「貧乏人こそ旅をせよ!」
これはかの有名な社会学者エメラダ・クローネ博士が述べた言葉である←そんな人は私のシュレッダー屑が詰まっている脳内にしか存在しない
いよいよ円安が来るところまで来て、ホテル代は高騰。今こそ持たざる者として貧乏旅行を続けてきた私のノウハウが生きる時代が来た!
とはいえ私にはノウハウと呼ばれるような大したものは全く無い。ただ単にネカフェ(主に快活クラブ)に泊まればいいじゃん的なことなのだが、ここで大問題が発生してしまった。
そうタイトルの通り、ネカフェで眠れなくなってきてしまったのだ。
話の流れとはあまり関係ないのだが、急に思い出したので、私の旅の悲哀的武勇伝をここに書いておく。
私はかつて京都でママチャリを買い、そのまま奈良、大阪、中国地方を通り、最終的に九州を一周する旅をしたことがある。
その時私の主な宿は、ネカフェ会の永久与党、基本的に手が届く距離にあることで有名な快活クラブだったのだが、私はそのお金を少しでも節約するため、一番安いブース席に入り、そこの椅子をどけて寝袋で寝るという荒業を行っていた。
地方のネカフェというのはブース席でもしっかり壁で個室に仕切られていることが多く、そこはもはや準個室である。そこの椅子と机をいい感じにどけて、床に布団でくるまうかの如く、寝袋に身を包む。
私はあの時に、上から私を見下し、冷めたピザを見るような視線を浴びせた店員の顔を忘れることばないだろう。お店のルールには抵触していないが、そこまでしてお金を浮かせたいなんて品性を疑いますぜ、そいつは間違いなくそんな顔をして薄ら笑いを浮かべていたのだ。
関係無いけど、冷めたピザってあだ名、まじひどいよね。普通に温かいピザとかマルゲリータとかで良くない。そこに冷めたって付けるだけで、本当につまらない人間のような印象を抱かせる、人間性を踏みつけるようなあだ名ですわよね←なぜか急に小渕トークが発動
さて話がそれたが、この前所用で八王子に行くことがありネカフェを利用したのだが、これがものの見事に一睡も出来なかったのだ。
かつて終電を乗り過ごし、ドリンクバーとDSを片手に持ったまま、朝の5時くんだりまで爆睡出来た私は一体どこにいったのか。
山の手線で眠りにつき、お昼だったはずが気付けば夜の7時くらいになっていた、ナチュラルメリーゴーラウンドな私はどこにいってしまったのだろうか。
否、断じて否!!
ここで私は筆者の欺瞞と嘘を暴こう。
お前は必死でどこでも寝れるアバンギャルドな旅人キャラを演じようとしているが、くっくっく、下手な演技は止すんだな。
お前は常に寝付きに繊細で、眠りに対し苦労をしていたはずだ、なあそうだろう←よくあるメフィストフェレス感
そう実は、私は旅でなくても普段から寝付きが悪い、眠り下手の睡眠界のビギナーオブビギナー。
カフェでお気に入りの本を買い、いざ読もうとした時とかには眠くなるくせに、その日の夜ベッドに入ると、まんじりとも眠くならない。
夜行バスは乗る前や中の雰囲気は好きだが、そもそも夜行バスでまともに寝れた試しなど一度も無い。
それでもネカフェでは旅行中、動き回り疲れている為、どうにか眠れてたのだが、なんとここ最近連続で完全敗北を喫している始末。
これはまずい。
ただでさえ貧乏で、かつホテル代が地獄の橋渡し賃ばりに値上がりしているのに、睡眠繊細キャラが確定しネカフェに苦手意識を持ってしまったら、旅が出来なくなってしまう。
こうなったら私にとって最終的な秘密兵器を出すしかない。そうマイ寝袋である。
この寝袋は先ほどの冷めピザ店員エピで出てきた寝袋ちゃんであり、私が九州一周旅の前に宿が無い区間で野宿用に買った物である。というか一回道の駅で野宿してみたかったのだ、えへへ←何その反応気持ち悪い
その野宿の経験は割と旅の早い時に訪れた。
岡山の山の中にある道の駅で、私はテントと寝袋を広げ、待望の野宿体験一泊二日を開始した。
しかしワクワクしたのは最初の3分位なもので、暗闇の中でテントの外から少しの物音がするたびに、びくんと体が反応し心臓がバクバクする始末。
そして未だにあれが何なのか分からないのだが、なぜか30分毎に、どこからか水を大量に放水するようなザザーンという音が断続的に聞こえてくるのである。
私は早々に野宿における睡眠を諦め、本格的に題名のない音楽会ミッドナイト丑三つ時バージョンだと思うことで、その夜を乗り切った。
以降、私は野宿への願望を綺麗さっぱり洗い落とし、寝袋ちゃんはネカフェで快適に眠る為のアイテムへと進化・大転生する運びになった←役割的には退化では
実際問題、ネカフェにおいて寝袋があるのと無いのでは、睡眠の快適さが、驚くほど変わるのである。
ゆえにこれからの円安ホテル高騰時代においては、ネカフェ寝袋同盟こそが時代の先端を行くかもしれない。
しかしここにも大きな落とし穴がある。
そう寝袋は基本的に邪魔であるということだ。
そもそも寝袋の名前の如く、こいつは寝る時以外はまじで何の役にも立たない。私のマイ寝袋は丁度大きいかぼちゃ二個分くらいだが、役に立たないかぼちゃを二つ常にリュックに入れておく旅行なんてものは、もはや前衛芸術以外の何物でもないだろう。
しかし寝袋を持っていかなければ、私はZARDばりに眠れない夜を抱いて、ひたすら虚空を見つめなくてはならなくなってしまい、そこにあるのは永劫に似た虚無。
寝袋を取るか、脱かぼちゃを取るか。その答えの出ない問いを私は今もなお問い続けている。