<書評>「グレイス・イヤー 少女たちの聖域」 少女たちが戦うべきものとは

書評

色々年末年始において読んだ本が溜まってきたので、考察とは別にネタバレ無しで書評の記事をアップしていこうと思います。

今回取り上げるのは、アメリカの作家キム・リゲットさんの長編小説の「グレイス・イヤー 少女たちの聖域」です。

私が年末に書店に行った時に、平積みで置かれており、そこに私が敬愛する幾原邦彦監督(輪るピングドラムや少女革命ウテナのアニメ監督)が帯を書いていたので、特に前調べもせずにパっと購入したのですが、これが大正解でした。

本作のあらすじを簡単に紹介します。

本作の舞台である架空のガーナ郡という地域では、少女たちには魔力があると言う風に信じられており、16歳になるとガーナ郡の男たちから選ばれた少女はヴェールをかけられて妻になり(選ばれない少女もいる)

その後、少女たちは一斉に、ガーナの外の森の奥のキャンプ地へと1年間追放され、グレイス・イヤーと呼ばれるその1年間を生き延びた子だけが、魔力を解き放ち、清らかな女性になって戻ってくる・・・

そんな風習が根付いているガーナ郡に生きる一人の少女、ティアニーがグレイス・イヤーに立ち向かう姿を中心に描かれる物語です。

本作の核心的なテーマは、「ジェンダー」です。

昨今では、文学のテーマとして「毒親問題」と並び、最も取り上げられているテーマとも言えます。

その影響もあるのか、世界的には10年前とは違い、随分と頭の固い老害は減ってきたイメージはあります。

しかし、それでもまだまだ固定観念の壁は高い。

そして本作は、その固定観念という部分に徹底的に切りかかっているとにかく凄い作品です。

そしてさらにすごいのが、グレイス・イヤーというある種の生き残りサバイバルを物語の中心に置くことで、次を読もう読もうという緊迫感に引っ張られるため、エンタメとしても面白いということです。

徐々におかしくなっていく少女たちの狂気や、それを狙うものたちの背後にある物語、グレイス・イヤーは果たして何の為に行われているのか?

色々な謎や、胸をえぐるような残酷な描写が加速し、物語としての面白さが増すほどに、ジェンダーという固定観念への問題に深く深く切り込んでいく様は、他では得られない体験でした。

本作を読んで、私は男性でありながらも歴史が男性に当たり前に持たせている固定観念に気付き、そして少女たちが本当に戦うべきものと、戦うべきでないものについても改めて考えさせられました。

気になった方は是非読んで欲しい一作です。

何だかよくわからないモノを目指し、ブログやってます
本の書評や考察・日々感じたこと・ショートストーリーを書いてるので、良かったら見て下さい♪

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