<雑記>調和と欲望が混じる時

雑記

私はカップ焼きそばを愛している。

別段カップラーメンの事を低く見ているわけではないが、カップ焼きそばはそれとは別次元の美味しさを持つ、一つ上の食べ物だと考えている次第だ。

そんなカップ焼きそばを食べる時の、私のお気に入りの食べ方がある。

それは大量のキムチ、マヨネーズ、そして納豆を入れてぐちゃぐちゃにかきまぜて食すという、ライズどころでなく実にワイルズなカオストッピングである。

しかしこれがマジで絶句するほどうまいのだ。

話は変わるが、私は二郎系ラーメンもまたこよなく愛している。

数年前まではある程度、都心の駅に出ないと食べれなかった二郎系だが、なんと数年前に私の地元の駅近くに出来てしまったのだ。

それ以来、私はほぼ週二のペースでその二郎系に通い続けている。

さてそんな私の二郎の食事法は、過剰トッピングスタイルである。

にんにくはもちろんマシマシだし、ニラや卵、チーズにベビースターなど、様々なジャンクなものを次々にトッピングしていく。

そしてそれらを混ぜ、良い感じに乳化したスープと麺を食す一口目。

それはもう脳がはじけとぶのではないかという位の、昇天級の旨味である。

正直、この感覚を体が覚えてしまってからは、もはや二郎系に通うことが深く遺伝子に刻まれてしまったといって過言でないかもしれない。

しかしである。

この超高校級の美味さの二品にはある共通点がある。

そう食べた1時間後、百発百中でお腹を壊すのだ。

これは恐らく私が生来、胃腸が強くないということが大いに関係していると思うのだけれども、まあ例に洩れず百発百中である。

ここに私は残酷な二律背反、食事の黒白、オーウェンもびっくりの二重思考に陥り、思わず残酷な運命を二分間憎悪してしまいたくなる次第だ←本当に一九八四年を読んだのかと疑うほど適当な引用

そんなわけで、最近私は自身の体調の為、聖なる腸活戦士にクラスチェンジし、ヨーグルトをコツコツ食べて、ビフィズスの泉を体内に循環させるべく、ジャンクなものを抑えているわけだ。

世の中は上手くいかない、覚醒するほどに美味しいものは、体にダメージを負うのである。

しかしガゼリの女神の元、泉のほとりを穏やかに歩いていると、唐突に暴力的な声が細胞の中からうめきをあげる。

「お前は本当にそんなぬるい食生活でいいのか?」

「いつくるか分からない未来でなく、今ある暴力的な旨みに身をやつすべきではないのか」

そういえば旅の途中で読んだ開高健さんの本で、アマゾンでピラニアを食べたり、いきつけの町中華なんかで、とんでもない量のチャーハンを前座扱いで食べていたという話を見た気がする。

出来れば私もそんなワイルズな男になりたい。

しかし一方でビフィズスの女神の言っていることも正論だ。

「あなたはただでさえメンタルが弱く根性がないのだから、腸くらい整えておかなければ、人間世界に居場所はありませんよ」

女神とは思えない程、実に辛辣な意見だが、そこにあるのは紛れもない正論オブザ正論である。正直ぐうの音も出ない。

さてこうなると三次元的な解決方法は無理である。二つの道は別であり、どちらかを取ればどちらかは失われる。

それでも両方を取りたいのであれば、それは次元を超え、世界線を二つ並行に走らせるしかない。

一つ目の世界線は、朝食にグラノーラを食し、ヨーグルトを毎食欠かさず、栄養素のバランスを常に考え食事を組み立てる、光の使徒としての私だ。

そんな私はすらっとしたスラックスと、白いシャツにシックなジャケットを羽織り、街中を爽やかな顔で歩いている。

二つ目の世界線の私は、朝食からチーズ牛丼にタバスコをとばどばかけ、ポテチの袋をむんずと片手に掴み、まるで飲み物のように口に入れるミスターワイルズ。

オールバックの髪はぎとぎとに光り、着ているつなぎには暴力と暴食と刃傷沙汰の染みが広がり、この男が何か途方もないスケールを秘めているのが、そこはかとなくただよっている。

その二つの世界線は調和している。

しかしある時、唐突に世界のバランスが崩れる。

結果、本来ありえないはずの二つの世界線が融合してしまう。

スラックスと白シャツの私は爽やかな顔で、ヨーグルトの様な白いタイルと街路樹が並ぶ街道を歩いている。

そしてオールバックの私は、その街道の右側にあるカウンターだけの、床がぎっとりしているラーメン屋で、麺と背油をすすっている。

その姿を白シャツの私が目にする。

「ふっ、あんな脂と麺の境目すら分からないモノをすするなんて、まるで理性的でないね。人類の進歩と調和に反する行為だ」

その瞬間、オールバックの私も、嫌らしい顔付きの白いシャツの男が通り過ぎるのを目にする。

「ちっ、気取りやがって。ああいう奴らは健康に気を使ったあげく、何の意味もなく早死にするのさ。野生無き生はしぼんでいくものだぜ」

そのお互いの軽蔑した視線が混ざった瞬間、二人は世界から消失する。

同時代に同じ人間は存在出来ず、地球は混乱因子である二人両方を処分したのだ。

最後に二人の目が映したのは、心底軽蔑するお互いの瞳であり、それは間違いなく自分自身を映したものだった。

(おしまい)

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