しばらく余韻に浸った少年は、再び次の願いへ意識を移し始めた。
おもちゃの作成権も手に入れ、現代風のモダンな庭を出現させ、生きるスーパーコンピュータ―を野に放ち、世界中の人を笑顔にした今、自分の願いとはなんだろうか?
ここで願いを打ち止めにすることも少年は考えた。
しかしこういう機会は何度でもあるわけではない気もする、来年もサンタが来てくれるとは限らない。
サンタが次に来る時が、何年も空く可能性だってある。ここはやはり7つの願いを全部使い切ろう。
さてそれならば、これからは願いというよりは、実際の生活上の不便を解消していこう。いわゆる地に足の着いた願いで、生活を向上させるのだ。
少年が普段の生活の総点検を始め、しばらくした時、唐突にドンと壁から鈍い大きな音がして、それに続いてガタッという何かが崩れた音が、立て続けに聞こえた。
「今年もか・・・」
そう思うのと同時に、お腹の下から急速にずり上がってくる悪寒に、少年は少しよろめく。
この地域は下町で家賃も相当安く、また二駅先に、交通の要衝となる大きいターミナル駅がある。
そしてその駅前には、学生の人数がやたらに多いことで有名な大学のキャンパスがある為、この街にも多くの大学生が住んでいる。
そして例に洩れず、このアパートの少年の隣の部屋にも、そこの大学の女学生二人がルームシェアという形で入居していた。
それ自体は別に何の変哲もないことなのだが、問題はこの二人のパーソナリティーにあった。
すなわちこの二人には酒乱の気があり、常に夜になると、飲めや騒げやの乱痴気騒ぎを繰り返すのである。
一回、あまりにもうるさかったので、少年が決死の思いで、少し静かにしてほしい旨を伝えた所。
「クソガキ」「ウケる」「マジで汚い」などと散々暴言を吐かれ、煙草の火を手に押し当てられてしまった。
それ以来、少年は隣には極力近寄らないようにし、外へ出る時も様子を窺い鉢合わせしないように心がけてきた。
しかし去年のクリスマスのことである。女性二人の部屋に男友達二人がやってきた。
少年は、いつもの喧噪に男の声が混じるのを恐怖をもって聞きながら、部屋でじっとしていた。
しかしどこかのタイミングでコンビニにご飯を買いにいかなくてはならない。
仕方なく、隣の部屋の気配を気にしつつ外へ出たのだが、運悪く女性の一人に見つかってしまった。
「うわあ、出た汚いクソガキだ。ウケる」
この言葉を合図に、半笑いで出てきた男の人たちに少年は、隣の部屋に引きずり込まれ、臭いだの、汚物だのの暴言を浴びせられ、無理やり酒を飲まされ、そして消えた傷跡に再び煙草の火を押し付けられた。
男たちの暴行を、女たちが助けてくれるはずもなく、いつの間にか下着姿になった彼女たちは口を大きく開け、キヒヒヒと笑っていた。
しばらくすると男の一人が、これからはガキの時間じゃねえと言って、クシャクシャになった1万円札を無理やり少年の口に詰め込んだ後、部屋の外に開放されたのだが、少年はそれからしばらくは、恐怖で外へ出歩くことが出来なかった。
そんなことがありクリスマスは、決して部屋から出ないでおこうと昨年誓っていたはずなのだが、最近は夜の騒音も少し収まり、直接鉢合わせることも無くなったので、いつの間にか記憶の外へ嫌な思い出を放り出し、意識から抹消していたのだった。
しかし今、その騒音の中に、女性たちの黄色い声と、男たちの野卑な叫びが混ざるのをを聞くにつれて、少年は1年前の恐怖が再び目の前に現れたのを思い知った。
ところがである。恐怖の感情をお腹に力を入れて追い払い、しばらくぼうっとしてみると、去年とは状況がまるで違うことに気付く。
そう、今年の僕にはサンタさんが付いているのだ。そして願いはまだ3つも残っている。
そう認識すると同時に、体の隅に残っていた恐怖感が、ゆっくりと消えていくのが分かった。
さて、そうなると僕の当面の課題は、願いの力で、隣の迷惑人間たちをどうにかするという事である。
このパーティは去年と今年、連続で開催されていることを考えると、今年のパーティーを阻止しても、来年再び開催されるのは火をみるより明らかな気がする。
つまりここから追い出すだけでは駄目で、来年のパーティを思いとどまらせるような継続的な懲罰が必要なのだというのが、少年が考えた事だった。
といっても、けがをさせたり肉体的にダメージを与えるようなことは、こちらの後味が悪くなるのでしたくない。するとやはり精神的なダメージということになる。
その時ふいに、去年のクリスマスに少年を弄びながら、彼らがしていた会話の内容を思い出す。
その内容から察するに、どうやらあの4人は、巷では有名なインフルエンサーであるらしい。
少年はインフルエンサーというのが何を指すのかはスマホで調べてみても、イマイチよく分からなかったのだが、とにかくSNSの人気者であるということだけは分かった。
とすればそのSNSに何かしらの攻撃を仕掛けるべきであろう。
そんなことを考えていると、ふと意識が鈍くなって頭がふらつく、本当に最近、急に眠くなることが多い。
そんな朦朧とする意識の中で、ふと開きっぱなしの机の上の昆虫図鑑が目に留まった。
ぼうっとする意識がその映像を捉えると同時に、少年は自分でもよく分からないのだが、直観的に口を開いていた。
「えっと、SNSの動画や写真に」
ここまで喋り、見切り発車で言葉を発信させたことを後悔した少年だが、あえて言葉の列車を最後まで走らせてみることにした。
「各国の昆虫をトッピングしてください」
するとこれを聞いたサンタは、今まで見たことがないくらいの満面の笑みを浮かべた。
「あの・・・なにかおかしいでしょうか」
「イエ」
サンタは姿勢を少し正して満面の笑みのまま言う。
「今まで叶えてきた願いの中でも、かなり愉快だったもノデ」
「愉快ですか」
「愉快デス」
「ぼく昆虫好きなんです」
「私もデス、私の国ではサイズが一回りくらい大きいデス」
「そうなんですか」
「いずれ巨大な昆虫に乗って世界を飛び回るのが私の夢デス」
サンタの力があれば、そんな願いすぐにでも叶いそうだと思うものの、やはり誰かの願いを叶えることは出来ても、自分の願いに力は使えないのかもしれない、そんなことを少年は思った。
「それは、全ての人のSNSをデスか」
少年は慌ててかぶりを振る。
「いえ、隣の部屋の男女のSNSだけです」
ここで少年は、隣の男女とのいきさつを、かいつまんで説明した。
ひどい事をされた経験を、他人に知られるのは嫌ではあったが、少年は願いを叶えてもらう身であり、そしてその願いの狙いについては正確に話しておいた方がいいと判断した為だ。
サンタは微笑を崩さずに話を聞き、話が終わるとすぐに、分かりましたと答えた。