最近、開高健さんの本がブームで読んでいるのですが、開高さんの本を読むと食欲がめちゃくちゃ刺激されます。
「オーパ!」とか食をテーマにしたものもそうなんですが、「輝ける闇」などのベトナム戦争をテーマにした作品でも、洗面器で食べるおかゆであったり、その本の中でしか出会えない開高さんの眼を通した表現があり、文章の力の凄さをとても感じます。
一方で、「カラマーゾフの兄弟」に出てくるような、パン一つだけで日を過ごす牧師の様に、清貧に憧れる時もあります(一回やってみたけど半日でギブアップ)
こうやってみると「食」に関して考えてみるのも面白いなあと思ったので、本日は「食」に対するあれこれを書いていきたいと思います。
経験と味覚
ママチャリ旅など、ある程度自分に負荷をかける旅をしていると、不足の事態で食事がとれない時間というのが出てくることがあります。
そしてそういうときにありつけた食事は、どんなものでも美味しかったりします。
「空腹は最大の調味料」の最たる例です。
熊本で自転車を漕いで阿蘇に行こうとしてたとき、バイパス沿いにあった、とんこつラーメンのお店に入ったのですが、そのラーメンが人生の中で一番美味しいラーメンとして記憶されてるのも、美味しかったのはもちろんのこと、冒険の最中にたまたま出会ったという付加価値が足されてるのもあると思います。
「食」には、栄養摂取という側面にプラスして、一つの経験としての側面もあると思います。
だから、毎日家で食べる夕飯は思い出せないのに、旅という特殊な経験で食べた物は印象に残るんだろうなあと思います。
味覚進化論
またまた旅の話になりますが、旅をしていると徐々にコツみたいのが分かってきたりします。
自転車の漕ぎ方やペース、自分に適している時間帯、道の選び方。
旅の前半と後半の自分では、あきらかにレベルが上がってるのを実感できます。
そしてこれは味覚にも言えるのではないか?と私は思うのです。
よく大人になると辛い物が食べれるようになるのは、舌が鈍感になっていくからだ、みたいなことを言いますが、脳と感覚・経験の蓄積は、間違いなく積みあがっているはず!!
私は、白子や湯葉を子供のころ食べたとき
「こんな気持ちの悪い感触のものを食べる大人っておぞましい!!」
と感じたものですが、今となっては寿司屋では必ず白子を頼み、観光地で湯葉があったら食べないと気が済まない人間になりました。
これも今までの食事により、レベルが上がった結果、味の機微が分かってきたからだと私は思うのです。
さてここからは完全な主観ですが(今までだって主観)
ゲーム的にいうと、何を食べたかにより、甘さパラメーター、辛さパラメーターみたいなのが上がっていき、その振り分けによって「メルヘンスイーツ舌」「ビターちょい悪舌」みたいに舌のキャラクターが決まっていくのではないかと思うのです。
そのキャラクターは何通りもあり、育成方法により無限の可能性が広がっているのではないでしょうか?
そしてその舌の個性は間違いなく内面にも影響を及ばすはず!
スイーツ舌の持ち主は、何かを人に頼む際に自然と甘いニュアンスが出てしまうこともあるだろうし・・・・・
辛い物バカの舌を持つ人は、人生相談のアドバイスを求められた際、最後にぴりっとエッジの効いたエピソード?をついつい足してしまうこともあるでしょう(たぶん)
さて、そうとするならば、もし「変な物」ばかりを食べたらどうなのだろうか?
例えば地下の洞窟に住み着くコウモリの羽で煮込んだスープ・・・
その山の頂上でしか取れない、幻の木の葉のサラダ・・・
足が6本ある、高原に生息する生物の、内臓の炒め物・・・
もしこんなものばかり食べていたら、きっとどこかかのタイミングで自分は違う次元の扉を開けてしまうに違いない。
食こそ、我々の進化の可能性ではないだろうか!!
・・・・・・
まあ、いろいろ言いましたが結局は、世界の変わったものを食べにいきたいという欲望の
まま、キーボードを打っただけなのです。
いつかそんなヘンテコグルメ旅をしたいと思います。
そしたらこのブログで報告で出来たらいいなあ、そんなことを思った今日なのでした。