<考察>「ファイナルファンタジーⅤ」 光を指し示す魂の物語

考察

はじめに

日本二大RPGといえばドラゴンクエストそしてファイナルファンタジーであることに異論がある人は、あまりいないのではないでしょうか?

ドラクエが劇的な物語性は排除して、主人公(プレイヤー)が魔王を倒すという点に特化しているのに対し、ファイナルファンタジーは物語性や、感情の隆起に重きを置き、シリーズごとにシステムを進化させていくというのを特徴としているといえます。

そして初期のFFについて言えるのは、メインテーマが哲学だったのではないかということです。
そもそも火・水・土・風のクリスタルで成り立っている世界というのは、古代の哲学者エンペドクレスが言った四元素説をもとにしてますし、それぞれのシリーズのラスボスの名前も非常に哲学的です。

今回取り上げるFF5はクリスタルで構成される世界での冒険を描いた、初期シリーズの総決算となったタイトルです。

FF5はよくゲームシステムの完成度が高いという点で取り上げられるのですが、今回はストーリーについてを考察していきたいと思います。
以下、物語の重要部分に触れるので、それが嫌な人はここまででストップしてね

ざっくりストーリー

世界は風・水・火・土のクリスタルの力で構成されている。
しかしあるとき、風のクリスタルに異常が発生!クリスタルは砕けてしまいます。

旅人のバッツ、タイクーンの王女であるレナ、記憶喪失のおじいちゃんガラフ、海賊の頭領ファリスの4人は砕け散ったクリスタルの力を受け継いで光の戦士となり、残りのクリスタルを守る旅に出ます。

しかし主人公たちの奮闘も虚しく、4つのクリスタルは砕け、封印されていた邪悪な存在・エクスデスが復活してしまいます。

エクスデスはもう一つの世界の、人間の邪悪な意思が生み出した存在で、かつての英雄、暁の四戦士によって、この世界(第一世界)に封印されていたのです。
封印が解けたエクスデスは自分が生まれた世界(第二世界)に戻ってしまいます。

そのころには記憶が戻っていたガラフ(実は暁の四戦士の一人で、第二世界の住人でした)は孫娘のクルルとともにエクスデスを追うため第二の世界に戻ります。
バッツたちもガラフらを追い第二世界に行きます。

そこで30年前の戦いでエクスデスを封印した暁の四戦士の面々と出会い、その協力のもと
エクスデスとの決戦へと望みます。

エクスデスを倒すことには成功したものの、エクスデスは第二世界のクリスタルもすべて破壊し、世界は第一の世界と第二の世界に分かれる前の世界へ再統一されます(第三世界)

1000年前に、かつての勇者たちが世界を二つに分割し、そのはざまに閉じ込めた無の力がこれにより復活します。

さらに悪いことは続きます。
倒したと思っていたエクスデスは、自身を木の棘に姿を変えて生き延びていました。
無の力を手に入れたエクスデスは、その力を使い、次々と町を飲みこんでいきます。
世界の破滅を止めるために、バッツたちは1000年前の勇者たちが残した、伝説の12の武器の封印を解くために4つの石版を集めます。

無事に武器を入手したバッツたちは、次元のはざまにいき、エクスデスとの最終決戦に臨むのでした。

分けられた世界が表すもの

このゲームは合計で、3つの世界を旅することになります。
バッツたちの世界(第一世界)、エクスデスが生まれた世界(第二世界)、そしてそのふたつが統合された本来の形の世界(第三世界)です。

バッツたちの世界は、クリスタルの力を増幅して高度な文明を作り上げているのですが、過度な増幅によりクリスタルへ負担をかけています。

主観ですが、これは現在の資本主義社会を指してるように思えます。
企業の思惑や消費者の大量消費により、地球の環境破壊が20世紀になり加速度的に進行しています。
その中でも消費文化のメインとなってるのがアメリカや日本です。
第一世界はこの国々とものすごく重なって見えます。

一方、第二の世界は森林が多く、辺境の村の大森林にクリスタルが納められています。
第一世界よりは自然との調和が目立つ印象がありますが、積み上げられた歴史や知識はこちらの世界のほうが勝っており、世界を行き来する力もあります。

しかしこの世界も様々な矛盾や歪みにつつまれています。
その最たるものはエクスデスの存在です。
エクスデスはこの世界の人間の邪悪な意思から生まれた存在なのです。

それをなんとかするために暁の四戦士がエクスデスを封印したわけですが・・・・・
なんと、封印したのは別世界というめちゃくちゃ自分勝手なお話!!

これは現代世界だとヨーロッパとすごい重なる部分があります。

イギリスの産業革命、資本主義、西洋の科学文明、戦争による領土拡大・・・・・
ヨーロッパが歴史の上に積み上げてきたものは大きいと思います。しかし今のヨーロッパは経済規模ではアメリカや日本、中国に敗れていて、おじいちゃんのような国と言われて久しいです。

さらにさんざん問題の種を撒きながらも、その処理はアメリカに任せ、自らは環境問題や人権問題を声高に叫ぶという(問題意識は正しいし、主張することは良いことだと思います)ある種、無責任な印象が否めません。

いよいよヨーロッパと第二世界が重なって見えてきます。

第三世界は、元々の世界なんで言うことは無いですが(無いんかい)
現代に対応するとするなら、アメリカやヨーロッパ、アフリカやアジアを全て合わせた地球全体。
いま生きている我々の世界を表しているのではないかと思います。

エクスデスとはなにか

本作のラスボスはエクスデスです。英語で「死を超えるもの」

エクスデスは第二世界の人々の悪意をクリスタルが引き寄せてしまい、それが1本の木に宿り、人型になって出来上がった悪意の化け物です。これだけでもなかなかすごい設定だと思います。

そして本作の直接のラスボスではないものの(リメイク版では戦えるらしい)、世界を二つに分ける原因を作った暗黒魔道士エヌオーという存在がいます。

エヌオーの意味は英語でNO、否定、無です。
エクスデスといいエヌオーといい、ネーミングが非常に思弁的です。

最後に戦うことになるネオエクスデスは、次元のはざまに封印されていた「無」の力に呑み込まれたエクスデスの姿なので、実質的にこの作品は、虚無に呑み込まれた人々の、悪意の象徴である大木と戦うことになるわけで、これだけでかなりエッジが効いています。

現代社会では機械のように働き、そのお金で何か新しい製品を買って欲求を満たし、スマホをいじり、家でネットをみて暮らすという人が多いのではないかと思います。

自分自身もそういう時期を経験してるのですが、こういう生活をしていると、常に平熱で感情が死んで生きる気力がなくなり、何をするのも面倒くさくなり、虚無の闇に落ち込みそうになります。

この作品のラスボスは一言で言うならば虚無なのだと思います。
そして、その虚無を呼び寄せたのはいつでも人であったということも、この作品では大切です。
エヌオーは暗黒魔導士、エクスデスは木ですが動かしてるのは人間の悪意です。

さらに大胆に見方を変えると、クリスタルの増幅(環境破壊)に怒った自然が、人間の欲望(消費欲)や悪意(自分さえ良ければいいという心)を集めた木によりエクスデスという存在を作り、人類を滅ぼそうとする話にも見えます(もはや地球を巻き込んだ自殺です)
光の戦士が対峙したのはこれらの人間社会が抱え、そして培ってきた呪いなのだと思います。

前の世代の人々

今作の主人公たちは光の戦士ですが、その前にも世界のために戦った人たちがいます。

30年前にエクスデスを封印したのが、ドルガン、ガラフ、ゼザ、ケルガーの暁の四戦士です。
いわゆるこれは前の世代、父親世代であります(実際、ドルガンは主人公の父だし、ガラフはクルルのおじいちゃん)

そしてさらにさかのぼるのであれば、エヌオーと戦った1000年前の勇者たちは、いわゆるご先祖様世代、歴史を作ってきた世代ということになります。

さてこの前の世代の人たちが、一生懸命戦ったのは疑いようがありません。
しかし問題を先送りしてきた感は否めないところがあります。

ご先祖様世代は、世界を二つに割り、無の力を次元のはざまに押し込むことで解決を図りましたし、前世代の、暁の四戦士はエクスデスを自分たちの世界とは違う、もう一つの世界に封印するという方法で解決を図りました。

この二つの世代の解決方法の特徴は、虚無という本質と向き合ってないということにあるのではないかと思います。

人間の中にはどうしても性欲や消費欲、食欲など欲望があり、それ自体は自然なものなのです。
重要なのはバランスの問題で、欲望と同時に理性や想像力で欲望を律して歩き続けなければならない難儀な生き物なのです(本当に難儀だ)

ここで過度に理性に偏り欲望を抑圧しても、最終的には本能との乖離が起きて虚無に陥りますし、欲望三昧に暮らしても、どこかのタイミングで「一体俺はなにをしてるんだろうか」と虚無に陥ることになるのではないかと思います。

さらにもっと言えば、生きる上では「無」もまた必要だと思うのです。
常に前向きで明るい人の中にも、ふとしたときに「無」に陥る時間もあるだろうし、そういう人の心を「無」の時間が支えてる側面もあるのです。

前の世代は「無」と向き合うことを避けて、なかったことにするという解決方法を取りました。

しばらくの間はごまかせても、人間の欲望や「無」はなくならない。
結果として第一世界は文明に溺れ、第二世界では理性で押さえつけることに成功している様に見えても、あぶりだされた欲望はエクスデスを生み出し、最終的には元の木阿弥になってしまいました。

前の世代が残したもの

前項で前の世代の責任問題を追及しましたが、前の世代は現代の地球と違い、責任を果たしてる側面もあることにも触れなくてはなりません。

まず暁の四戦士のリーダーのドルガンは、他の3人が王族や村長だったりするなか唯一の平民で、そしてエクスデスを他の世界に封印することに反対した男です。

そして封印せざるを得ないとなるや、自らの責任として第一世界で封印を見守るという、相当な男気にあふれた御仁なのです。

そしてこのドルガンの息子が本作の主人公バッツであり、その魂はしっかり主人公に受け継がれたのです。

他の暁の戦士もしっかりと責任を果たします。
主人公たちのために、封印を破る手助けや、他の場面でも手を差し伸べてくれます。
そして光の戦士を助けるために最終的に暁の四戦士は全員命を落とします(ドルガンだけは物語スタートの段階ですでに病死してます)

ご先祖様世代も12の武器を残してくれて、エクスデスとの戦いに力を貸してくれました。
いわゆる前の世代は呪いを払拭は出来なかったと同時に、希望も残してくれたのです。

現代の世界の前の世代は責任を放棄し、お金を貯めこんで悠々自適に暮らしているのとはえらい違いだなあ・・・・・(遠い目)

前の世代の思いを受け取った光の戦士が、連綿と続く呪いを断ち切るのがFF5の物語なのです。

光の戦士とは

ネオエクスデスを倒した後、暗い背景の中、文字があらわれます。

「無がさいしょにあった・・・無に4つの心みちたりたとき・・・クリスタルは生まれ・・・世界は作られた(省略)・・・いつかまた無に世界がつつまれるとき・・・人々に4つの心あれば光は生まれん(省略)」

世界を構成したものはクリスタルで、そのクリスタルを生んだ源が人間の心だということが提示されます。

つまりこの物語は世界を再生する物語であると同時に人々の心の再生の物語だったのです。
このあと4人が持っていたクリスタルのかけらがクリスタルを再生し、無が呑み込んだ町が復活していきます。

希望は大地にめぐみをあたえ 
勇気は炎をともらせ 
いたわりは水をいのちのみなもととし
探求は風にえい知をのせる

これは光の戦士たちが、クリスタルのかけらから世界を復活させる際に出る言葉です。
この言葉は、これからの世界が環境問題や様々な問題とどう向き合うべきかにも対応していると思えますし、どういう心で生きればみんなが幸せになれるかを表していると思います。

そして、クリスタル復活後の4人の会話がとてもよいので抜粋します。

バッツ「レナや・・・ファリスや・・・クルルが・・・かけらを大事にしてくれたから・・」
レナ「バッツ・・・あなただって・・・」
胸がキラキラ光り、その光に左右に引っ張られるクルル
クルル「おじいちゃんもね」

ドット絵のぎこちない動きと、余分なものをそぎ落とした会話で号泣したのを思い出します。
光の戦士の資質とは、上にあげた4つの心を大事にすることが出来て、そして他者を思いやることができる想像力がある人のことを指すのだと思います。

生きていれば寂しくなることや辛いこともある、「無」もあるし、それも必要だ。
しかしそれと向き合いつつも、呑み込まれずに、理性や想像力を働かせ、好奇心と勇気を持って探求し、他者をいたわり、人にめぐみを与えられるように生きること・・・・・・

それがこれからの世界にとって大事なのだということを教えてくれる最高のRPGが、FF5なのだと思いました。

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