最近、横浜に出かけたのですが、やはり横浜の地は混んでいます。
個人的体感ですが、新宿や渋谷よりも横浜の混みの方が断然上回っている気がするのは私だけでしょうか。
しかしふと思い出すのはあの日のことです。
それはコロナが発生してまだ初期の頃、私はどうしても横浜に行かなくてはならない用事があり、横浜に行ったのです。
その時、私は衝撃を受けました。
そう、普段はあんなに混んでいる横浜に人が誰も居ないのです。
例えるとするなら、何百年後にタイムスリップし、もはや過去の遺物となった都市の遺跡に立っているようでした。
その時に、私は日常を構成していた要素が、突如変化し、非日常になった時に、人間の心は揺さぶられるんだなあと、改めて感じたのです。
しかし非日常というのは、色々考えると、かなりの伸びしろがあり、無限の可能性があるように思います。
例えばいつも便利な道具を出してくれるドラえもんが、ある日ポケットから古着しか出さなくなったら、それは非日常です。
「のび太君、これはキルト生地で出来た流行のパンツでさ」
とか
「しずかちゃん、これはビエラ生地の秋物のフレアスカートなんだよ」
と未来から来たネコ型ロボが、まさか中古の品を語る様子に、最初は訝しがっていたのび太も、徐々にその非日常感ににやにやした顔を浮かべ始めます。
しかしまだ古着ならば、裏原系ドラちゃんで済みますが、もしドラ氏がお洒落な雑貨しかポケットしか出さなくなったら要注意です。
そうなるとそれはもはやヴィレッジバンガードではなく、ドラッジバンガードであり、両社が血で血を洗う戦いが勃発してしまいます。
またもし吉野家に入って牛丼を頼もうとしたら店員が全員メイドさんだった場合も、その戦闘力は257万非日常です。(スカウター調べ)
ねぎだくだろうが何だろうが、そのたびに萌え萌えジャンケンをしないと先に進まない為、ファーストフードの売りであるファーストの部分が、牛丼屋から失われます。
まだ電車の時刻表に、隠れミッキーが導入された場合も、非日常です。
「お母さん、見て見て15時のところにいたよー」
そんな子供の笑顔が今にも浮かんできそうな微笑ましい非日常です。
ただしミッキーマークにより、時間の「分」の部分が隠れているので、いつ電車が来るのかは、あくまで直観と推測に頼る必要が出てくることになります。
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さてここまで脈絡の無いことをわけもわからず、朝から書きなぐって疲れたので、今から読書しにカフェに行きます♪
(今、読んでるカエアンの聖衣がマジで面白いのだ♪)