自分が学生時代に好きだったものを、最近総点検しているのですが、色々と気づくことがあります。
そのころの自分は「面白ければなんでもいい!」という、良く分からない曖昧な価値観でコンテンツを選んでおり、そしてつまらないと思うものは切り捨てていました。
そして今、そのコンテンツたちを並べて眺めてみた所、それらにはある特徴があることに気付きました。
その作品たちの多くは、刺激過多の傾向があるということです。
具体的な固有名詞は出しませんが、そのころに自分が好きだったものは
- やたら激しい音楽
- とにかく衝撃的に人が死ぬ映画
- オチに大どんでん返しがある本
みたいなものばかりを好んで選び取っていました。
これらは料理でいうと「激辛」ジャンルです。
これらのジャンルが悪いわけではありません。
こういうのしか見ないとしていた自分の感覚の問題です。
普段、他の味のものを食べてるからこそ、激辛をたまに食べると刺激的なのであって、そればかり取っていると、舌が他の味を知覚出来なくなってしまう気がします。
しかしあの当時の私は、徹底的に刺激的なモノを求め続けて、摂取を続けていました。
そして難しかったり、曖昧で優しい作品などをつまらないと切り捨てていたのです。(恐ろしいことだ)
今考えると、自分が面白ければなんでもいいと選び取ってきたものは
とても狭くて排他的なモノ
でした。
本当に面白い物は、繊細な風景や、一瞬の描写、自然の匂いや体感、五感や感情などの、あらゆるものの中にある気がしますし、そしてそれを感じ取るには、自分がこつこつ積み上げていく努力が必要な気がします。
昔の「つまらないものは切り捨てる態度」は本当に視野を狭めていたなあと思います。
自分が退屈だと思うものの中にこそ、自分にとって新しい出会いがあることもあるし、そもそも退屈に感じるというより、そのときの自分に良さが分からなかっただけということもありえます。
つまり昔の自分は、「狭い範囲の面白さ」という偏見に支配されている人間だったということです。
そして特に最近感じるのが、いよいよ私たちの世代の作品がメインを占めるようになってきて、より分かりやすく刺激だけが強いものばかりが店頭に並んでるなあということです。
私は刺激だけを求める単刺激生物にはなりたくない。
出来るならいろんな要素をごった煮にしたような、よくわからない生き物になりたい!
そのためには常に新しい角度を見続けなくてはならない気がします。
よくまわりからは意見が180度変わると言われますが、これからも変化を恐れず分度器を回し続けて、全ての角度を網羅してやろうと思っているのです。
全てを網羅したら、そのとき2枚目の分度器をもらえるかもしれないし、さっぱり分からない道具を手にしてるかもしれません(だんだん何言ってるか分からなくなってきた笑)
とにかく健康に気を付けて、寿命を出来るだけ引き伸ばし人生を楽しみつくそう!
そんなことを思った今日なのでした♪