと。
そしてその上で他人の幸せを願うこと(自分も含む)
しっかり物事を考えて、自分の幸せを考えたら、どこかで他人の幸せと繋がるものなのだと思います。
また誰かを幸せに出来た人は今度は、自分が幸せにしてもらえます。
夕月は様々なことを経験し、このような思いに辿り着いたのではと思います。
この物語は異世界を通して、孤独と欲望とどう向き合うべきかということ、また自分の願いや幸せは、他の人とどこかで繋がっているという大事なことを教えてくれました。
またいい読書体験が出来ました♪
奇想天外なストーリーでワクワクさせてくれて、かつ大事なことを気づかせてくれた本作に感謝して、本考察を終えたいと思います。