<雑記>後北条氏とか色々

雑記

最近、後北条氏にはまっています。

後北条氏というのは、北条早雲を初代とし、相模の小田原城を中心に、今の神奈川全域らへんを治めた戦国武将です。

特に三代目の北条氏康に関しては、個人的に武田信玄・上杉謙信と並ぶ、世界史レベルの戦国武将だと思っています。

とはいえこの3名の中では一番地味なのが氏康で、自分もちょくちょく調べてはいましたが、がっつり調べたことはありませんでした。

しかし調べてみると、まあ面白い。

三代目の氏康もそうなんですが、そもそもこの北条氏全体が面白いのです。(以下、<後>の文字を付けるのが面倒なので北条氏で統一)

初代の伊勢宗瑞(後の北条早雲)は、室町幕府の奉公衆だったのですが、姉が嫁いだ今川の跡目争いを華麗に解決し、伊豆との国境近くに領地を与えられ、今川の家臣にもなり、以降は領地を広げていくのですが(諸説あり)

まあ、とにかく早雲強い!

戦の戦略が明確で、民の為の政治を意識し税金も安いから、どんどん早雲のところに人が集まってくるんですな(現政府も見習ってほしい)

そして2代目の氏綱も版図を広げ、聡明で優秀。そして3代目の氏康になるわけですが、北条メンバーは彼らだけでなく、軍師で聡明な北条幻庵、「地黄八幡」の闘将とも言われる北条綱成などなど、なんていうか少年ジャンプで人気漫画になりそうなほどキャラが立ったメンバーが目白押しです。

そしてこの氏康の頃になると、甲斐では武田晴信(後の信玄)が父・信虎を追い出し家督を継承し、越後では守護代の長尾為景の四男の長尾景虎(後の上杉謙信)がわずか15歳でありながら華麗な初陣を飾り頭角を現します。

そして今川では、義元の教育係であった臨済宗の僧侶の太源雪斎が今川の戦を全面的に補佐しはじめます。

ここに、北条氏康、武田信玄、上杉謙信、太源雪斎という最強レベルの4人(個人的戦国四天王)が揃ったわけで、まあ熱いし、面白い。(関西も入れるなら三好長慶も入ると思う)

さて、そんな今の状態で、頼朝とか家康など私の尊敬する歴史人物や、信長と秀吉などの天下人を見てみると

「うーん、何でこの人たちが天下を取れたんだろう・・・」

と疑問に思わずを得ません笑

信長は数を揃えるけど、戦略が無いし、頼朝もまた軍事的戦略は乏しい、秀吉は知恵を使い着実に勝つけど、あまり光るところはない印象。

そして私の尊敬する家康もまた、初期に関してはグダグダです笑

今、大河では三方ヶ原合戦をやってますが、私は信玄が破竹の勢いで家康領を奪っていくのを見て

「行けー信玄!信長・家康なんてぶっとばせー!!」

と内心、喝采をあげてます←家康を尊敬する人とは思えない

まあ、改めて思うと、天下を取るのには、もちろん政治的才覚という別の要素もありましょうが、とにかく運の要素も多いということです。

信長も秀吉も家康も、おそらく誰一人、信玄・謙信・氏康の誰であれ正面から戦っても勝てなかったと思います。(戦は準備や外交でほぼ決まるが、その能力が天と地の差)

しかし、その最強世代は信長たちよりも先に死ぬわけです。ここにやはり運命がありますね。

しかしその3人は、天下は取れないとしても、その戦いにおいて歴史に名を残し、今も根強いファンがいるわけですから、運で天に選ばれない人も、生き様が大地に根を下ろすこともあるのだなあと思うのです。

とにかく、私は私がやるべきことを着実にやって、大地から乖離しない生き方をしていこう、最近はそんなことを思うのでした。

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