最近、社会学系や心理学系の学術関連の本を読んでいるのですが、その中でも最近読んだ「なめらかな社会とその敵」が本当に面白く、衝撃が半端では無かったので、今回は「考察」の特別編で、本書を紹介します。
かつて「サピエンス全史」を読んだ時も、衝撃を受けましたが、本作はそれをはるかに上回り、もはや本書は学術の枠を超え、言うなれば想像力の領域を押し広げられる未来の書物のような、そんな感覚すら抱かせます。
著者の鈴木健さんは、研究者やエンジニアでもある一方、スマートニュースの会長など、実業家でもあり、幅広く活動されている方です。
本作を読むと、鈴木さんの独創的で、それでいて現実的でもあり、さらに跳躍的な思考能力に対し、心の底から尊敬の念を覚えます。
現代の言論人の多くは、問題点を野次馬的に他人事のように指摘するだけでな人が多い印象ですが、鈴木さんの目線は、実践的であり、社会をよりよく流れるようにしようという意識と提案性に溢れています。
それでは以下、本書の内容について紹介していきます。
ただし以下に関しては、私が無い頭を絞り、自分なりに解釈した内容なので、本書のニュアンスとは齟齬がある可能性があるので、そこはご容赦下さい。
あと、本書の重要テーマに関して触れる為、何も情報を入れたくない人は、損はないと思うので、このブログを閉じ、本書を今すぐ買ってください笑
それでは行きましょう。
なめらかな社会
本作のテーマは「複雑な世界を複雑なまま生きていけるのか」というもので、そのためにまず前提として、国家や社会、政治などを、生物学に立ち上って考えます。
生物は、細胞で出来ていて、その細胞は核を持ち、膜を作り自らの内部と外部を区別します。
人間で考えると、内部が自分で、その外部が他人、また国家では内部が自分が所属する国で、外部が敵国です。
つまり人や社会は、始まりからして既に、内部と外部を分けており、さらに認知出来る情報にも限界があるため、だからこそ分かりやすく単純な、国家や社会を信じる事に繋がっていきます。
しかし世の中には、単純なものなどなく、全てに色々な事情があり複雑です。
しかしインターネットの登場により、人間は認知の壁を飛び越え、より複雑な海の中へ泳ぐことが出来るようになっていきました。(本書では、先ほどの細胞の話でいうとインターネットの様な他のものを繋ぐものを網的なものと捉えている)
本書は、様々な試みにより、この強固な国家や社会の外部と内部を崩していき、なめらかで流れる様な社会になっていくにはどうしたらいいかを考える本なのです。
すごいのは、本書は国家など既存のものも否定していないということです。
それらを否定するのではなく、その役割を流れるように軽減し、お互いが楽になるような方法を提示します。
つまり全ての事を否定するのではなく、複雑なまま取り込み、輪郭を曖昧にしていくという様な感じなのです。
PICSY・分人民主主義
それを実現するために提唱される方法が「伝播投資貨幣PICSY」と「分人民主主義」、そしてそれを支える「伝播委任投票システム」です。
詳しくは是非、本書を読んで欲しいんですが←そればっかり笑
PICSYとは、取引を重ねれば重ねるほど、価値が積み重なり、価値が上がり広がっていくような貨幣システムです。
そして「分人民主主義」の分人とは、現在のパスワードを使い分け、ネット等色んなものにアクセスしている人々を例に上げ、個人には様々な顔やいくつもの意志・感情があり、「分割できない個人」というものの解像度を上げて、個人をいくつもの顔を持つ「分人」と捉える考え方です。
その分人民主主義を支える「伝播委任投票システム」とは、票をそれぞれ0.6や0.4に分割が可能で、異なる政党に分けて投票出来、かつ他の人に委任することも可能なシステムです。
さらに言えば、政党ではなく、直接、政策そのものに投票することや、日本ではなくアメリカや中国など、自分自身で投票する国を選ぶことも出来ます。
さらに「税制の線上のグラフ」に投票することも可能であり、まさに複雑ないくつもある意志を、複雑なまま投票行動に移行させるシステムです。
さらにこのシステムでは、発信力が高かったり、面白い提言をする人に、票の委任が集中する状態も出てきます。そうなるとその人は有権者でありつつ、ちょっとした議員・政治家であるともいえます。
つまりこのシステムだと、有権者や政治家という地位の境目は曖昧で、流動可能でなめらかなのです。
このような「伝播投資貨幣システム」や「伝播委任投票システム」の世界では、複雑な価値を抱えた個人がそれぞれの世界を生きていくわけで、世界はパラレルワールドの様になっていきますが、そもそも皆が単一の世界で暮らしているという今の常識が幻想なので(各々が複雑に暮らしてる)、その幻想が壊れ、パラレルワールド同士がゆるやかに繋がっている様な状態が望ましいと言うのが本作の主張なのだと思います。
敵について
本作の後半では「法と軍事」や「敵」についてを説明しています。
作者は、ドイツの政治学者・カール・シュミットの概念である政治的なものとは「公的に敵と味方を区別すること」という概念が、いかに強力であるかを力説します。
政治とは、主体が国家だとして、その外部にお互い公的に抹殺すべき敵を前提にして成り立っているという概念ですが、生物学の細胞から考えていくと、生命は始まりから外部の敵を想定しているので、この概念がいかに強力かが身に沁みます。
作者はこれを倒すのはかなりの苦難としながらも「公敵なき社会」を提唱します。
それは40パーセント敵で60パーセント味方であるような状態がソーシャルネットワーク上に定義され、それらが伝播し値が変化し、人と人との敵の度合いが半自動的に計算されるような社会であるとして、それの価値観を支えるのが「人間は運命を最終的に制御出来ない」という考え方だと言います。
この社会の場合、基本的に個人による私敵の概念による私闘と国の防衛のようなものに違いはなくなっていく。
さらに国益のような一貫したようなものでなく、私人の利益という常に変化するものに重点が置き換わり、敵というものをなめらかにしていきます。
このような社会では、私的な争いは起きますが、大規模な戦争は無くなります。
作者は、このような社会に嫌悪感を持つ人もいるだろうことを認め、逆にここまでしないとシュミットの概念を倒せないことを本書内で実感しています。
個人的には、過度な自己防衛が社会を息苦しくしている側面もあり、いつ何が起こるか分からないという平等性の元、世界から紛争が無くなり、先進国が独占している秩序がなめらかに世界に伝播していくなら、この社会もありだとは思いますが、それの是非は個人の価値観に大きく左右される気がします。
最後に
以上、本書の内容で感銘を受けた部分を紹介したわけですが、自分の馬鹿な頭で噛み砕いた文章なので、少しでも本書が気になった方は是非、本書を購入し、さらに深い知識や世界が広がっていくような体験を経験してほしいです。
僕自身、本書のビジョン全てが実現するか、また現実世界に受け入れられるかは分かりませんが、その内容の未来への意志や希望、そして発想の跳躍の力強さは、唯一無二です。
というか今まで読んだ学術関係の本の中で、一番面白かったのが本書でした。
これを読むか読まないかで、認知の広がりのレベルが変わってくるのかも、そんなことすら思っています。
もし本記事を読んで少しでも気になった方は、是非本書を手に取って下さい。きっと新しい人生への感覚とそのヒントが待っていると思います。