<歴史>鎌倉殿の13人 48話「報いの時」雑感

鎌倉殿の13人

伝説的な最終回でした。

私は先週まで、実は本作が最終的にどうなるかは分からないと、若干不安を抱えていました。

しかし、そんな杞憂を吹っ飛ばすほどの圧倒的な最終回でした。

そして本話を見終わってからも、いまだにずっと鎌倉殿のことを考えてしまいます。

最終回が終わって振り返ってみると、今まで疑問とか不満だと思ってたものが、納得の行くものに氷解しました。

そして1年を通して振り返った時に、私が視聴した中で、本作が今年ナンバーワンの作品ではないかとも思いました。

そんなわけで、本作の全体を通した考察は、もう少し時間をかけてアップしますので、本記事は最終話のみの雑感を簡単に記したいと思います。

本話を視聴済みの人はあらすじを飛ばして雑感パートだけ読むのもいいかもしれません。

48話のあらすじ

冒頭では、熱心な吾妻鏡読者であった徳川家康が登場、来年へのリレー的演出です。

そして鎌倉では、三浦義村と長沼宗政が密談中、まだまだ戦はどうなるか分からないと意見を述べています。

首脳陣は軍議を開催、「平家の失敗は追討軍が遅れたことだ」という広元は積極論を展開、迷う中で三善康信が登場し一刻も早く出陣を促します。

政子はその意見を容れ、早期出兵を決定。

一方、のえは「なぜ出兵を止めなかったのか」という祖父の二階堂行政に対し、「戦で泰時たちに何かあれば後継ぎは息子の政村になるからいいじゃないか」とどこか上の空の様な感じで言っています。

総大将を任されるものの兵が集まるか不安な泰時、しかも出兵時は泰時を入れて18人。

そんな泰時に対し義時は、頼朝出兵時の人数を引き合いに出し泰時を激励。

一方で義時とのえ。

親子がしっかりコミュニケーションを取れているのに反し、夫婦関係は悲惨です。

のえは義時に対し、執権の妻が大事なことを人づてに聞くという侮辱について攻めます。

言うと反対すると思ったと言う義時に対し、のえは「ただ忘れてただけ」と一刀両断です。

三浦義村はまたしても長沼宗政と密談。

泰時の元に集まるのは2千くらいだから、木曽川の手前で裏切り、泰時の首を上皇に献上し京都に入ろうとのこと。

しかし泰時の元には、1万を超える兵が集まりました、やはり無念な三浦義村。

一方、京都では膨れ上がった鎌倉の軍勢が19万を超え、迫ってることに衝撃が走ります。

京都側がすぐ動かせるのは1万あまり、上皇はまやかしの数だといいますが、いよいよ京都は苦しくなってきました。

泰時たちは宇治川まで迫りましたが、河を渡るのに苦労しています、そして何食わぬ顔で合流する三浦義村。

泰時は、大将として犠牲が出るのを覚悟しながら筏で河を渡ることを決定、そして見事に渡河に成功しました。

上皇サイドは、最後の策として上皇自らが陣頭指揮を取ることを要請、上皇も乗り気ですが、藤原兼子に「そんな話は聞いたことない」と止められます。

そして後鳥羽上皇は結局、戦場に出ることはなく戦は鎌倉方の勝利で終結します。

泰時の勝利の知らせを喜ぶ義時と政子。

しかし義時は、歴史で初めて朝廷を裁くことになるという重みと大変さを噛みしめています。

広元にどうするか問われる中、義時は後鳥羽上皇を隠岐に流すことを決定。

そして鎌倉に戻ってきた泰時・時房とともに食事を取る義時。

泰時は、京都でりくに会ったことを報告。

そんなさなか突如、手が震え出す義時、そのまま倒れてしまいました。

そのころ政子はトウに身寄りのない子供たちの武芸を見てもらうことを要請していました。

そこに時房が義時の異変を伝え、政子と実衣は義時の元に駆け付けます。

横たわる義時の元には、のえが京都からもらった薬草を煎じた飲み薬を携え看病中。

とりあえず命に別状はないとのことです。

日を改め、義時は京都の不穏な情勢について首脳陣と話し合います。

どうやら廃位された上皇の血を引く先帝のまわりで、先帝を復位しようとする陰謀があるとのこと。

広元と義時が陰謀を粉砕することを決定する中、声を上げる泰時。

先帝を殺すつもりの父を古いと一刀両断し、「都の事は私が決めます」と自信に満ちた態度でその場を去ります。

そして「西の不満が陰謀に結びついたらどうする」という時房の問いに対し、やっていいことと悪いことを定め決まりを作る決意を語る泰時。

一方、依頼した運慶の仏像が出来上がりましたが、それはとてもおぞましく禍々しいものでした。

「今のお前に瓜二つだ」と言い放つ運慶。

義時は運慶を殺すことはしなかったものの、刀を取り像と向き合おうとしたところで倒れてしまいます。

そして倒れた義時は医者から衝撃的な病因を聞かされます。

原因はアサの毒である・・・

そこに入れ替わりで入ってきたのえ、義時が問い詰めるとのえは毒を盛ったことを白状しました。

執権が妻に毒を盛られたのでは示しがつかないから離縁はしないが、二度と目の前に現れるなという義時に対し、政村が後を継げないならここにいる意味はないと返すのえ。

そして去り際にさらなる衝撃的な事実を、言い放ちます。

毒を仕入れて渡してくれたのは三浦義村である。

そしてのえは「大好きな姉上に看取ってもらえ」と捨て台詞を残し、その場を去るのでした。

一方、政子と実衣は二人で昔を振り返っていました。

実衣いわく

「政子は一度も偉くなろうと思わないで、結果偉くなったが、偉くなろうとした人は皆消えていった」とのこと。

人にはそれぞれ身の程があるという政子に対し、今のは悪気がないと分かっているけど言わなくていいと返す実衣。

二人の姉妹は年を重ね、自分の感情・思いを言葉にして伝えられるようになりました。

一方、館に三浦義村を呼ぶ義時。

最初に上皇との戦いにおいて裏切ろうとしていたことを問いますが、上手くかわす義村。

そして次こそが本丸。

毒入りの酒を義村に執拗に進める義時、しかしやはり義村は飲もうとしません。

義時に「何か飲めないわけでもあるのか」と言われるに至り、覚悟を決めお酒を飲む義村。

そして死を覚悟したからか、今まで抱えていた義時に対する本音をぶちまけます。

「子供のころから、頭も切れ、見栄えも良い、剣の腕もお前より上だ。一方お前は不器用でのろま。なのにお前は天下の執権で、俺は一介の御家人。不公平だ。」

そして義時は、ここにおいて義村が飲んだのはただの酒で毒は入っていないとバラします。

これには義村も完全に負けを認めました。

そして義時は毒について断罪せず、義村は一度ここで死んだのだから、これからは泰時を支えて欲しいと要請。

そして義村も、北条は三浦が支えると答えるのでした。

一方、時房と泰時は不穏な西に備え京都に戻ることに、そして泰時は妻の初に、文章に書いてみた武士たちに対する決まりの草案を見せます。

学のない御家人にも読める易しい言葉で書いたという泰時に、真面目と言う初。

また真面目を咎められたと思う泰時に、初は偉いと言っていると返します。

泰時は初めて、初に真面目を誉められたのでした。

そして庭の見える部屋で語り合う政子と義時。

頼朝が死んでから、鎌倉の為に死んでいった13人を振り返ります。

しかし、そこに頼家が入っていることに驚く政子。

ここに至り義時は素直に、頼家は病死ではなく、上皇と結びつき鎌倉を攻めようとしていたからトウに命じて暗殺したこと、そして頼家の最後は自ら太刀を取って見事なふるまいだったことを語ります。

ショックを受ける政子ですが、薄々は気付いていたことを述べ、義時に素直に話してくれた礼を述べます。

そのとき義時は体に痺れを感じます、そして医者から次に体が動かなくなった時に飲めと言われた薬を政子に取ってもらうようにお願いします。

まだやらねばならないことがあるという義時。

不穏の目を取り除くために、先帝の陰謀を阻止し殺す・・・

まだ手を汚すつもりかという政子に対し

この世の怒りと呪いを全て抱えて地獄に行くこと、そして自分の名前が汚れるほど、北条泰時という名前が輝くという思いを語る義時。

政子はそんなことしなくても太郎が新しい世を作ってくれると言います。

そして薬を求める義時に対し、私たちは長く生き過ぎたのかもしれませんと言い、薬を渡さずに床に流します。

悶絶し床に伏す義時に対し、淋しい思いはさせない、そう遠くないうちに私もそちらへ行くという政子。

床に這い薬をすすろうとする義時の前で、袖で薬を全て拭い去ります。

そして、義時に対し、泰時は賢く、頼朝や私たちに出来なかったことを成し遂げてくれること、賢い八重の子であること、そして泰時が誰よりも似ているのは、義時自身であることを語ります。

義時は息が絶える最中、政子に頼朝から受け継いだ小さな観音像を泰時に渡してくれと言います。

必ず渡すという政子。

そして義時の命が消えようとしている中。

「ご苦労様でした、小四郎」

という言葉が紡がれて、舞台の幕は下りるのでした。

以上が本話のあらすじです。

それでは以下から、本話を見て自分が感じたことを書いていきます。

理想の象徴としての泰時

本作の泰時の美化に対して、理解出来るものの、どうしても乗り切れなかった私。

しかし本話のラストを見て、ここまで描くのであれば、この泰時こそが本ドラマにふさわしいと感じました。

政子が、義時の死が迫る中、泰時が一番似ているのは義時だと言ったこと。

この言葉から私が考えたのは、つまりは理想の象徴として分かれたもう一人の義時が泰時だということです。

もし一人の人格として考えるのなら、現実に手を汚し立ち向かう精神が義時理想と博愛を追求する精神が泰時だと思います。

ここのところは、最終的な考察でくわしく語ろうと思いますが、振り返ってみると頼朝が死ぬまでの義時は今の泰時そのものでしたね。

本話でいうと、真面目を初に褒められて喜ぶところが良かったです。

真面目いじりの天丼の3回重ねがここで昇華され、ほっこりしジーンとしました。

御成敗式目のくだりが、分かりやすくし過ぎてわざとらしいという意見があるみたいですが、これも考察で語りますが、本作は「分かりやすくカリカチュアされた歴史戯曲」としての側面が濃厚であるので、私はこれで良いと思います。

ドラマとして最高の形で幕を引かれているから、贅沢ではありますが、泰時が政治の現実に理想を持ってぶつかる今後のドラマも見たいなあとも思ってしまいます、誰か作ってくれないかしら。

義時の最後は、人によって捉え方は様々でしょうが、不幸な妻との関係とは違い、親子の関係は本音をぶつけ合える、良い関係を築けたのだと思います。

<第一の報い> 三浦義村

最後まで、徹底的に嫌な部分を晒し続けた、三浦御大。

承久の乱では情勢を分析するものの全てが自分の思わぬ方向に行く、朝時にジジイ呼ばわりされて怒鳴る、義時に盛る毒を手配する・・・・・

うーん、すごいお方だ笑

しかしなんというかそれでも三浦義村が個人的に全然嫌いになれないのが自分でも不思議です。

なんというかやってることは下劣なのに、清潔感というか品がある気がする、その意味で今回の義村は大成功でした。

問題の毒での思いをぶっちゃけるシーンは考察で取り上げますが、自分が助けてやっと一人前だと思っていた小四郎が、巨大になっていくのが受け入れられなかったんですな、その意味でプライドとは実に厄介なものだ。

小四郎が歴史に選ばれたのは、政子が頼朝と結婚したからといういわゆる運に過ぎないという側面もあるから、義村はそこも許せなかったのだとは思います。

しかし、あんなに優しかった小四郎ですら政治という宿痾に対峙した時に修羅にならざるを得なかった。

そう考えると、神というか運命を与える何者かは、傲慢な自信を抱える義村をあえて選ばなかったのではとも思います。

義村が執権になっていたら、義時以上に血が流れ、そして躊躇もしなそうですし。

この義村との毒のシーンは、義村の本音を踏まえた上で、それを認め友情という帽子を軽く乗せた義時の度量が完全に上回っていたわけですが、これは自分のプライドや利益しか考えてこなかった人と、紆余曲折ありつつ色んな事に悩んだ人の人生の差でしょうね。

ただし義村が用意した毒が結果として義時を殺すことになるのは、そんな義村のプライドに配慮してこなかった(守護の任期制を伝える時とかはやっぱり傲慢だった)、もしくは北条が他家を蹴落としてきた報いでしょう。

ただし、常人には理解しがたくとも、友情の一つの形を乗せることが出来たという点での、二人の友情としての報いもありますね。

その意味で言えば義時には死のシーンが用意されましたが、この義村は最後、畳の上で苦しみながら虫けらのように死んでいくのではないかという気がします、そしてそこに人がいたとして本当に悲しむ人はいないのではないかとも。

しかし、そんな最低のキャラをここまで魅力的に描いた本作と演じた山本耕史さんには感謝しかありません。

<第二の報い> のえ

義時を殺すことになった毒、それを計画したのえは、後述する救いの側面の政子とは対照的に、愚かに感情的奔流へと流されるキャラとして描かれました。

前の話ですでに表情が般若のようであったわけで、今回の展開はやはりやずばりという思いと、それにしても圧巻という二つの気持ちが混じったような感覚で見ていました。

義時の妻がその時代の義時の精神の鏡であるということは前回も言いましたが、義時が修羅の道への覚悟を決めたと同時に、のえという修羅が入ってきたことは宿命以外の何者でもない気がします。

のえが今回、「最初からあなたは私を見ていなかった。見ていたらこんなことにはならなかった」と言いましたが、そもそもちゃんと義時が人間を見ていたら財産目当てののえを選ばなかったでしょうから、それに関しては最初の目的が汚れていた自分の責任転嫁が過ぎます。

しかし、こののえのキャラはすごい。

行政に泰時たちが死んだらそれはそれでいいと答えるシーンは、もうどこか精神が呆けているような恐ろしい空虚を感じましたし、義時の事後報告を問い詰めるシーンは悪魔的な諦観と言えばいいのか、檄するのとは違う迫力がありました。

そして問題の毒を飲ます描写。

そう、これはあまりにもわざとらしくバレバレです。

のえは今までも愚かな描写が沢山ありましたが、もはやこれはどこかでばれてもいいとすら思っている人間の態度です。

その上、バレそうになった時にようやく手が震える。

これは忘我の悪意から、現状の認識へとたちもどったようにも見えました。

私は、本当に悪魔的で魔術的で先鋭的な恐ろしさというのは、りくや義村のような賢い陰謀家の頭脳のような知恵の領域には属していないのではとも思います。

それよりものえのような愚かさ、感情のもつれや恨みの錯乱、破滅的で忘却的な感情の奔流、その間隙に潜む静けさのようなものこそが悪鬼の本当の顔かもと思うのです。

そして義時はその鬼から毒を盛られる。

これは義時がやってきた政治の負の側面と対応しています。

政治と恋愛・個人は一見無関係に思えますが、どちらも人間を扱う領域です。

理想を持って愛の実践を目指していた義時は、後半は権力の安定の為の粛清、そして合理的な利益の為の行動を繰り返してきました。

そして家庭においてもまるで政治家のような感じで、妻に接しています。

恩賞の領地における貢献度、罪が大きいのはどちらの家か、みたいな感覚で過去の妻とのえを比べたりしていました。

結果としてのえはどんどん鬼に近づいていったのでしょう。

過去の妻と比べられ切り捨てられたのえには、義時が粛清し切り捨ててきた御家人たち、鎌倉全体の為に切り捨てた個人という政治の因果などが象徴として乗っかっているようにも思います。

聖なる母の象徴として今作では描かれた八重と、その対極の悪母のように書かれたのえ。

しかし、現実の母や女性、男性全ての中に八重の要素もあればのえの要素もあります。

清濁併せ持つのが人間です。

義時がのえを悪母にしてしまったのは、義時が組織の安定を生んだのと引き換えに、切り捨てたものの怨念や悪意も生んでしまったという因果応報だと思います。

その意味で義時は、自分が切り捨てたものに対する報いを受けたのです。

<第三の報い>北条政子とその背後にいる運命を司る何か

本当にすごいシーンであった・・・

私はここ最近の日本のドラマにおいて、価値観や心を揺さぶる衝撃的なシーンに出会ったことはありませんでした。

なぜドストエフスキーやジッド、トーマス・マンなどの古典作品を私が好んで読むかというと、そういう心の奥底を震わす、言うなれば聖なるシーンを私にくれるからです。

しかし今回の本作のラストは古典文学の聖なるシーンにも劣らないほど、すごいシーンでした。

それでいてエンタメのスピード感も失わないのだから、もう驚愕としかいいようがありません。

そして今回の政子のシーンですが、くわしい掘り下げは全体の考察でやりたいと思いますが、ここには色んな思いが芸術的なバランスで含まれています。

頼家のことを暗殺した義時への昏い気持ち、そして昔から見てきた弟への愛、ここまで鎌倉を率いてきた軌跡への敬意・・・

そんな政子の思いの前に、義時のさらなる修羅の覚悟が出てくる。

しかもそれは先帝を殺すという、これをしてしまったら本当に地獄や修羅へ行ってしまう、引き返せないトンネルです。

政子は、義時をそんな道に行くことを望みませんでした。

最後は、修羅の覚悟を背負った執権ではなく、今の泰時のような顔をしていた、昔の、弟の、小四郎として死んでほしい。

おそらく政子には迷いは無かったと思います。

そしてその政子の思いに、それも呼応していた。

それとは頼朝や義時を選んだ、運命を司る何者かです。

政子の思いと、役割を終えたものへの運命の手が合わさり、あの聖なるシーンが訪れたのではと思います。

非常に劇的なシーンでしたし、衝撃的なシーンでしたが、私はあのシーンを義時を地獄へ行かせない為に、聖なる手が引き戻した瞬間と見ました。

このようなシーンを届けてくれた本ドラマには本当に感謝しかありません。

最後に

本当に1年間、お疲れ様でした。

脚本家の三谷さん、そして本ドラマに携わった方々には何度も言いますが感謝しかありません。

1年間という長いドラマで、スピード感を失わずに、併せて文学的価値の高い作品を提供してくれた本作。

個人的には大河ドラマで歴代で一番すごい作品だと思います。

最終回の振り返りの本記事では、義時自身の考察については書いてませんが、それは全体の考察において書きたいと思います。

年内には、本作の全体の考察を上げたいと思いますので、よろしければ見て下さい。

とにもかくにも、本ドラマに携わった方々、そしてこの記事を1年間見てくれた皆さま。

1年間、本当にありがとうごさいました。

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