私は毎月律儀に髪を切りに行く。
これは毎月のルーティーンにしないと延々と先延ばしにし、平安女子仕様の気持ち悪い髪長おじさんになってしまうからであり、世間に受け入れてもらう為に仕方なしに行っている社会税的なものだ←千円カットなのによく言うわね
とはいえ私は別に髪を切られるのが嫌いなわけでは決してない。むしろパスパスと一定のリズムで頭皮に与えられる刺激が心地よく、好きと言っていいかもしれないまである。
しかしこの肉体的感覚とは裏腹に私の精神や理性は、床屋や美容師に対して厳然たる恐怖を持っている。
それは
こやつ、ハサミで私を亡き者にしようとしているのでは?
というザ・猜疑心だ。
何を馬鹿な、と思う人も多いだろうが、これに関しては私が悪いのではなく、基本的に私が触れてきたエンタメが悪い。
ヤクザや極道ものの漫画や映画で、そのボスがホテルの最上階で、美女の美容師に髭を剃らせている(もしくは頭皮マッサージ)
しかし次の瞬間、美女が胸元からナイフを取り出し、そのボスの頸動脈を切り裂き、血が飛び出る。
私はエンタメにおいてこのようなシーンを少なくとも三度は確実に見ている。それもまだ純真で清い心を持っていた十代においてだ。
ゆえに私は、床屋や美容師さんが髪を切っている時、特にシャンプーされている時には
「この人、どこかに隠し持っているハサミで私の耐久度レベル1の頸動脈をぷつりとヤル気なのでは」
という恐怖心で鳥肌がマグマのように沸き立ってしまうのだ。
例えば私が金次第で誰でもヤる暗殺機関のトップなら、間違いなく全員を床屋か美容師に転生させる。
床屋や美容室こそが愛すべき我が組織の暗殺映えスポットであり、血を血で洗う承認欲求のインプレッションのカーニバルだからだ←は?
そもそもとして、日本には銃刀法という法律があったはずだ。
それなのに、頭という人間の急所に刃を当てる行為を黙認している警察は、恐らく床屋や美容室の背後にいる組織から多額の政治献金をもらっているに違いない。
ついでにいうと私が尊敬している冨樫義博先生の大人気漫画に「ハンター×ハンター」という作品がある。
その中に出てくるネフェルピトーというキャラが、あるキャラの脳味噌を背後から、巨大な針のようなものでクチュクチュといじくり、そのキャラに情報を吐かせるというシーンがある←マジ、トラウマもん
「もしシャンプー中に脳をクチュクチュされたらどないしよ」
この恐怖もまた私を十代の頃から苛み続けている。
もちろんシャンプー中に床屋は、ハサミもしくは巨大な針など持ってはいない。しかし服のどこか、あるいは念能力で隠し持っていないなどとは誰にも証明出来ないのだ。
能ある鷹は爪を隠す、もといヤる床屋や美容師はハサミを隠す。
こうなってくると、RPGにおける勇者も仲間の職業を根本的に考えなおすべきだ。
戦士や魔法使いを入れるより、明らかに床屋と美容師だけを連れていくべきだし、むしろ勇者も床屋や美容師に転生して、四人全員がハサミを隠し持つスタイルでいくのがいいかもしれない。
堂々と魔王城に入城した、旅のカリスマ床屋・美容師がドレッドヘアーにしてほしい魔王をシャンプー台に連れていった段階で、魔王の首は胴体を離れることになる。
ここまで述べてきたように、彼らが隠し持つハサミに対し、我々が抵抗出来る手段はあまりにも少ない。
数少ない選択肢としてはハンムラビ戦法くらいだ。
これは簡単で床屋・美容師連合がこちらの髪を切っている間に、こちらも彼らの腹にナイフを押し付け。
「こちらもいつでもヤれるんだぞ」
という姿勢を見せつける戦法だ。
それ以外には、武田信玄のように金貨やら何やらで、美容師か床屋のどちらかを買収し、床屋VS美容師戦争という内紛に持っていき間隙をつくしかないだろう。
しかしそれでも髪を自分で切ることは難しいし、何より面倒くさい。
ゆえに私たちはこれからも床屋・美容師連合と向き合っていかなくてはならないのだ。
彼らを過度に恐れず、かといって支配されない。
我々は複雑な関係性を常に考え続けていく必要がある。
(おしまい)