<雑記>クイズ番組の克服

雑記

クイズ番組が苦手です。


私は知識を「深い泉の中で、その水と混ざり合っているもの」みたいな感じでイメージしています。

そして喋ったり、論文等を書くときには、その泉の中から徐々に言葉を固めていきアウトプットするという様な感覚で行っているのです。


しかし、クイズというものはまるでその逆。

正解、不正解という安直な箱にパッケージして、まるでスーパーの棚に大量に並べられた商品の様に、出し入れされ、大量に消費されていく・・・


なんだか現代の安直と簡易と便利を象徴しているようで、とても苦手なのです。


しかも質が悪いのが、なまじ歴史などに興味があるため、クイズ番組がかかっていて歴史ジャンルの問題だったりすると、「我先に!」と解いている自分がいることです。

そして誰よりも先に解けた時は、心地よい陶酔感に包まれるわけです。

自分の知識により正解を出し、それにより優越感や勝利感をお手軽に感じれるという快楽原則や本能にめちゃくちゃ則っているクイズ。


しかし同じ本能でも、食欲は生存の為に組み込まれているものです。

しかしクイズは一応は思想・知識という理性のジャンルに入ってるのにも関わらずに、快楽という肉を餌に、競争を強制されているような感覚がするのです。(安い知識のパン食い競争のよう)


だから歴史クイズ特集みたいなものを、ついつい全部見てしまった時は、めちゃくちゃ疲れますし後悔します。


クイズが苦手な理由をけっこう書いてきましたが、苦手な一番の理由はクイズを解いていると、知識が流出している感じに襲われることです。


自分自身が解いていたら自分からの流出ですが、番組で誰かが解いているのを見てるときは、なんていうか世界から知識が流出している感じがしてしまうのです。(書いていて病的)



しかし逆に考えてみれば、この流出している感じを全く感じさせない、ベクトルが逆のクイズを作れば、私はクイズ番組を克服出来る可能性がある。


私は今朝、その可能性に思い当たったのです。


生きていくうえで苦手なものは克服した方が、楽しいのは道理。


以下は、私が提示するヘンテコなクイズの亜種たちです。








Q:今では多種多様にわたるラーメンの具材たち、もし具材の中で一つだけ外さないといけないとしたら何?


<解説>

このクイズは外す一つを選ぶことにより、それを逆に浮きだせるという狙いがあります。

もしメンマを外した場合、「俺はメンマを切り捨てた男だ」と今後の人生のあらゆるときに思い出すことは間違いありません。哀愁と喪失のクイズです。






Q:学校の七不思議をバージョンアップして、地元選出の国会議員に提出し、内閣の七不思議として閣議決定まで持ち込みなさい


<解説>
まず学校の七不思議の基礎研究が必須で、そこで知識の筋肉が付きます。

さらにその後、地元の議員を自分の足を使って訪ねることにより、地元との関係性を構築でき、知識だけの頭でっかちから脱出出来ます。

しかし、ここで「国会議員より財務省の方がすごい」だの「国会なのに官僚が答弁という台本を書いている」という芯を食った指摘をしてしまうと、七不思議というより七糾弾になり、内閣まで上がるどころか、県をまたぐ前に握りつぶされてしまいます。

このクイズでは、誰も傷つけない、政治家に気持ちのいいゴマすりという、社会で生きる上で一番必要な、汚い精神の発露を学ぶことが出来ます。






Q:キャベツ、にんじん、鶏肉、醤油を全て使って、キャベツ、にんじん、鶏肉、醤油では絶対出来ないはずの料理を作りなさい


<解説>
まるで禅問答のような問い。

これを解くには人生の一生を使うことになるでしょうし、そもそも解けるかも分かりません。

しかし、もしこれに答えが出た場合、人類は食における不可知世界、平行世界を渡る架け橋を発見したことになり、それは食物理を根本から変えてしまう可能性を秘めてます。




以上が私が今朝、10分くらいの間で考えたクイズの亜種たちです。





・・・・・




うーん





これはクソクイズだ。





コーンフレークと牛乳を食べてるときに考えたのが滲み出るほどのクオリティの低さ笑



しかし、私は諦めません。

いつかお前を好きになれるその日まで・・・
待っていろよクイズ!!(よっ投げやりな終わり方!)

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