小さい頃、私は小児喘息を患っていました。
今ではほぼ完全に完治したものの、子供の頃はすぐに体調を崩す病弱体質で、両親が体調管理に関してかなり気をつかっていたのを覚えています。
イヤだったのは朝晩に飲む薬たちです。
錠剤や、粉薬など、全部合わせると大体4種類くらいの薬を飲んでいました。
特に粉薬の甘いような苦いような味は独特で、今でも安物のマンゴーゼリー等を食べた時に
「うわあ、めっちゃ薬の味でござる!!」
と南国気分から一気に、白い巨塔の内部に放り投げられたような気分になることもしばしばです。(個人的主観としてマンゴー味の加工品は、薬の味に結構近いものが多い)
しかしそれよりなにより、最も嫌なのが、薬の副作用の血液検査です。
薬の副作用を調べるために、半年に一回(たぶんその位だった)、必ず大学病院に行き血液検査という名目のもと、注射針が私の腕を突き刺し、私の可愛いヘモグロビン達を吸いに来るのです。
私があまりにも嫌がるため、母が注射の日には必ず漫画や、本を買ってくれて、物を餌に注射に引っ張っていったものです。
しかし年齢が進み、小学校の高学年にもなってくると、さすがに注射にも慣れてきて
「痛いの一瞬だし、外の景色を眺めてりゃあ、いつの間にか終わってますわなあ」
みたいなイヤには嫌だけど、まあ仕方ないイベント位の認識になってきます。
しかし、こうなってくると注射という出し物の重要性は下がり、それより何より
「いかに欲しいものを買ってもらうか」
という方にフェーズの重心は移っていきます。
とはいえ小学校高学年にもなってくると、泣いたりわめいたりする演技は不自然です。
私が欲しい漫画を手に入れるには、自然でかつ本当に同情を誘う哀愁あふれる演技が必要になるわけです。
そんな私の「悲しみの演技」は注射の1週間前から始まります。
まずこれ見よがしに、夕飯時、どこか憂鬱そうな顔でアンニュイな少女漫画に出てきそうな少年のオーラを醸し出します。
夕飯後、家族でテレビを見ている時も、視線を虚ろにして、夜の闇を1時間に3回ほど眺めるのも忘れてはいけません。
すると、3日前くらいになり母が
「そんなに注射がつらいの?」
と聞いてきます。
こうなったらもう私のペースです。
「やっぱり、どうしても慣れないんだよね」
と無理したような笑みを浮かべながら、少し声を低くして呟きます。
ここに恐怖と悲しみの影を背負う少年が完成します。
そうすると、あとは当日に大学病院の駅のある本屋で、母が自然と漫画を買ってくれる運びになるわけです。(私の家にある大長編のドラえもんの漫画はこの手法により集められた)
そんな方法を駆使し、私の注射もとい漫画収集イベントは順調に推移していったのです。
しかしそんな私の漫画生活に危機が襲います。
私が小学校6年になって初めての注射の日のことです。
その日はなぜだか、2歳下の妹も私の付き添いで一緒に病院に行くことになりました。
もちろん、私の事前の演技はプラン通りに完璧に推移しており、あとは本屋に行き漫画を買うというだけのところまで来ていたわけです。
エスカレーターを降り、本屋に辿り着く私たち一行。
そこで母が私にいつもの通り
「好きな漫画を選んでおいで」
と言いました。
選びに行こうとした私の耳に、妹の言葉が飛び込んできます。
「えー、お兄ちゃんだけずるい」
本屋に入る足を止める私。
ここにおいて、「第一次・本屋前の戦い」の火蓋が切って落とされました。
母「お兄ちゃんは注射が痛いの我慢するんだから仕方ないでしょ」
妹「えー、ずるいよー、私も買って欲しい」
私「・・・・・」
母「分かったわよ、あなたも好きなもの選んでらっしゃい」
ふう、どうやら戦は引き分けで終わったようだ・・・
そう安心したのも束の間です。
妹「もしかしてお兄ちゃん、毎回漫画買ってもらってたの」
私「・・・まあね」
妹「ずるいずるい」
私「いや、でも注射が・・・」
妹「嘘つきー、本当は全然つらくないくせに」
私「なっ・・・」
妹「いつもこれ見よがしに注射前につらそうな顔してたのは、このためだったんだね、ずるいずるい私ももっと漫画が欲しい」
・・・なんということだ。
こいつ真実を完全に見抜いてやがる。
子供というのは確かに大人より知識はないものの、その鋭い独特の観察力は真理を嗅ぎ取るもの。
私は本当の敵が、こんな身近にいることに戦慄を隠せませんでした。
その場は、何とか母が納めて、漫画一冊ずつで手は打たれました。
しかし、もし今後も妹が、注射前に私の演技に関し攻撃を加えてきたら、いずれ私の演技は砂の如く崩れ去り、母の好意は終わりをつげ、私の漫画人生はここでピリオドを迎えることになってしまいます。
そして、妹が今後、病院に一緒に行く機会はそうそうなく、彼女が注射の日に漫画を買ってもらうことはなかなかないでしょう。
そうなったら一人だけ利益を享受している私に総攻撃を仕掛けてくるのは道理です。
これは早いうち何か手を打たねばなりません。
私は帰りの電車の中で、寝たふりをしながら
「妹が私に対する攻撃を控えざるをえなくなる作戦」
を考え続けました。
そして家に着くころには、大体のプランが固まります。
その作戦は名付けて
「クッキー破壊オペレーション7532」です。(特に数字に意味は無い)
この作戦は簡単で、いつも妹がおやつの時間の時に食べる個別包装のクッキーを、両親が寝静まった深夜に、包装の上から全て割っておくという作戦です。
おやつの時間に、クッキーを食べようとした時、袋の中で真っ二つに割られているクッキー。
さすがの妹も、この威嚇と牽制の行動から
「もし私の漫画生活をこれ以上邪魔する気なら、こうなるぞ!」
というメッセージを感じ取り、以降は私のわざとらしい演技を黙認せざるを得なくなるでしょう。
プランが決まれば後は実行するだけです。
心の平穏を取り戻した私は、いつものように夕飯を食べ、両親が寝るまで、テレビを見たりしながら、その時を待ちました。
そしてようやく寝静まったのを見計り、リビングの戸棚を開け、私は静岡のおばあちゃんが丁寧にお茶を摘む手つきの如く、一枚一枚クッキーを割っていったのです。
そして見事に、「個別包装かつ中身が真っ二つのクッキーたち」が出来上がりました。
彼らをまとめて入っていた袋に戻し、棚の中にその袋を押し込みます。
これで準備は完了です、あとは明日の決戦を待つだけです。
「妹よ、戦とは準備の段階で、すでに勝敗は決しているものなのだ」
私は満足な笑みを浮かべ、布団に入りました。
さて翌日の土曜日の朝。
目が覚めて、リビングで朝食を食べていると隣に妹がいません。
母に妹の所在を訪ねると
「あの子なら友達の家に遊びにいったわよ、今日は○○ちゃんの家に泊まるらしいわ」
・・・・・
私のプランが水泡に帰した瞬間でした。
そう、私は昔から友達が少ないオンリーロンリーロンリーボーイでしたが、妹は私とは全然違うアクティブスーパーグローリーガールなのです。
しかしまだ慌てる様な時間じゃない!!
明日のおやつの時間に決行日が伸びた、そう考えればよかろう。
柔軟な思考こそが戦いでは重要です。
私は気を取り直し、部屋で「スーパードンキーコング2」をやることにしました。
その後はいつも通りに時間が進みます。
ゲームを切り上げ、お昼を食べて、少しだけ昼寝した後に、決戦が先延ばしになったことにより、いつも通りの平和なおやつの時間が来ます。
とことこリビングに下りていく私。
しかしそこで母から衝撃の発言が飛び出します。
母「あれ、しまった鬼太鼓買うの忘れちゃったなあ、仕方ないね。今日はあの子(妹)が泊まりに行ってるし、おやつ要らないから、今日はあの子(妹)のクッキーを食べてね」
・・・・・ナンテコトダ
我が家のおやつの時間は、私が鬼太鼓というおせんべいを食べ、妹がクッキーを食べるのがなんとなくの習慣になっていました。
しかし、たまたま今日に限り鬼太鼓が無かったのです。
運命が私に牙をむいた瞬間でした。
愕然としている私を残し、庭の掃除に行く母。
そしてテーブルの上にはお茶と、奇麗に半分に割られたクッキーたち・・・・・
無意識に手を動かし、個包装を開け、クッキーを口に入れると甘さが広がります。
パクパクと半分に割られた彼らを口に入れる私。
しかし目の前には、まだまだ沢山ある二つに割られた彼らが、ニヤニヤした顔でこちらを見つめています。
悔しさと虚しさで、私の頬を涙が伝いました。
割られたクッキーは必ず、割ったものへと返ってくる・・・
私はその夏、一つ大人への階段を上ったのでした。