私は実は、昔から、少しだけですが舞台が苦手だったりします。
別に演劇そのものや、役者さんが苦手というわけではなくて、DVD化されてる演劇は楽しめるのですが、自分が舞台にいくと、どうも居心地の悪さを感じてしまうのです。
映画や映画館は好きなのになぜなのだ?
いろいろと考えてみたので、良ければ見てください♪
肉体罪悪感
舞台も映画館も、同じいわゆるハコモノです。
なのに、映画は良いのに舞台はダメ・・・
ぼーっと、考えてみたところ、ようやく理由らしきものの断片が見えてきました。
それは、申し訳ないという罪悪感です。
舞台上の役者さんは、精一杯、何かを伝えようと縦横無尽に舞台を走り回っています。
しかし、それを見る私は、座って見ているだけです。
一体、どこの貴族議員なのかね?君は!!
そんな心の声が内から聞こえてきます。
特に豪華な舞台に行くと、自分がヨーロッパの伯爵にでもなったかのような気分です。(二階の出っ張りの特別席鑑賞みたいのは一回やってみたい笑)
つまり、一生懸命運動している肉体を、自分は肉体を静止し、見ているだけ、という罪悪感が根底にあるのだと気付いたのです。
そしてさらに言うなら、動いてる人を見るために、なぜかその場にいる自分も、何だか滑稽に見えてしまうのです。
舞台と固定
映画は、過去に撮影したものを、監督が組み立てて作品を作るわけで、現在進行形ではありません。
言うなればその監督の伝えたい何かを見に行くわけで、そういう意味で映画館はすんなり足が運びます。
しかし舞台は現在進行形で進行していきます。
そしてさらに、考えを進めていくと、だんだん日常との区別が分からなくなってきます。
日常の中で、我々は生活するために、動き回ります。
そこで他の人と喋ったり、また道を歩いてるだけでも、他者との関連を考えて調和的に行動してます。
日常もまた、自分が出演してる舞台に見えてきます。
こうなってくると、日常と舞台を分けるのは、自分が固定されてるかどうか、というだけなのではという気がします。
この固定という言葉が好きじゃないから、無意識に舞台を敬遠してしまうのかなあ、ということに落ち着きました。
勝手な理論ですが、固定されてるか、そうじゃないかだけなら、舞台というのもけっこうあいまいなもんだなあ、としみじみ感じました。
とはいえ、自分だって舞台を楽しく見たい!!(面倒くさい笑)
なので、引き続き、舞台を楽しくみることができる理論を考えていきます!!
いろいろ、きっちりし過ぎてる世の中なので、いろんなことを曖昧にゆるーく、楽しく考えていけたらと思います♪