最近は以前にもまして、読書熱が熱い!
それと言うのも読む本読む本がとても面白いというのがあります。
去年までの私の読書目標は
「とにかく色んな作家さんの作品を読むこと」
という、新しい出会いや発掘を念頭に置いた方針で読書をしていました。
しかし「一通りは自分が好きそうな作家は読んだかなあ」というざっくりとした感覚があったので、先月くらいから自分が気になる作家の作品ばかり読む「深堀集中期」に入りました。
基本的に私が読んできた作品は古典が多いので、どの作家さんも魅力的ではあるのですが、それでも個人的に特に好きだなと思ったのが表題の二人。
ドストエフスキーとトーマス・マンです。
ドストエフスキーは「カラマーゾフの兄弟」や「罪と罰」が有名な世界を代表する文豪です。
彼の作品の根底には、混沌や貧困にあえぐ生活、行き過ぎた先鋭された自意識という二つの物が混ざり合っていると個人的に感じています。
そしてそれが先鋭化していけば行くほど、非常に神経的な世界になっていきます。
その神経的な主人公が、自分や他人の洞察に向かっていくわけで、結果として非常に深い心理的で、哲学的な内容の作品世界に巻き込まれていくことになります。
一方でトーマス・マンです。
初期の作品に関しては特に、芸術家という存在と、一般の市井の人という存在の対比を使い、「美」という概念や物についてあぶりだしています。
面白いのは、芸術家の方を「美」に執着する倒錯的で偏執的な、闇に属する者のように描き、市井の人々の方を生き生きとして、太陽の恩寵を受けている存在として描いていることです。
その二つの存在や精神の容赦ない比較と、妥協や虚飾を許さない心理描写により、マンの作品も非常に哲学的で思索的です。
マンは後期になると「美」というテーマに加え、社会問題や思想問題、宗教問題にまで領域を広げ、有名な「魔の山」はそれらを全てを含んだ時代精神の総合小説だと個人的に思っています。
この二者に共通しているのは、人間の深い意識や欲望を暴き立て、こちらに突き付けてくることだと思います。
だからこそ読んでいて非常にスリリングでヒリヒリしますし、作者がこちらに突き付けてくる何本もの刃は、自分の精神に突き刺さったまま養分になります。
言うなれば読んでいて必ず深い何かをくれる気がするのです。
本ブログでも、両者の作品をどこかで考察したり、または個別の作品ではなく、作家や作品を総合的にまとめた記事を出せればいいなと思ってます。
しかしまだまだ両者の作品を全部読む道のりは遠い。(両者とも沢山作品を書いています)
やること、楽しいことが沢山ある人生は素敵ナリ♪