昨晩、「相棒」のCMを見ていて、ふと大学生の時の思い出を思い出しました。
そのCMの内容は、今回のエピソードの主役であろう少女が、自分の詩を書いた詩集を作っていて、それが事件のキーになる・・・
みたいな内容だったのですが、私はこれと似た光景を見たことがあるのです。
大学時代、当時の私は所用で週に1回、新宿に行く用事がありました。
いつも西口から駅を出ていたのですが、出口を出た通りの柱のところに、いつも黒い修道服みたいなものを着た40歳位の女性が
「私の詩集 3000円」
という紙を持って立っていたのです。
誰も見向きもしないものの、私は無性に気になりました。
「もしかしたら、自分の常識を根本から覆してくれるような珠玉の言葉の数々があそこにあるのでは?」
そう思ったら、ミステリアスな漆黒の修道服や、端正な顔立ちに微妙な憂いを帯びた女性の顔も相まって、その詩集に対する興味が止まらなくなってしまいました。
ある時友人に、その女性の話をしたところ。
「ああ、分かるよ、西口にいる女の人だよな。なんか怖いよな」
というリアクションが返ってきました。
怖いのかなあ?ミステリアスだと思ってたけど、恐怖は感じないけどなあ・・・
という感覚の違いは感じたものの、友人も知っていたことの喜びに包まれた私。
しばらくして、あるアイデアが閃きます。
「あのさあ、あの詩集二人で割り勘で買ってみない?」
正直、当時の金銭事情的に3000円は厳しい!!
しかし1500円であればギリギリ出せる!
これは自分的にかなりGOODなアイデアです。
しかし友人は
「えー、絶対嫌だよ」
そう完全なる拒絶です。
彼と私の心の壁は峻厳な山を5つ隔てた位開いているのを実感する言葉のトーン。
しかし、心の距離を埋めるのもまた言葉なり!
私は必死の説得を開始します。
「いいか、もしあの女の人の詩集に、ボードレールを超えるような革新的で、こちらの心に訴えかけるような詩が沢山あったとき、お前は一生後悔するぞ」
「別に後悔しないよ」
「もし例えば、詩集の中身が、アメリカのガールズバンドの和訳みたいな、〈私の彼の幼馴染はキュートで嫉妬しちゃうわ〉みたいなキャピキャピフワフワな内容でも、ギャップで逆にアリなんだよ」
「いや普通に無しだろ」
「もしかしたら、現代アートの先を行っていて、1ページに漢字で「卍」とだけ書いてあったとしても当たりだよ、つまりこれは外れがないガチャガチャなんだよ」
「いや外れしかないガチャガチャだわ」
こんな感じで、まるで意思は通じ合わず結局、その話はうやむやになってしまいました。
そして私は3000円出す決意は出来ぬまま、いつの間にかその女性は消えていたのです。
今でもあの時、無理をしてでもあの詩集を買っておけば良かったなあと思い出します。
大抵のものは、今の時代ネットを駆使すれば手に入る時代ですが、その詩集はもう二度と手に入らないでしょう。
もしかしたら自分の人生を変える位の衝撃を、私は3000円出し惜しみしたことによりスルーしたかもしれないと思うと、今でも後悔の念が胸に押し寄せます。
そう思うと、こういう後悔は沢山あるなあ・・・
子供の頃、遠目から見えた虹色に光る石。
しかし家に帰ったら茹でてあるであろう「そうめん」の事で頭が一杯で、家に帰ることを選択した私。
十中八九、光の反射による見間違いだとは思いますが、しかしその石が人間の脳を100%開放する、「虹色覚醒脳漿玉」みたいなネーミングの石だった可能性はゼロではないのです。
しかし私は、脳の覚醒よりも市販のそうめんを選んでしまったのです。
その他にも、1キロ先位のビルに見えた「曼荼羅」みたいな模様、山の上から見えた鬼の角のような真っ赤な木、外から見たガラス張りの美容室の、お姉さんの手そのものがハサミに見えたこと等
私の人生は確かめずにスルーしたことのオンパレードなのです。
もしかしたら、一歩勇気を出して踏み出せば、人生が根本から変わったかもしれないのに・・・
そんなわけで、今年の目標は「常に一歩を踏み出す」これを心がけて生活しようと思います。
そんなことを思って歩いていたら、道に落ちていた中途半端に開封されたオレンジゼリーを蹴っ飛ばし、白い靴が、オレンジと白のマーブル模様になりました。
留まるも難アリ、踏み出すもまた難アリ。
生きるのは大変ナリ。