<雑記>ただ単に牛丼の事を語る

雑記

いよいよ寒い冬が到来して、歩く度にその冷気が瞳を刺激し、常に泣きそうになっている。

しかし寒い冬にも唯一の良い要素がある。

それは飲食店の行列に並びやすくなるという事だ。

私は三鷹にどうしても食べに行きたいスタミナ系ラーメンのお店があるのだが、そのお店はどうしても、いつ行っても必ず1時間並ぶのがデフォらしい。

そしてその店を知り「食いてえ」と思ったのは、8月の夏真っ盛りだったわけだが、正直、今年の夏は暑く、行列になんて並ぶ気しないし、間違いなく1時間並ぶ事になったら、前の人間の頭を噛み砕いてしまう感じなあれだった。

そんなわけで私はその時から、日本が、地球が寒くなるのを虎視眈々と待っていた。

しかしである。

なんか冬になったらあんまラーメン食べたくなくなったのだ。

こればかりは自分でもさっぱり意味が分からない。

そもそも夏はそうめんとかそばを食べたくなるのが、人類の遺伝子の智恵だったはずなのに、私は夏に家系ブームになり、スタミナラーメンに恋焦がれた。私の遺伝子は蓄積無し、充電ゼロ、スカスカである。

そして温かい、味の濃い食べ物の真骨頂の冬に、ラーメン熱が減退する。多分私は進化の過程で淘汰されるべき人間だったのだ。あまりに不条理な欲求に半笑いである。

さて、そんななかで、私の中で熱いのが牛丼だ。

安い・早い・上手いの三拍子を売りに、都市の資本主義の奴隷を癒し続ける、誰もがお世話になっているファーストパワー飯。

しかし私は長年、牛丼を食べてはいたが、実の所、その存在にそれほど感謝しているわけではなかった。

かつて何かのアンケートで(ネットで見たのかしら)、一生食べれなくなるとしたら「カレー」「ラーメン」「牛丼」何を選ぶかというものがあったが、私は迷わずに牛丼を選んだ。それ位私の中での食べ物カーストは低く、食べるにしても低価格で早いからというおざなりな理由で、お腹の中に入れていたのだ。

しかし、つい先日、私が巡回しているYoutubeのチャンネルで、出演者が美味しそうに牛丼をテイクアウトし、「俺つゆだくー」「卵付けるー」とわいわいきゃっきゃしていたのだ。

その時、私はこう思った。

「何か牛丼っていい!」

そう私は、本やゲームや漫画のイメージで食の評価が大幅に変わる人間。

天下一武道会の悟空たちの打ち上げを見た翌日、中華のバイキングに行き、ラピュタを見る度に目玉焼きをトーストにオンする、実に直情的なヤツなのだ。

ゆえに今、私は牛丼の認識を新たにし、もはや愛し始めてもいる。

つまるところ牛丼というのは、ひも解けば、ただの肉丼だ。

しかし卵や紅ショウガ、つゆだくなど、そこには定型的な作法があり、ハンバーガーと同じレベルでテイクアウトの雄を張っている。

つまり牛丼という文化は、マクドナルドやケンタッキーと共に、完全に日本のファーストフード精神に定着してしまっているのだ。

これは実はなかなかすごい事である。

ハンバーガーやチキン、こいつらは実にシンプルに定型的だ。生活にするする入り込むのは分かる。

しかし牛丼は違う、米と肉、タレ、たまねぎ。要素と構造は実は複雑。

そう普通に考えれば、彼は定食屋のレギュラーメンバーのはずなのだ。その意味で本来ならおにぎりこそが、ハンバーガーやチキンと張り合うべき存在なはず。

しかしそんなおにぎりを軽く押しのけ、複雑系のハーモニーを奏でる牛丼がファーストフード界で輝いているのは、実力もあるし、もしかしたら時の運もあったのかもしれない。

さて、そんな牛丼だが、有名な御三家として「吉野家」「松屋」「すき家」がある。

面白いのは、人によってこの御三家の評価は本当にバラバラで、親しい友人でも全く派閥が違うような事が多発することだ。これは三者の味の実力が拮抗している事を意味している。

私の中でのこの三者のイメージを以下、言語化していこうと思う。

吉野家は、とにかくタレが本格的で上品だ。初めて食べた牛丼が吉野家という事もあり、私の中でこれこそデフォルトのイメージが強いのだけど、なんていうか料理としてのレベルも高いな、そう思うのが吉野家だったりする。

ついでに私は紅ショウガはあまり使わず、後半七味唐辛子ドバドバピープルなのだが、七味と一番相性がいいのは吉野家だと思う。

次に松屋だが、松屋の牛丼は優しい感じだ。正直な話、味が濃いのが好きな私としては三者の中で牛丼だけで言えば、松屋はそんなに好みではない。

しかし松屋には、うまトマがある。牛焼肉定食がある。カレーがある。

そう松屋は低価格帯の定食屋として圧倒的に強いのだ。正直うまトマは久しぶりに食べると、旨すぎて脳が発火しそうになるレベルだ。

ついでに最近の松屋は、チャーシューエッグやホルモンなど、パワー系にも手を出し始め、それも美味しく最高である。

最後にすき家だが、ガツンとくるタレの甘味が良い!

そしてすき家の牛丼の強みは、そのバリエーションだ。

チーズ、高菜明太マヨ、おろしポン酢、わさび山かけ、ねぎ玉・・・

マジで、どれもガチ旨である。

その意味で牛丼というものの可能性に一番真摯に取り組んでいるのは、すき家なのかもしれない。

さてここまで牛丼御三家を語ってきたわけだが、もはや牛丼というのは一つの文化である事が、2025年の年末に確認された。

私はこれからも牛丼を食べ続け、その変化と進化を見守り続けたい所存である←今年目覚めた人間とは思えない上から目線勘弁

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