東京ドーム三杯分の中トロを集めたら、それは既に中トロではない。しかしそれを大トロと呼ぶのも何だか違う気がする。人生とは難しい。
そんなことを考えていたら、前から来た人とぶつかった。
私は普段からぼうっとしているせいか、結構な割合で歩いていると人にぶつかる。
しかし私はぼうっとしているくせに、いらいらしいの癇癪もちだから、人とぶつかると、自分が悪いか、相手が悪いかは問わずに、まあいらいらする。
よって、その直後からは
「ようし、これからは何があっても絶対に人とはぶつからないぞ。徹底的に人を感知し、危機を切り抜けてやる」
とばかりにスパイダーマンばりの身のこなしと、蛇のようにぎょろぎょろと黄色い目を必死に動かし、周りを偵察する自意識過剰なやばい人間へと変身する。
そうなったら10分くらいは人とぶつかることはないが、段々と
「何で俺はこんなに、自分の体に汲々として神経を研ぎ澄ませているんだ。実に器の小さい情けない人間じゃあないか」
という気持がむくむく沸き起こってきて、悲しくなり、ぼんやりして、また人とぶつかる。
私はそんな人生を繰り返してきたのである。
そんなわけで私はつい先日、自意識の権化にもならず、ただ無感情に慎重に端の方を歩く生き方に取り組み、その実践を始めた。
大事なのは、ぶつからないように端を歩いているという意識を持たない事だ。その意識を持ったら、あまりにも小さくみみっちい自身の精神にくたびれ、口の水分がからからになり、サハラ口腔と化してしまうことは請け合いだからだ。
その試みは概ね成功し、駅の改札口もトイレも無事にノータッチノーライフを達成する。
駅のホームに降りた後も、しっかり端の方の人気のないベンチに待機する。駅の一番端なので、そこのエリアには私しかおらず、この無意識の実践は確実に成功している・・・そう感じた矢先である。
一人のおじいさんがぼんやりとした表情で、しかししっかりとした確かな淀みない足取りでこちらに近づいてくる。
そしてあろうことか、私の隣の席に(ベンチは横に5席もあった)座り、肩を露骨に密着させてきたのだ。
私は絶句した。小説でよく出てくる感情表現である絶句、私はその時、心底、あらんかぎりの精神の深い場所でひたすらに絶句していたのだ。
何でわざわざ、ここまで来て、そして隣に座らなくてはならないのか?
しかし、これはただの私の神経的な自意識過剰である可能性は大いにある。それにいきなり相手を責める気持ちを持つのは、非寛容的だ。
ゆえに私は穏やかな微笑を堅持しつつ、老人の隣でない席に移動した。
しかしである。
しばらくしたらその老人はいきなりすくっと立ち上がり、私の席の隣に移動してきたのである。
私は絶句した。もし絶句で5・7・5で短歌を作れと言われても、一文字も言葉が出てこないであろう限りなく深い絶句である。
これはわざとなのだろうか?
私は自身の被害妄想的性質を鑑み、何回か席の移動を試みた。
しかしその老人は私が移動するたびに、しばらくするとすくっと立ち上がり、隣へと移動するのだ。
その時の私の絶句たちと来たら、もはや深淵を通り越し、冥界の奥の細道に放り込まれたかのような、究極的、そして芭蕉的絶句である。
しかし逆説的にではあるが、ここまで来たらもはや絶句などしてはいられない。私は心の底の奥の細道を、コンクリートで塗りつぶし、老人と対峙するための言葉という武器を引っ張り出す。
「あの、何で私の隣に来るんですか」
すると老人は白い髭をむにゃむにゃさせて言う。
「えっ、何のことですか」
私の言葉のコンクリートは絶句という力に破られ、絶句の奥の細道のプロムナードに塞がれる。
そうこの老人は、まるで意識せずに私にぶつかってきているのだ。
それを知った時の私の絶望がいかばかりか是非考えて欲しい。
つまりいかに意識していても、運命のぶつかりからは逃げられないし避けられないのだ。
「あの僕、ぶつかってほしくないのですけど」
私はそれでも運命に逆らうべく、言葉をひねり出す。
「そりゃあ誰でもぶつかりたくないものですな」
私はZEE句した。それはZEE句東京レベルの動員数ではなく、ZEE句ニューヨーク、いやそれを凌駕する宇宙規模的ライブハウス的絶句である。
この老人は達観している。
しかも達観した上で、なおかつこの私に無意識でぶつかってきているのだ。
私にはもはやそれ以上の言葉は無かった。
敗北を認め、肩の力を抜き、老人の体が私の肩に触れる。
「これは失敬」
そう言うと老人は、すくっと立ち上がり、ホームの奥へと消えて行ってしまった。
私は結局、電車に乗るをやめ、とぼとぼと家へ帰る。
夕方のラッシュ時だったので駅の周りは結構な混雑だったのだが、私は一度も人にぶつからなかった。
近所のスーパーで買いたくもないのに、私はなぜか豆腐を買った。
家に着き、豆腐を冷蔵庫にしまおうと思うと、その豆腐はぐちゃぐちゃに潰れていた。
ついでに私は帰り道誰にもぶつかっていないし、豆腐を落としてもいない。
私は特に絶句するわけでもなく、踏んだり蹴ったりだなと思った。
ついでに当たり前だが、私は豆腐を踏んでもいないし蹴ったりもしていない。
(おしまい)