いよいよ物語は佳境・・・
いいえ、いよいよ本当の物語が始まりつつある、来週からが物語の本当のスタートでしょう!
今回取り上げる21から26話では、八重の死、頼朝の上洛、曾我兄弟の仇討ち、そして頼朝が死に、いよいよ2代目鎌倉殿、源頼家が誕生するところまでが描かれました。
とにかくドラマとしての内容が面白過ぎて、時間が経つのがあっという間に感じるというのが正直な感想で、歴代大河の中でエンタメ度だけで言えば、本作は圧倒的にトップを誇るのではと思います。(総合力でどうなるかは最後まで見て判断します)
とはいえ言いたいことが無いわけではない。
というか何かしらごちゃごちゃ言いたいのが歴史好きの性であり、「どうか色々言うのを許してくださいませ」というのが今の私の気持ちです。
それでは以下から、一応ドラマの時系列に沿って項目を見ていきます。
八重とは何だったのか
このブログで今まで本作の雑感を書いてきましたが、実はあえて言及するのを避けていたのが八重でした。
そして正直に言うなら、私は
「いつまで居るんだよ、そろそろフェードアウトしてくれよ」
そんなことを途中まで思っていました。
私は新垣結衣さんが嫌いなわけではなく、むしろ好きな方ですが(個人の好みはどうでもいい笑)
歴史ファンの私としては、やっぱり北条政子の方に光を当てて欲しい思いが強く、八重に時間が取られることにヤキモキしていたのです。
だからこそ、途中で八重が義時とくっつく流れになった時には衝撃を受けました。
「少なくともメジャーではない少数学説の、泰時の母は八重説を取ろうとしている!」
この展開に心が少なからず掻き乱され、そして「八重については、ちょっとまだ分からないから、しばらく様子見だな」と今後の視聴方針を固めたのです。(実に面倒くさい視聴者である)
そんなこんなで見ていたのですが、脚本の狙いが分かると序盤あんなに邪魔だと思ってた八重が、それなりに悪くないかなと思うようになりました。
孤児を育てるエピソードや、平等の愛情を持つ描写、気が強くありながらも義時を支える姿勢は、時代劇でいうザ・聖母エピソードでありながらもやっぱり感動しましたし、それが泰時に繋がると思ってみると、非常に納得出来ました。
劇中においての義時が、どんどん現実の権力争いと理想の中ですり減っていくのを八重はよく支えたと思います。
頼朝との子と同じ、入水での溺死というのも悲しいですが、その精神が泰時に引き継がれていると思うと、悲惨な悲しさは軽減されるから不思議です。
序盤で死んだ宗時の精神、そして全てを包み込むような八重の愛情を背負い、今後の義時は鎌倉を生きていき、そしてその精神は息子の泰時にしっかり受け継がれるのでしょう。
鎌倉時代の秩序の体現である御成敗式目を制定する泰時。
その精神の元になる存在、それが八重だったと言えるのではないかと思います。
後白河の死
やっと死んでくれた!
そう思えるほど西田さんの怪演が光った後白河法皇。(本当に西田さんは最高でした)
私は、かねがね平安時代こそ日本史最大の暗黒時代と言っていますが、その中でも院政を敷いた白河・鳥羽・後白河の3人は、本当にろくでもない人たちだと思っています。
荘園整理を一度もしなかった鳥羽も最悪ですが、後白河はドラマの通り自分の事しか考えていないし、実は戦略的でもない、日本を混乱させるためだけに存在したような人間でした。
「ああ、いま平家がいれば・・・」
このご都合主義的なセリフに全てが出ています。
とはいえ後白河が死に、ようやく征夷大将軍に頼朝は任命されます。
次の項目では頼朝晩年の朝廷工作について語ります。
精彩を欠く頼朝
歴史上でも、それまでの戦略的な頼朝とは打って変わり、大姫入内などの晩年の朝廷工作は非常に精彩を欠くものでした。
本作では、広元などの文官メンバーの優秀さが書かれ、頼朝をコント要因としても使ってるので、政治的カリスマとしては描いていないわけですが、それでもやはり言いようにやられてました。
しかし欲を言えば、尺がそんなに取れないのは分かってるとはいえ、九条兼実との提携を切って、土御門通親に舵を切って、そのせいで通親に翻弄されるシーンが見たかったです。(このシーンが朝廷における見どころと思ってました)
とはいえ通親と丹後局が充分にこの時代の朝廷の嫌らしさを描いていたので、とても満足でもあります。
大姫の着物の柄に、そんなものは都では誰も着ていないと言い放ち、そして京都では、帝の寵愛を頂き、子を宿すことに必死になっていると、鬼のような形相でいう丹後局。
いやあ、やっぱり朝廷は掃きだめの様な場所ですね。
飛鳥や奈良時代では機能していた朝廷も、平安時代になると民の暮らしのことなど考えず、興味があるのは儀式と、自分の事だけ、そしてずーっと宮廷での子作り競争をしている。
本当に平安時代はろくでもない時代です。
その意味でそれを終わらせた頼朝は、本当に偉い!
そんなことを改めて思います。
現代の政治状況もなかなかに最悪ですが、それに輪をかけて最悪だった平安朝廷を良く描いてくれていて、私はとても満足です。
最終的に義時と政子が、そんな京都に一撃を与えると思うと、今からドラマの後半が楽しみです。
曾我兄弟の仇討ち
巻狩りの中で起こった頼朝の暗殺計画。
個人的にこの事件に関しては、その背後で起こったことの方に注目して見てました。
時政の安易さは、今に始まったことではありません。
しかし義時の「謀反が起こったとなると鎌倉殿の威厳に関わる」という論理の展開と、それにより時政の罪を覆い隠すやり方は、非常に賢く、権力の運用の仕方を確実に習得しているのを描けています。
義時は、鎌倉の荒々しい御家人の中で珍しく、形式の大事さというのを分かっています。
気に入らないから滅ぼすというのは、実はどんな独裁者でも乱発出来ずに、やればやるほど自身の破滅に追い込まれます。
だからこそ、非情な決定をしなくてはならない場合においては道理と理屈を整えることが大事なのです。
そこに民を思う魂や精神が加わった時に、素晴らしい政治家になるのですが、果たして義時は今後どうなるのでしょうか、目が離せません。(お前は何様だ笑)
それとは逆の動きをしてしまったのが、範頼でした。
歴史上では、朝廷に文を出した事実はないわけですが、本作では頼朝の死を確認する前に完全に早まって自身が後を継ぎたいという文を出してしまいました。
比企がけしかけたとはいえ、あまりにうかつでした。(ちょっとうかつ過ぎてリアリティがないかもとも思う)
これは謀反と言われても仕方がないレベルです。
個人的には範頼は、死なないルートでどうにかしてほしかったなあと思うのですが、ドラマを盛り上げるために致し方ないというのも理解出来ます。(しかし本作の範頼は好きだったなあ)
大姫の死
義孝の事件が精神に影を落とし続ける大姫。
そんな大姫に元気を出させるために、全成が頑張って紫式部のものまねをする笑。
このコントシーンが居るかどうかともかく笑、そのあとの巴のシーンは、秋元才加さんの演技といいセリフといい最高でした。
そして立ち直った彼女の心を、再び叩き折るのが、そう今回もあいつら。
腐った朝廷です。
再び前を向き愛に生きようとした彼女に突き付けられる、どろどろとした腐った愛憎まみえる都市の現実。
なんだか、現代の文学作品のような展開です。
そして三浦に好きにいきていいと言われ
「好きに生きていいということは、好きに死んでもいい」
そう解釈する彼女の悲しみが痛いほど伝わってきます。
私の大好きな漫画に「天上の虹」という里中満智子先生が書いた作品があるのですが、その中で壬申の乱に負け自決する大友皇子が
「生きていたくないし、生まれ変わりたくないのだ、もうこの世には」
と言うのですが、私の人生の中で大姫のセリフもこのセリフと並ぶ、あまりに悲しい心を揺さぶるセリフ2大トップです。
思うに彼女は、鎌倉時代を生きるには繊細で優しすぎたのだと思います。
悲しい退場をした大姫ですが、私の心のどこかに大友皇子と大姫がいて、ふとした時に二人のことを考えてしまうのです。
心に尾を引くシーンを見せてくれる本作の力を改めて噛みしめています。
頼朝の死
天の導きを失った。
そう考えた頼朝は、どんどん弱っていきます。
悪夢にうなされ、そして全成の「平家の色の赤が不吉」、「久しぶりの人と会うのが不吉」「赤ちゃんを抱くと生命を吸い取られる」というのを信じ、狼狽して右往左往する有様は、真田丸の時の耄碌とした秀吉を彷彿とさせます。
そしてあまりに色んな人を粛清してきて、もはや誰も信じることが出来ない。
まるで晩年のスターリンを見ているかのようです。
比企尼の居眠りも、悪いように捉え、そして巴にも感情を爆発させて悔悟の念を語る・・・
実に丁寧に権力者の晩年の精神の揺れ動きを描いています。
そんな頼朝も、北条家、義時や政子との交流を通して
「天命を甘んじて受け入れ、受け入れた上で好きに生きる」
という悟りに到達します。
その前の政子と義時との3ショットトークは、言わば鎌倉幕府の精神を受け継ぐものへのリレーになっていて、ぐっとくるものがあります。(頼朝→義時・政子)
そしてその帰りに、鈴の音を聞き、体が震え、そして気を失い馬から落ちる頼朝。
そして政子や、鎌倉の御家人たちは何かを伝えるかのような「鈴の音」を聞くわけです。
この死に方を呪いとか、色んな解釈で捉えている意見を見ますが、個人的には私はこの死に方は、恩寵が迎えに来たという風に捉えています。
まず馬から落ちる時の頼朝が苦悶の表情は浮かべていません。
そしてその頼朝から見える空は白く輝いて見えました。
言うなればこのシーンは、役目を終えた男を優しく天が迎えに来た
そんなシーンだと思いました。
さてここで本作の頼朝についてまとめておきます。
この死に方はある意味でとてもきれいな死に方で、SNSとかでも前回とは打って変わり、頼朝に好意的な意見をちらほら見るのも事実です。
しかし、思うのは本作の頼朝に果たしてこの死に方が許されるのかということです。
私は、源頼朝を尊敬していますが、本作の頼朝については全く好きではありません。(大泉さんは大好きだし、本作の頼朝を良く演じていたと思います。)
というのも、義仲の追討、義経の迫害、奥州征伐、など重要なトピックにおける頼朝の狙いや戦略があまり語られないということ。
そして語るとしても、「あいつめ調子に乗ってるな」とか「範頼が呪詛してるから粛清しよう」とか、理由があまりにも浅はかに見え、そこに威厳を感じないからです。
さらにその上に、ところどころコントシーンが入り、そしてそれも女関係のものが多いので
「一体誰がこの頼朝に付いていくんだろう」
そう思ってしまいます。
八重の行方が分からない時に実衣が頼朝のことを指して言った。
「何をしていてもふざけている様にしか見えない」
というセリフは本作の頼朝をよく表していますが、しかしこのセリフを言われる頼朝って一体何なんだろうととても悲しくもなりました。
というわけで私がドラマで出てくることを期待したカリスマオブパワーの頼朝は、出てこないで終わったわけです。
ですので、あの死に方が美しいと思い、名誉回復がされてよかったと思う一方で、鎌倉幕府の精神は、義時と政子が完成させるのであれば、頼朝はあのまま疑心暗鬼のまま死んでもよかったとも思うのです。
ただし本作は、頼朝が死んでからが本番なので、かなり駆け足で頼朝を描いてきましたし、義時と政子の描き方に関しては何も不満が無いので、ドラマとしての頼朝の役割はしっかりこなしていたとは思います。
あくまで本作の主役は北条義時であり、源頼朝ではありません。
そもそも鎌倉幕府が全国展開するのも義時が承久の乱に勝ってからですので、義時が初めて武家政権を全国に広げたとも言えるわけです。
頼朝の消化不良は、今後の義時の活躍への期待に変えたいと思います。
蠢く陰謀
頼朝が倒れたことにより不穏な空気が漂う鎌倉。
そしてここにきて人々の本性が現れ始めます。
ここにきて陰謀の天下一武道会がスタートします。
義時は政府の事を考え、頼朝の死の秘匿を画策し、懸命に働きます。
それとは逆に人の良い、といより浅はかな時政は水垢離をやっていた直後に
「あなたが今の鎌倉を作った」とりくにそそのかされ、案の定その気になってしまいます。
りくがすごいのは、伊豆で頼朝を支えたという本当の事を混ぜて、人を本気にさせる力です。
演じる宮沢りえさんも最高ですね。
そして
水垢離(単純なバカ)→全成擁立(陰謀にまみれた邪悪なバカ)
という急激な落差が最高ですね。
個人的に時政に関しては、史実においても畠山重忠の件や数々のエピソードを見るにつけて、どちらにしろ破滅に陥るしかなかったバカだと思っているので、この描き方は納得です。(というか本体はりくですね)
そして陰謀を告げられた全成も、実衣もやる気になっちゃうんですねー。
やっぱり権力の力は人を変えますね。
明らかに陰謀でしかないこの計画、本人たちは気付かないんですね。
ああ、哀れな人たち。
一方で、政子は頼朝の復活を信じ看病をしています。
頼朝はまだ死んでいないにも関わらず、鎌倉で頼朝の状態に心を痛めているのは政子だけというのが皮肉です。
しかしだからこそ、政子の表情や所作が一段と光るわけです。
しかし、ここでやらかすのが妹ちゃん。
頼朝の生存を期待してる政子に、実衣は絶対に言うタイミングではない状況で
「全成が鎌倉殿になる覚悟を固めた」
「自分も御台所になる覚悟を決めた」
という言葉を放ちます。
これは圧倒的にデリカシーが無く、人の気持ちへの配慮が足りません。
自分が必死に看病している前で、すでに夫を死んだ前提で、自分の利益も絡んだ話を語る
これに関して頭に来ない方が無理というもの。
この言い合いに関しては「あなたに御台所はつとまりません」というセリフがきつい!という意見もありそうですが、私はそれを言わせた実衣の最初の言動こそが諸悪の根源だと思います。
しかし実衣には悪気はなかったのも事実で、政子の発言に相当傷ついたのも事実でしょう。
ここにボタンの掛け違いですれ違う、人間のコミュニケーションの難しさがあります。
そして案の定、頼家を推す比企と、全成を推す時政という修羅場が展開されます。
そしてここを治めるのも義時で、政子の一任を取り付けます。
この段階で、政子・義時政権の片鱗が見えるのは嬉しいです。
そして頼家と話をして、政子は既定路線通りに頼家を2代目鎌倉殿に指名します。
これを目にした時政は義時に
「裏切りやがったな」
と言います。
いいですねえ、今までの可愛さが帳消しになるほどの無知蒙昧な浅はかさです笑
義時が言う
「北条があっての鎌倉か、鎌倉があっての北条か」
という大事な政治哲学も、「意味わかんねえ」と一蹴。
うん、多分本当にわかんないんだろうね。
義時のこの発言が重要なのは、もし政府より個人の家を重視した場合、それで守られるのは家の幸せだけであり、そしてそれは平家と同じ穴のムジナなのです。
家よりも鎌倉幕府という公平な裁判を司る政府、秩序を重視することに、鎌倉幕府しいては鎌倉御家人の精神があるのに、時政にはそれが分からないんです。
というかりくにしても、全成にしても実衣にしても、この段階で予定外の全成を持ち出したら、鎌倉を二分することになりかねないことが分からない時点で無能というか、浅はかですね。(ていうか北条以外誰も納得しないのでは)
政子や義時、広元が幕府について公について考えているのに対し、時政・りく・実衣・全成は、あくまで歪んだ個、すなわち知らず知らずに陰謀の上に乗って物を考えてるわけです。
公チーム(政子・義時) vs 陰謀チーム(時政・りく・実衣・全成)
とまあ図にするとこんな感じですね。
ここにきてはっきりと鎌倉幕府の精神や哲学を持っているのが、政子・義時に絞られてきました。
さて、ここまで色々と言ってきましたが、実は26話については根本的な問題があります。
それは、歴史事実として全成擁立構想自体が無理があるということです。
だって事前の巻狩りがもはや頼家のお披露目みたいになってたわけですし、そもそも頼朝が頼家に譲るのを決めていたわけで、史実では頼家が後を継ぐことはすんなり決まったと思うのです。
そしてさらに問題があります。
それは、無理がある構想でありながらドラマとしては最高に面白かったということです。
序盤のテンポよくポンポン進む展開を楽しんでいながら、政治的駆け引き養分が足りないと感じていた私にとって、今回の政治的駆け引きのドラマは最高でした。
なので、今回の話に関して不満がある人はいると思うのですが、私はとても好きだったのです。(なんという主観的なまとめ方笑)
今後が楽しみ
色々書いてきましたが、本年の大河は本当に面白い!
見る時間やタイミングに寄っては、自分が好きな大河作品も眠くなったりしちゃうんですが、本作に関しては見始めたらノンストップで止まりません。
そしていよいよ来週からは、権力闘争の本番、まさに13人の陰謀が蠢く世界が展開していくのだと思います。
今後もある程度話数が溜まったタイミングで雑感を上げていきます。